平 裕介(弁護士・公法研究者)のブログ

主に司法試験と予備試験の論文式試験(憲法・行政法)に関する感想を書いています。

札幌地判令和3年3月17日の感想(憲法・行政法の観点から)――「国民感情」vs「国民感情」の調整と、司法の本質

「三権のうち立法権と行政権は多数決原理が支配していますから、この二権しかなければ少数者は負けっぱなしです。そこで、そうした多数決の『暴力』から少数者の権利や自由を守るのが司法の役割・司法の本質といわれるものです」[1]

 

 

 

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1 はじめに

 

本日のことである。

 

札幌地判令和3年3月17日(平成31年(ワ)第267号 損害賠償請求事件)(以下「本判決」という。)は、同性愛者と異性愛[2]との間で、その性的指向と合致する者との間で婚姻することができるか否かという区別が生じる結果となっていることにつき、憲法14条1項に違反すると明確に判示した。

 

本判決の判決文は、公共訴訟のプラットフォームである、Call4(コールフォー)の以下のサイトでアップされている。

 

CALL4 

 

 

本判決では、民法及び戸籍法の関連規定の憲法違反が争われた。

 

民法739条1項は、婚姻は戸籍法の定めるところにより届け出ることによってその効力を生ずるとし、同法74条1号は、婚姻をしようとする者は、夫婦が称する氏を届け出なければならない旨規定するなど、婚姻制度を定める民法及び戸籍法の諸規定が全体として異性間の婚姻(異性婚)のみを認めることとし,同性間の婚姻(同性婚)を認める規定を設けておらず,これら民法及び戸籍法の婚姻に関する諸規定(以下、総称して「本件規定」という。)は、婚姻は、異性間でなければすることができない旨規定している(本判決2頁参照)。

 

本判決の争点は、本件規定すなわち①憲法13条違反、②憲法24条(1項・2項)違反、③憲法14条1項違反、そして、④本件規定を改廃しないこと(立法不作為)が国家賠償法(以下「国賠法」ということがある。)1条1項の適用上違法であるか、などである(本判決2~3頁参照)。

 

本判決は、①憲法13条違反、②憲法24条(1項・2項)違反は認められない旨判断した(本判決16~19頁)が、憲法14条1項には違反すると判断した(本判決19~32頁)。

 

そこで、このブログでは、(①や②に係る判示も重要であるし、③の判断と密接に関わることから、本来は①・②の検討が必須ではあるが)より筆者が関心のある③(憲法14条1項違反)の点について感想を述べたい。ちなみに③は、直接には憲法学の話ではあるが、本判決が判示した裁量統制論考慮事項論行政法学における議論とも密接に関わるものと考えられ、裁量統制論や考慮事項論は筆者が最も関心を有している事柄である[3]

 

なお、④の点(本件規定に係る立法不作為は「違法」(国家賠償法1条1項)とは言えないとした判示)についても、(憲法学だけではなく)行政法学の論点に関する判断であり、本ブログ筆者も国賠法1条1項の「違法」について多少勉強したことがある[4]ので関心がないわけではない。とはいえ、特に目新しい判断をしているわけではないようにみられることから、やはり③の点に関する感想を述べるにとどめたい。

 

 

2 本件規定が憲法14条1項に違反するか否か、という争点について

 

(1)本判決の判断

 

まず、本判決は「憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定は,事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨のものであると解すべきである」(本判決19頁)と判示し、有名な尊属殺違憲判決[5]等の先例を引用する(同頁)。

 

次いで、本判決は、(ⅰ)婚姻及び家族に関する事項は総合的な判断を行うことにより定められるべきこと、(ⅱ)憲法24条2項は婚姻及び家族に関する事項につき国会の合理的な立法裁量に委ねたものであること、(ⅲ)憲法24条及び憲法13条は同性間の婚姻の自由や同性婚に係る具体的制度構築を求める権利を保障するものではないと解されることに照らし[6]立法府には「同性間の婚姻及び家族に関する事項」を定めるにつき「広範な立法裁量」があると解する、としている(同頁)。

 

さらに、同性愛が現在においては「精神疾患とはみなされておらず」、「人がその意思で決定するものではな」いこと等々、諸事情に言及した上で(本判決19~30頁)、以下のとおり、最終的に、諸事情を「総合」して本件区別取扱いの「合理的根拠の有無」を検討している(本判決30~32頁)。

 

筆者としては、本判決30~32頁の判示に特に強い関心を持ったことから、その部分を次のとおり引用する(以下引用、下線や〔①〕、~〔③〕は引用者)。

 

(4) 上記(3)で掲げた諸事情を総合して,本件区別取扱いの合理的根拠の有無について検討する。

上記(3)アで説示したとおり,本件区別取扱いは,人の意思によって選択・変更できない事柄である性的指向に基づく区別取扱いであるから,これが合理的根拠を有するといえるかについては,慎重な検討を要するところ,同イで説示したとおり,婚姻によって生じる法的効果を享受することは法的利益であって,同性愛者であっても異性愛者であっても,等しく享受し得る利益と解すべきであり,本件区別取扱いは,そのような性質の利益についての区別取扱いである。この点につき,本件区別取扱いは本件規定から導かれる結果であるところ, 同ウ,エで説示したとおり,本件規定の目的そのものは正当であるが,昭和22年民法改正当時は正しいと考えられていた同性愛を精神疾患として禁圧すべきものとする知見は,平成4年頃には完全に否定されたことに照らせば,同性婚について定めていない本件規定や憲法24条の存在が同性愛者のカップルに対する一切の法的保護を否定する理由となるものではない。そうであるにもかかわらず,本件規定により,同性愛者と異性愛者との間でその性的指向と合致する者との間で婚姻することができるか否かという区別が生じる結果となってしまっている。

もっとも,同性間の婚姻や家族に関する制度は,その内容が一義的ではなく,同性間であるがゆえに必然的に異性間の婚姻や家族に関する制度と全く同じ制度とはならない(全く同じ制度にはできない)こと,憲法から同性婚という具体的制度を解釈によって導き出すことはできないことは,前記2(3)で説示したとおりであり,立法府の裁量判断を待たなければならない。そして,我が国には,同性婚に対する否定的な意見や価値観を有する国民が少なからずおり,また,明治民法以来,婚姻とは社会の風俗や社会通念によって定義されてきたものであって,婚姻及び家族に関する事項は,国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ,それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断を行うことによって定められるべきものであること(前記2(1))からすれば,立法府が,同性間の婚姻や家族に関する事項を定めるについて有する広範な立法裁量の中で上記のような事情を考慮し,本件規定を同性間にも適用するには至らないのであれば,そのことが直ちに合理的根拠を欠くものと解することはできない。

しかしながら,上記説示したとおり,異性愛者と同性愛者の違いは,人の意思によって選択・変更し得ない性的指向の差異でしかなく,いかなる性的指向を有する者であっても,享有し得る法的利益に差異はないといわなければならない。そうであるにもかかわらず,本件規定の下にあっては,同性愛者に対しては,婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段が提供されていないのである。そして,上記(3)オ~キで論じたとおり,本件区別取扱いの合理性を検討するに当たって,〔①〕我が国においては,同性愛者のカップルに対する法的保護に肯定的な国民が増加し,同性愛者と異性愛者との間の区別を解消すべきとする要請が高まりつつあり,〔②〕諸外国においても性的指向による区別取扱いを解消する要請が高まっている状況があること考慮すべき事情である一方,〔③〕同性婚に対する否定的意見や価値観を有する国民が少なからずいることは,同性愛者に対して,婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないことを合理的とみるか否かの検討の場面においては,限定的に勘酌すべきものというべきである。

以上のことからすれば,本件規定が,異性愛者に対しては婚姻という制度を利用する機会を提供しているにもかかわらず, 同性愛者に対しては,婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていることは,立法府が広範な立法裁量を有することを前提としても,その裁量権の範囲を超えたものであるといわざるを得ず,本件区別取扱いは,その限度で合理的根拠を欠く差別取扱いに当たると解さざるを得ない。

 したがって,本件規定は,上記の限度で憲法14条1項に違反すると認めるのが相当である。

 

(以上、引用終わり)

 

         

(2)若干の感想

 

上記判示に関し、まず、憲法14条1項が「事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨のものである」と述べた点(合理的根拠・合理性の有無で審査するという上位ルール)は、伝統的な判例の立場である[7]

 

また、本判決は、上記合理的根拠(合理性)の有無をどのように審査するか(上記上位ルールに係る下位ルール)につき、主に、最大判平成20年6月4日民集62巻6号1367頁(国籍法違憲判決)を念頭におきながら、憲法14条1項違反の判断枠組みを定立したものと考えられる。

 

すなわち、国籍法違憲判決は、(A)「自らの意思や努力によって変えることのできない」事柄についての別異取扱いがなされていること、(B)日本国籍が法的に「重要な法的地位」であることから、(C)「このような事柄をもって日本国籍取得の要件に関して区別を生じさせることに合理的な理由があるか否かについては,慎重に検討することが必要である」とする。

 

本判決も、(A)本件区別取扱いは「人の意思によって選択・変更できない事柄である性的指向に基づく区別取扱いである」とし、また、(B)「婚姻によって生じる法的効果を享受することは法的利益」であると述べており[8]、そして、憲法14条1項違反の審査の枠組みにつき、(C)「合理的根拠を有するといえるかについては,慎重な検討を要する」と判示している[9]

 

このように、本判決は、「慎重な」を要する旨述べる一方で、形式的にみる限り、国籍法違憲判決や同判決が引用する尊属殺違憲判決(最大判昭和48年4月4日刑集27巻3号265頁)等が採ったような目的手段審査(「立法目的の審査と目的達成手段の審査に分けて検討」[10]する審査方法)を採っていない。これらの先例(判例)を引用したにもかかわらず、である。

 

本判決が採った合理性(上位ルール)判定のための下位ルールは、目的手段審査という審査基準ではなく、「総合」判断の枠組み(総合判断方式)である。

 

とはいえ、本判決は、この総合判断方式の審査を行うに際して、同審査の中に目的手段審査の手法と判断過程審査(判断過程統制)の手法[11]とを取り込んだのではないかと思われる。すなわち、本判決は、合理性の有無を総合判断方式で審査すべきとし、その上で、その総合判断に際して目的の点と手段の点を考慮事項としつつ、目的・手段の点だけでは判断することが不適当であることから、その他の考慮事項をさらに考慮すべきであるとし、これらを総合的に考慮して合理性の有無を判断すべきとしたものと解される。

 

それではなぜ、本判決は、目的手段審査によることを明確に示さず、また、はっきりとは判断過程審査を行うことを示さなかった[12]のだろうか。

 

おそらく、本判決は、立法府に「広範な立法裁量」があることを前提とする審査をするもの(結局、裁量権逸脱がある旨判示)であるのに対し、国籍法違憲判決は、立法府の「裁量権を考慮」するとは述べるものの「広範な」裁量があるとまでは述べていないことなどが影響したのではないかと思われる。

 

以上のことから、本判決は、〔1〕目的、〔2〕手段という考慮事項に加えて、〔3〕その他の考慮事項(要考慮(重視)事項として、①我が国で,同性愛者のカップルに対する法的保護に肯定的な国民が増加していること(増加しているか否か)・同性愛者と異性愛者との間の区別を解消すべきとする要請が高まりつつあること(高まりつつあるか否か)、②諸外国において性的指向による区別取扱いを解消する要請が高まっている状況があること(あるか否か)、重視禁止事項として、③同性婚に対する否定的意見や価値観を有する国民が少なからずいること(いるか否か))を総合的に考慮して、合理性の有無を判断すべきという判断枠組みによったものと考えられる。

 

ちなみに、個人的に本判決の最大のポイントと思う点は、〔3〕の考慮事項につき、本判決が明確に「重み付け」すなわち、考慮事項の「価値の加重・軽減」[13]を行った点である。憲法の関係規定の趣旨や同性愛者の被る不利益等に照らし、①と②を要考慮(重視)事項であるとし、③を考慮(重視)禁止事項だとしたのである。この「重み付け」審査により、「広範な裁量」判断の及ぶ事項であるにもかかわらず、審査密度の高い審査を行うことが可能となっているのである[14]

 

そして、以上の判断枠組みのあてはめとして、〔1〕本件規定の目的は正当であること、しかし、〔2〕目的と手段(同性愛者に対しては,婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていること、いわば100対0、オールオアナッシングという別異取扱いであること)との間には関連性がない(合理的関連性すらない)こと、〔3〕その他の要考慮(重視)事項として、①我が国で、同性愛者のカップルに対する法的保護に肯定的な国民が増加しており、同性愛者と異性愛者との間の区別を解消すべきとする要請が高まりつつあること、②諸外国において性的指向による区別取扱いを解消する要請が高まっている状況があることを挙げ、他方で、③同性婚に対する否定的意見や価値観を有する国民が少なからずいることは重視禁止事項であるというべきことに言及し、これら〔1〕~〔3〕(〔3〕については①~③)を総合考慮し、合理性(合理的根拠)を欠くとして憲法14条1項に違反すると判断したものと思われる。

 

 

3 「国民感情」vs「国民感情」の合理的調整 / 司法(裁判所)の役割

 

本判決については、日本において「同性愛者のカップルに対する法的保護に肯定的な」国民感情があり、それが増加傾向にあることや、「同性愛者と異性愛者との間の区別を解消すべきとする要請」をする「国民感情」が高まりつつあることを、それぞれ要考慮(重視)事項とした、とみることも可能ではなかろうかと思われる。

 

他方で、本判決は、「同性婚に対する否定的意見や価値観を有する国民」の「国民感情」について、一切考慮しないこととするわけではなく、限定的とはいえ、斟酌(一定程度は考慮)することができるとしていると考えられる。

 

このように、総合判断方式おいて、異なるベクトルの国民感情」αと「国民感情」βが衝突する場合、どのように合理的な調整を図るかという大きな問題が本判決には含まれているとみることもできるだろう。

 

本判決は、同性愛は精神疾患ではないという科学的、医学的知見が確立され(本判決24頁)、また、同性愛が精神疾患であることを前提として同性婚を否定した科学的、医学的根拠が失われたことに言及する(同頁)ところ、筆者としては、次のように考えている。

 

上記「国民感情」の調整問題については、憲法や他の法令の関係規定の趣旨に加え、その趣旨と密接に関わる専門(科学、医学等々)的・客観的な知見に適合する国民感情については、要考慮(重視)事項とし、他方で、そのような知見には適合しない(あるいは反する)単に主観的ないし独善的な国民感情、考慮禁止事項とするか、少なくとも重視禁止事項とすべきと考えるべきである。

 

そして、そのような考慮事項の重み付けに際しては、国民の「数」の多さは基本的には考慮あるいは重視すべきではない

 

なぜなら、「少数グループに属する人々は多数決原理の民主政の過程に代表を送り出して、その意思を立法等に反映させることが困難」であり、これらの人々を憲法に照らして救済をすることが「裁判所の責務」であり、「裁判所が担っている役割」[15]だからである。

 

 

 

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近年、他の分野でも、憲法や法令に適合しない、あるいは非科学的な「国民感情」・「社会通念」・「公益」なるものを考慮(重視)する行政判断が相次いでなされている。

 

映画『宮本から君へ』助成金不交付決定訴訟では、被告側が、当該映画を見てもいない「国民」の意見を含む「感情」的なアンケートを、被告のいう「公益」を基礎づけるものとして、裁判所に平然と提出した。映画の文化芸術表現の価値を無視したものというほかない。

 

(関連記事)

 「宮本から君へ」制作会社が芸文振提訴へ 助成金不交付:朝日新聞デジタル (asahi.com)

 

 

また、芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展の1つである「表現の不自由展・その後」でも、関係の芸術作品に対する専門的知見を無視・軽視する非科学的な「国民感情」を、あろうことか政治家が連日煽り、美術館にガソリンをまいて放火することをほのめかす内容の書面が匿名でFAX送信されるという事件まで発生してしまった(この事件の被告人は、業務妨害を行ったとして、懲役1年6月(執行猶予3年)に処された(名古屋地判令和元・11・14LEX/DB文献番号25570711))。

 

(関連記事)

 「不自由展」妨害、有罪判決 | Reuters

 

 

さらに、第1回口頭弁論期日が本年4月15日に開かれる予定の、性風俗事業者への持続化給付金及び家賃支援給付金の交付を求める訴訟(セックスワークisワーク訴訟)に関していうと、政府は、「性風俗関連特殊営業は風営法で極めて厳しい規制が掛かっており、社会通念上、公的資金による支援対象とすることに国民の理解が得られにくいということから、災害対応も含めてこれまで一貫して公的な金融支援や国の補助制度の対象外としてきたことを踏襲して、持続化給付金でも対象外としている」(下線引用者)という答弁を行っているが、これも、憲法の趣旨に反する、職業差別を助長する国民感情を考慮・重視しているに過ぎないものというべきである。

 

(関連記事)

 給付金除外は「違憲」提訴 性風俗事業者、国と2社に: 日本経済新聞 (nikkei.com)

 

 

以上のように、憲法や法令に適合しない、あるいは非科学的な、専門知を無視・軽視する「国民感情」、「社会通念」、「公益」を、政府が考慮(重視)し「利用」することは、許されるべきことではない

 

そんなことは憲法や法令に反し、許されない、と判断するのが司法であり、裁判所でなのである。ここに司法の本質がある。

 

 

「多数派の意に沿わない判決内容であっても、それが司法の役割を果たしたものと一定数の国民が評価し、受け入れるまでになれば、三権分立司法権の独立が、本当の意味でこの国に根づいたということができよう。」[16]

 

 

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[1] 岡口基一『裁判官は劣化しているのか』(羽鳥書店、2019年)158頁。

[2] 同性愛者とは、性的指向が同性愛である者をいい(本判決2頁)、異性愛者とは性的指向異性愛である者をいう(本判決1~2頁)。また、性的指向とは、人が情緒的、感情的、性的な意味で、人に対して魅力を感じることであり、このような恋愛・性愛の対象が異性に対して向くことが同性愛、同性に対して向くことが同性愛である(本判決1頁)。

[3] 裁量統制論や考慮事項論に関し、裁判所(・行政不服審査)における「違法」審査と行政不服審査における「不当」審査の基準(行政裁量の統制に係る審査基準)や考慮事項の範囲等に違いが生じうる旨論じた拙稿として、①平裕介「行政不服審査活用のための『不当』性の基準」公法研究78号(2016年)239頁、②平裕介「行政不服審査における不当裁決の類型と不当性審査基準」行政法研究28号(2019年)167頁等。また、これらと関連する小論として、③平裕介「新行審法と市民の権利救済―『不当』性審査充実のための方策」自治実務セミナー693号(2020年)17~18頁等。

[4] 国家賠償法1条1項の「違法」あるいは国家賠償制度について論じた関連する拙稿として、平裕介「君が代起立斉唱命令違反を理由とする教員に対する懲戒停職処分の裁量統制」(東京高判平成27年5月28日解説)自治研究(2017年)93巻6号123頁、平裕介「あいちトリエンナーレ2019と争訟手段」法学セミナー786号(2020年)41-47頁等。

[5] 最大判昭和48年4月4日刑集27巻3号265頁。

[6] なお、この点に関し、本判決18頁は、憲法「24条は同性婚について触れるところがないものと解することができる」とし、同条は「異性婚について定めたものであり,同性婚について定めるものではないと解するのが相当である」としているが、あくまで、異性婚につき規定した同条が同性婚につき言及していないだけのことであって、同条が同性婚を禁止したものではない旨判示したものと考えられる

[7] 安西文雄=巻美矢紀=宍戸常寿『憲法学読本 第3版』(有斐閣、2018年)109頁〔安西文雄〕。

[8] 「法的地位」と「法的利益」は異なる概念とは思われるものの、法的地位も、一定の法的利益に関わるといえるだろうから、共通項があり、同様に法的に保護されるべきものと解されよう。

[9] なお、本判決22頁は、「真にやむを得ない区別取扱いであるか否かの観点から慎重になされなければならない」と判示するが、これは厳格審査基準すなわち「やむにやまれる利益のために必要不可欠の手段であること」を必要とする審査基準(安西ほか・前掲注(7)109頁〔安西文雄〕参照)の「やむにやまれる利益」目的を意味するものではないだろうと思われる(その理由は、厳格審査基準における「必要不可欠の手段」という語は用いていないことなどである)。おそらく「慎重に」審査すべきということを「真にやむを得ない区別取扱い」という語に言い換えたものではなかろうか(そうすると、あえて「真にやむを得ない区別取扱い」とまで述べる必要はなかったようにも思えるが)。

[10] 安西ほか・前掲注(7)107頁〔安西文雄〕参照。

[11] 判断過程審査については、(行政裁量の統制の領域の話を援用するが、)裁判所が審査すべきと考える考慮事項(要考慮事項、非要考慮事項(考慮禁止事項)等)を具体的に挙げる場合がその典型的な例であると一般に解されている(小早川光郎=青栁馨編著『論点体系 判例行政法2』(第一法規、2017年)477頁〔友岡史仁〕等参照)。

[12] 本判決は、最三小判平成24年2月28日民集66巻3号1240頁(老齢加算廃止事件判決)のように「判断の過程」を審査する旨明記することはしていない。なお、行政裁量の統制につき、判断過程審査と社会観念(通念)審査とを接合させる裁量審査を行った判例として、最三小判平成18年2月7日民集60巻2号401頁(呉市職員組合事件判決)がある(小早川=青柳・前掲注(11)479頁以下〔友岡史仁〕等参照)。同判決は「判断要素の選択や判断過程に合理性を欠くところがないかを検討し」などと判示しているのに対し、本判決は、このような判断過程審査のキーフレーズを明言してはいない。

[13] 考慮事項の「重み付け」に関し、常岡孝好「裁量権行使に係る行政手続の意義――総合過程論的考察」磯部力=小早川光郎=芝池義一編『行政法の新構想Ⅱ 行政作用・行政手続・行政情報法』(有斐閣、2008年)235頁(248頁)、平・前掲注(3)①論文242頁、同②論文196頁以下等参照。

[14] この点には異論もあると思われるが、筆者としては本判決の判示を支持したい。

[15] 泉徳治=渡辺康行=山元一=新村とわ『一歩前に出る司法 泉徳治元最高裁判事に聞く』(日本評論社、2017年)160頁〔泉徳治〕参照。

[16] 岡口基一最高裁に告ぐ』(岩波書店、2019年)198頁。