平 裕介(弁護士・公法研究者)のブログ

主に司法試験と予備試験の論文式試験(憲法・行政法)に関する感想を書いています。

平成29年司法試験出題趣旨(憲法)の感想 その2:出題趣旨のいう「基本判例」・「学説」とは何か?

 平成29年司法試験論文憲法の出題趣旨についての感想が途中になってしまっていた。長いこと放置してしまっていたが,憲法改正の前に表現の自由を行使しておかねばと思い立ち,約3週間ぶりに更新することとした。

 

yusuketaira.hatenablog.com

 

とはいえ,憲法改正はまだまだ先であるから[1],本日はとりあえず,第1段落(後掲の枠内)についての感想を述べることとする(第2段落以下については次回以降に感想を述べたい)。

私は元I塾生であり「ゆっくり急げ」の精神の下,法を学んできたわけだが,どういうわけか,前段だけを頑なに守るようになってしまった。塾長に合わせる顔がないわけだが,「やればできる!必ずできる!」を信じて書き進めることとする。

 

 

〔平成29年司法試験論文憲法・出題趣旨第1段落〕

今年度は,いわゆる外国人非熟練労働者の入国・在留を認める架空立法を素材に,外国人の人権保障に関するいくつかの問題を問うこととした。基本判例や学説に関する適切な理解や初見の条文の正確な読解を前提に,具体的な事案に即して的確な憲法論を展開することができるかどうかが問われる。

 

 

1 外国人の人権の出題とオリンピックの政治利用

 

「外国人」の人権は,平成18年以降の(新)司法試験では初めての出題である。いわゆる特区制度や,2020年東京オリンピックを契機により多くの外国人が日本に入国することに関連した出題という見方も可能である。

 

ちなみに,オリンピックは政治利用されてはならないものとされているが,現実は逆であるところ,平成29年の司法試験ではオリンピックの司法試験利用がなされたという捉え方もできるかもしれない。

 

司法府の政治化は避けるべき事態であるが,仮にオリンピックの司法試験利用がなされたとすれば,問題であるように思われる。

 

…と,多く受験生にとっては興味がないであろう(しかしそれは残念だが)前置きはこのくらいにして,「基本判例」と「学説」という2つの用語に着目したい。

 

 

2 「基本判例」とは何か

 

まず,「基本判例」とは何だろうか。

 

「基本判例」とは,過去の出題趣旨と同様の意味合いということであれば,「弁護士」が「知っている」(と考査委員が考える)「重要な憲法判例」(平成23年出題趣旨1頁)のことを意味するものと考えられる。

 

具体的には,これまでの出題趣旨,ヒアリング及び採点実感(以下「出題趣旨等」という。)で明示的に言及された判例は,少なくとも上記「基本判例」に該当するだろう。

 

また,黙示的に言及された判例[2]も,「基本判例」に該当するものと考えられる。

 

なお,出題趣旨等で明示的に言及された判例は,原則として百選[3]で選ばれた判例であり[4],唯一の例外は平成26年の出題趣旨で言及された農業災害補償法が定める農業共済組合への「当然加入制」の合憲性をめぐる判決(最三判平成17年4月26日判例時報1898号54頁)であるが,この判例があるからといって百選以外に手を広げるのは得策ではなかろう。

 

ちなみに,「基本判例」と聞いて思い浮かぶのは,元新司法試験考査委員の野坂泰司先生の連載である。それは,2005(平成17)年から2008(平成20)年にかけて,「判例講座 憲法基本判例を読み直す」とのタイトルで『法学教室』誌上に連載されたものであり,2011年に書籍化された[5]

 

同書では,平成29年司法試験でもその活用が求められた(おそらく多くの受験生にとってサプライズであった)「川崎民商事件」(同書第16章,303頁以下)についても詳細な解説がなされている。

 

平成29年の出題趣旨における「基本判例」と元考査委員の野坂先生の「憲法基本判例」とが重なるものであるとすれば,同書に掲載されており,未だ出題のない判例が平成30年以降のヤマということになるかもしれない

 

そのヤマの判例とは,例えば,(A)森林法事件(同書第13章,233頁以下),(B)堀木訴訟(同書第15章,283頁以下),(C)旭川学テ事件(同書第20章,409頁以下)である。

 

とはいえ,平成27年・29年とマクリーン事件の活用が聞かれており[6],比較的短期スパンでの出題があり得ることが示されているため,例えば,平成26年でその活用が求められた(と考えられる)薬事法事件(同書第12章,209頁以下)などについてもよく確認しておくべきであり,油断は禁物である。

 

ところで,本年も「架空立法」(条例や,平成21年の「規則」を含む)それ自体の違憲性についての主張(法令違憲の主張)を書くことが求められた。このようなタイプの問題は,次の表のとおり,ここ4年で3回という頻度で出されていることから,平成30年では,法令違憲の主張をしてくれと言う考査委員からの強いメッセージ(本年では「Bの収容及び強制出国の根拠となった特労法の規定が憲法違反であるとして,国家賠償請求訴訟を提起しようと考えた。」(下線は引用者)という一文)が書かれず,処分違憲のみのタイプか,法令違憲と処分違憲を両方論じさせる問題が出る可能性が高いだろう。

 

架空法令の法令違憲の主張だけが主な論点となった年

平成18年,26年,28年,29年

架空法令の法令違憲と処分違憲[7]の双方が主な論点となった年

平成19年,20年,21年,22年,23年,(25年,)

処分違憲[8]の主張だけが主な論点となった年

24年,25年,27年,

 

 

3 「学説」とは何か

 

次に,上記「基本判例」の直後に書かれた「学説」とは何だろうか。

 

この点につき,平成23年出題趣旨1頁は,「弁護士」が「知っている」(と考査委員が考える)「主要な学説」を司法試験受験生も知っておかねばならない旨述べている。

 

しかし,平成29年出題趣旨は,平成23年出題趣旨のような限定がなく,特に「主要な学説」とはせず,単なる「学説」としているのである。

 

ではなぜ,「主要な」が取れてしまったのであろうか。

 

それは,司法試験における「芦部」時代の終焉を意味するものと思われる。

 

芦部信喜先生のテキスト『憲法』(岩波書店[9]は,今も多くの合格者が使う基本書であり,元考査委員の青柳幸一教授も法科大学院の授業で(青柳教授自身のテキスト[10]も使われてはいたものの)芦部信喜先生のこのテキストを使用されていた(教科書指定あるいは参考書指定)と数名の受験生から聞いたことがある。

 

そのため,平成18年から27年までは,(おそらく)芦部説を「主要な」学説(学会基準ではなく受験生基準)として活用すれば基本的には足りたものといえよう。

 

しかし,平成28年以降は,もはやそのような時代ではなくなってしまったのかもしれない。

 

とはいえ,「主要な」学説以外の学説を書いて良い,あるいは書くべきとして,そのような問題の答案を学者(研究者)の委員はともかく,実務家の委員が適切に採点できるのだろうか(甚だ疑問である)。

 

さらに言えば,多くの実務家が知らないような「学説」(そのような意味で主要なものとはいえないであろう学説)を活用した方が得点を伸ばしやすいような論文問題が出るとすれば,受験生の<憲法離れ>が進んでしまうのではなかろうか[11]。それは国家的損失につながりかねないことであり,決して大げさなことではないと私自身は考えている。

 

特に先端的・最新の「学説」を書かせるような問題を出す場合,以上のような弊害を生む(すでに生んでいる?)だろう。

 

なお,別の考え方として,平成29年出題趣旨の「学説」を平成23年出題趣旨の「主要な学説」の意味に限定解釈して読むというものもあるが,考査委員の構成等に照らすと,恐らくこれは違うと思われる。

 

 

4 「統治」の出題可能性

 

出題趣旨に「外国人の人権保障に関するいくつかの問題を問うこととした」とあるとおり,平成29年も「人権」の問題が出た。

 

平成18年から(プレ・サンプルも含め)29年まで,論文憲法では,人権(あるいは人権メイン)の問題しか出されていない。

 

司法試験では「人権」から出るというのがもはや慣行となった感があるものの,平成29年では,これまで出たことがなかった33条が出されたり,13条が2年連続で出されるなど,多くの受験生にとって(おそらく)想定外の問題が出題された。

 

このようなことから,予備試験だけではなく,司法試験でも「統治」メインの問題が出ることが今後はありうるのではなかろうか。

 

司法試験において「統治」分野で活用すべき「基本判例」を予想することは難しいが,上記野坂先生の著書では,警察予備隊訴訟(第2章,17頁)と,苫米地事件(第4章,49頁)が取り上げられており,いずれも大法廷の判例で,百選にも掲載されていることから,受験生においては,まずはこの2つの「基本判例」(第一次的には野坂先生の考える「基本判例」ではあるが)の解説等を検討されてはいかがだろうか。

 

論文での出題可能性はかなり低いとは思うが,幸い行政法とは異なり短答式試験で出題される可能性があるから無駄にならない可能性が高いと思われる。

 

 

5 何の変哲もない立憲主義

 

最後になるが,出題趣旨に書かれた「基本判例」の「基本」の意義・射程は,必ずしも明確ではないところ,何が「基本」の判例であり,何が「応用」(?)の判例なのかを法務省の公表資料からこれを探るのであれば,「百選」の判例は「基本」であり,「判例雑誌や裁判所のホームページ」で公表される「最新の裁判例」(平成18年ヒアリング3頁第2段落)は「応用」ということになりそうである。

 

・・・と,結局,何の変哲もない内容で終わってしまうこととなった。オチのない話ほど退屈なものはなかろう。

 

 

とはいえ,何の変哲もないことこそ大切なものであることがある[12]

 

例えば,今ある日本国憲法は,多くの法曹にとって,いわば空気のもののように,言い換えれば「何の変哲もない」もののようになっていると思われる。

 

しかし,空気のようにそこに存在するものが,不必要に改正を叫ばれ,メディアなどによって不当に騒がれ,なくなろうとしている。

 

憲法改正によって権力者が人権をより厚く保障するだろうなどと楽観視することが許されるのは,夢の中のお花畑の中だけに限られているし,少なくとも法曹であれば,そのような楽観視を不当に誘導する行為が弱き者の生活基盤を失わしめることとなることを目をそらさずに理解しなければならない。

 

改憲に際して権力者が様々な条項に手をつけてくることも考えられるだろう。「『個よりも全体の価値を』といったスローガン」[13]のようなものを前文などに入れ込んでくるかもしれない。

これらは非常に恐ろしいことであり,とりあえず憲法を変えてみようという浅はかな発想は,取り返しがつかなくなる事態[14]を招くものといえよう。

 

 

「今ある」近代立憲主義の「よりよい形を追求していくことが憲法学の任務である」[15]と私も考える。

 

そしてその任務は,権力者に権限濫用等の隙を与える極めてリスキーな改憲という手段によるのではなく,「今ある」憲法を活かすという手段で達すべきである。

 

 

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[1] などと呑気なことを言っているとあっという間に「公共の福祉」が「公共の利益」に変更され,97条なども吹っ飛んでしまいそうなので要注意だが…。

[2] ①明示的に言及された判例と②黙示的に言及されたと考えられる判例につき,平裕介「司法試験の関連判例を学習することの意義」法苑179号(新日本法規,2016(平成28)年9月8日)1頁以下(特に4~7頁の一覧表を参照)。なお,かかる拙稿(無料でウェブ上で誰でも閲覧可)では,①を「狭義での関連判例」,②を「広義の関連判例と考えられるもの」と分類している。

[3] 長谷部恭男石川健治=宍戸常寿編『憲法判例百選Ⅰ〔第6版〕』・『憲法判例百選Ⅱ〔第6版〕』(有斐閣,2013年)。

[4] この点に関し,平成18年ヒアリング3頁(ただし,実務家の考査委員で公法系第2問・行政法を担当した方の発言)では,「条文をしっかりと理解すること,それから判例百選等の基本的な判例をきちんと読込むことなどに重点を置」いた判例学習が必要である旨述べている。法務省のウェブサイト(出題趣旨・ヒアリング・採点実感のいわゆる三種の神器)で,特定の書籍名が紹介されたのは,これが初めてではないだろうか。

[5] 野坂泰司『憲法基本判例を読み直す』(有斐閣,2011年)。

[6] 平成27年につき,平・前掲(2)7頁。

[7] 平成20年のように,刑事事件の場合,「処分違憲」と書かずに,「…に対する処罰の違憲性」(平成20年出題趣旨2頁)と書く方が良いだろう。

[8] ここにいう「処分」は基本的には行政処分を指すものであると思われるから,例えば,「公金支出」(平成24年出題趣旨1頁)の違憲性が問われた場合には「処分違憲」という用語は避けた方が良いだろう。

[9] 最新版は,芦部信喜(著),高橋和之(補訂)『憲法 第六版』(岩波書店,2015年)である。

[10] 青柳幸一『わかりやすい憲法(人権)』(立花書房,平成25年)ないし青柳幸一『憲法』(尚学社,2015年)。

[11] 受験生(合格者)はコスパを意識する・重視する者が多いため(それ自体悪いことではないだろう。法曹に必要なスキルの一つであると思われる。),短い時間で多くの得点を取れる勉強をする(例えば,同じ公法系科目で論文では同じ点数(100)の行政法をしっかり勉強して安定的に点数を稼ぐなど)ものと思われる。

[12] 木村和(KAN)「何の変哲もないLove Songs」同『何の変哲もないLove Songs』(2005年)参照。なお,同曲をBank Bandがカバーしている(Bank Band『沿志奏逢2』(2008年)の1曲目)。

[13] 新井誠=曽我部真裕=佐々木くみ=横大道聡『憲法Ⅰ 総論・統治』(日本評論社,2016年)13頁〔新井誠〕。

[14] 原発被害(人災)によって故郷・家族を失った方々がいるが,取り返しのつかない失敗もある。この現実を直視しない・できない者は,憲法を語るにふさわしくない者といわなければならない。

[15] 新井・前掲注(13)13頁〔新井誠〕。

 

 

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