平 裕介(弁護士・公法研究者)のブログ

主に司法試験と予備試験の論文式試験(憲法・行政法)に関する感想を書いています。

弁護士松尾剛行先生著『AI・HRテック対応 人事労務情報管理の法律実務』(弘文堂,2019年)と司法試験論文憲法

 

「新しいひとつひとつへと」[1]

 

 

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1 AIを使う危険・リスク

 

先日は,弁護士松尾剛行先生(桃尾・松尾・難波法律事務所パートナー)より,

『AI・HRテック対応 人事労務情報管理の法律実務』(弘文堂,2019年1月15日)

をご恵贈いただいた。

 

もはやいただくばかりで感謝を通り越して申し訳ない気持ちであるが,以下,(書評ではないものの)短い感想を述べさせていただきたい。

 

同書38頁は,人事労務分野におけるAI(人口知能)の利用についての一般的な留意点の1つとして,「予想外の結果や誤った結果が生じうること」を挙げ,その原因の例として,「ルールベース〔システムのAI〕ではルールの記述やミスやバグ等、学習系では学習ミスやデータのバイアス〔同頁注9によると,「偏見」の意味で用いている〕が指摘される」とし,さらに,「とりわけ,AIが大量・高速処理のために利用される場合には,誤りの結果が重大・大規模なものになりかねない」(下線引用者)とする。

 

同頁では,さらにその重大・大規模な誤りを招くこととなりうる実務上有用な具体例が紹介されているが,もとよりそれは,同書を読んでいただければ分かることであり,また,同書は,人事労務分野の法務を担当する(これからすることとなる)法曹実務家等の方々にはもちろんのこと,より広く,司法修習生や法学部生・法科大学院生等の皆様にもオススメしたい1冊である。

 

 

2 自由vs危険・リスクと司法試験論文憲法

 

さて,以上の法的論点,すなわち「人口知能技術を使うリスク」は,内閣府「人口知能と人間社会に関する懇親会」報告書(2017年3月)でも掲げられていたものでもあるが[2],このような「リスク」あるいは「危険」に関する問題は,司法試験論文憲法においても,重要な論点とされてきた。

 

この点を「出題趣旨」において最も明確に述べたのは,①平成28年司法試験論文憲法である。以下,その一部(1~2頁)を引用する。

 

「この違憲審査基準を適用する際には,まず,本件規制にあっては,法による『既遂の行為に対する制裁』の威嚇を通じた伝統的な基本権制限が問題となっているのではなく,将来における害悪発生を予防するために現時点において個人の行為に制限を課す,いわゆる『規制の前段階化』と呼ばれる傾向の権力行使の憲法上の正当性が問われていることが問題となる。『被害が発生してからでは遅すぎる』という発想で,被害発生を不可能にすることを狙った公権力行使が行われるわけだが,それは,基本権保障との関係でどのように評価されるべきか。害悪の発生につながり得る行為を包括的に制限し得ると考える予防原則』を,犯罪予防との関係でも採用し得るのか。伝統的な基本権保障の枠組みでは,もともと,権利行使の結果として害悪が発生する(ことが立証可能な)場合に限って権利制限が正当化されると考え,その限りにおいて権利保障が原則,権利制限が例外であると位置付けられるが,予防原則を全面的に採用した場合には,この原則・例外関係が逆転し,害悪発生の可能性だけで権利制限が広範に正当化されることになる。」(下線引用者)

 

ちなみに,問題をやや広く捉えることになるかもしれないが,「危険」の「程度」等の論点(どの程度の危険ないしリスクをもって人権・自由の制約が許されるものとなるのか)は,それ以前の司法試験(新司法試験)論文憲法でも,たびたび重要な論述対象事項となっている。いくつか例を挙げてみよう。

 

②平成19年新司法試験論文憲法

→「B教団」が「テロ」を起こす危険の程度が問題

 

③平成21年新司法試験論文憲法

→大学における「遺伝子治療臨床研究」に係る「被験者」の生命・身体への危険の程度が問題

 

④平成23年司法試験論文憲法

→「Z機能画像の提供」によるプライバシーなどの被害を受ける者の危険の程度が問題

 

⑤平成25年司法試験論文憲法

→「ツイッター等を通じて参加を呼び掛けた」「デモ行進」が「市民の平穏な生活環境」や「商業活動」への支障を来す危険の程度が問題

 

 

そして最近では,⑥平成30年司法試験験論文憲法で,「規制図書類」による「青少年の健全な育成」「善良かつ健全な市民生活」への悪影響の危険の程度が問題とされている。

 

これは,⑦平成20年新司法試験論文憲法,すなわち,「有害ウェブサイト」(あるいは「有害ウェブページ」)の「子ども」(「18歳に満たない者」)の成長発達への悪影響の危険の程度が問題とされた事例と類似した問題と位置付けられるだろう。過去問の検討が活かされる問題であったとみるべきである。

 

 

3 「予防原則」と司法試験論文憲法

 

ところで,環境法において登場する予防原則(あるいは予防的アプローチ)とは,「重大または回復不能な損害が発生するおそれがある場合に,完全な科学的根拠がなくとも,環境の悪化を予防すべきであるという考え方」(下線引用者)であり,「損害発生の確実な可能性なしに予防的対応を求める」原則である[3]

 

そして,「産業化および科学・技術の発展がもたらす予期せぬ副作用を含む帰結」に鑑み,この原則を憲法学の他の領域にも及ぼそうとする見解もあるようである[4]が,司法試験論文憲法との関係では,「科学的認識が限られて」おり「損害発生の蓋然性についての予測を可能とするような経験知(生活上の知見または科学技術上の知識)」があるとはいえない場合[5]に限って,予防原則のような考え方を採るべきであろう。

 

そうすると,損害発生の蓋然性についての予測を可能とするような経験知(生活上の知見または科学技術上の知識)があるとはいえない場合は,先端科学技術に関する研究の自由[6]が問題となった③平成21年新司法試験論文憲法くらいしかないことになる[7]

 

ゆえに,を除くの6つの問題では,何らかの悪影響を及ぼす「可能性」[8]だけをもって,憲法上の人権や自由の「前倒し」[9]の制約が許されるとするわけにはいかないことになりそうである。

 

この点につき,平成18年新司法試験から平成27年司法試験まで考査委員を担当した憲法研究者が,「自由と安全の間には,二律背反的側面が強く存在する。安全という目的を完全に実現するためには,事後的措置では不十分で,予防的措置が求められる。しかし,そのような予防的措置は,自由を制限する。したがって,自由と安全の実践的調和の実現が必要である。したがって,安全を脅かす危険の程度が,個別的・具体的に論証されなければならない。」(下線引用者)と説いていることに照らしてみても[10],やはり,(A)「可能性」[11]という危険の程度では足りず,(B)より高い危険の程度を求める「蓋然性」[12]や,あるいは,さらに高度の程度を求める(C)「相当の蓋然性」[13],(D)「厳密な科学的証明」[14]などが必要とされるべきといった立場を採るのがスワリが良いのではないかと思われる[15]

 

((A)の見解によらないことを前提として,)(B)~(D)(あるいはそれ以外の基準)のいずれかを採るべきかについては,人権(自由)制約の強度や,危険の重大性(特に損害が回復不能・不可逆的なものといえるか)や危険発生の蓋然性の高低[16],危険発生の予測の困難の程度(危険発生の予測に係る科学的認識や経験知の多さ)などを総合的に考慮して決するほかないように思われる。

 

 

4 答案のどの部分でこの【危険の程度】の話を書くのか

 

では,具体的には,司法試験(予備試験)論文憲法のどの段階で,この【危険の程度】の話を書くべきだろうか。

 

確かに,規範(判断枠組み,違憲審査基準,違憲審査枠組み)を定立する前の段階で,その規範の理由付けとして用いる(その場合,人権のいわばマイナスの性質といえるであろう人権の「制約の本来的可能性」[17]の高低との関係で書く)ということもできなくはなかろう[18]

 

しかし,規範のあてはめで用いる(だけ)という方が書き易いように思われる。

 

例えば,目的・手段審査の枠組みによる場合,手段審査では,①目的と手段の「関連性」(中間審査基準の場合,実質的関連性)の有無や,②規制手段の相当性,実効性等を個別具体的に検討することが必要とされている[19]ところ,このうちの①(関連性審査)の箇所で書くという方法がありうる[20]

 

また,目的審査(目的の必要不可欠性or重要性or正当性)のところで,危険の程度に関する(その趣旨を表す)事項を書く(例えば,主観的にしか判断できないといえる「安心」確保などの目的は,重要な目的とはいえないなど)というのでも良いだろう[21]

 

 

5 AI活用のリスクに係る「規制の前段階化」?

 

それでは,AIを使うリスクないし危険に関し,環境法の予防原則のような原則を類推的に及ぼすことができるのか。先に述べた,規制の前倒しないし「規制の前段階化」が可能かという問題である。

 

さすがに平成31年司法試験や予備試験では出題されない論点と思われるが,5年後(あるいは3年後)などは状況が変わっているようにも思われる。

 

はたして,AIを活用することから生じうるリスク・危険は,「科学的認識が限られて」おり,「損害発生の蓋然性についての予測を可能とするような経験知(生活上の知見または科学技術上の知識)」があるとはいえない場合(前記3)に当たるものなのだろうか。

 

未知の論点と格闘する訓練の1つとなることから,司法試験受験生は,一度,自分の頭で考えてみていただきたい。

 

以上,参考になれば幸いである。

 

 

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「謝々!!」[22]

 

 

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[1] スピッツ草野正宗作詞・作曲)「謝々!」(1998年)。

[2] 宍戸常寿「ロボット・AIと法をめぐる動き」弥永真生=宍戸常寿編『ロボット・AIと法』(有斐閣,2018年)25頁参照。

[3] 交告尚史ほか『環境法入門〔第3版〕』(有斐閣,2015年)152頁〔臼杵知史〕。

[4] 小山剛「自由・テロ・安全」大沢秀介=小山剛『市民社会の自由と安全―各国のテロ対策法制―』(成文堂,2006年)318頁参照。

[5] 小山・前掲注(4)319頁参照。

[6] 芦部信喜著(高橋和之補訂)『憲法 第6版』(岩波書店,2015年)170頁〔高橋補訂箇所〕。

[7] 小山・前掲注(4)322頁等参照。なお,平成28年司法試験論文憲法の事案は,性犯罪者が再び「性犯罪に及ぶリスクの高さは,専門家によって判定することができる」という事実を前提にしなければならないため(木村草太「公法系科目〔第1問〕解説」別冊法学セミナー244号(2016年8月30日)11頁),平成21年の場合とは異なり,“損害発生の蓋然性についての予測を可能とするような経験知(科学技術上の知識)があるとはいえない場合”に当たるケースとはいえないだだろう。

[8] 臼杵・前掲注(3)152頁参照。

[9] 小山・前掲注(4)322頁。

[10] 青柳幸一『憲法』(尚学社,2015年)89~90頁。

[11] 青柳・前掲注(10)95頁。

[12] 青柳・前掲注(10)95頁。

[13] 青柳・前掲注(10)95頁,よど号ハイジャック新聞記事抹消事件(最大判昭和58年6月22日民集37巻5号793頁)参照。

[14] 「厳密な科学的証明」を要するとする場合もあるといった見解もあるが(高見勝利「判批」(岐阜県青少年保護育成条例事件解説)高橋和之ほか編『憲法判例百選[第5版]』(有斐閣,2007年)114~115頁(115頁)参照),司法試験論文憲法私見として使える場面はそれほど多くはないだろう。また,泉佐野市民会館事件(最判平成7年3月7日民集49巻3号687頁)の「明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要」との基準を採りうる場合もある(平成19年新司法試験、平成25年司法試験等)。

[15] ドイツでは,蓋然性が一定の程度に達したものを危険と呼び,蓋然性が低いものをリスクと呼ぶ(さらに低いものを残余リスクと呼ぶ)という見解や,構造的不確実性ゆえに危険の判断がはじめから不可能なものを危険とは異なる構成要件の構造を持つものとしてリスクと呼ぶべきとの見解等があるようである(小山・前掲注(4)318,321頁等参照)。

[16] 小山・前掲注(4)335頁参照。

[17] 青柳・前掲注(10)87頁。

[18] その具体例として,例えば,木村草太『司法試験論文過去問 LIVE解説講義本 木村草太憲法』(辰已法律研究所,2014年)184頁以下の平成20年新司法試験論文憲法の優秀答案(公法系154.41点,公法系順位6位の答案)の188頁16~17行目。

[19] 平成20年新司法試験の採点実感等に関する意見(憲法)4頁,平成23年新司法試験の採点実感等に関する意見(公法系科目第1問)(補足)2頁参照。

[20] 具体的には,例えば,上田健介「公法系科目〔第1問〕解説」別冊法学セミナー254号(2018年9月30日)の平成30年司法試験論文憲法の解答例16頁1(4)(・同(3)~(4))の書き方を参考にされたい。なお,かかる解答例に関し,木村・前掲注(18)160頁,329頁(「論証技術⑨」)参照。

[21] より具体的な答案の書き方については,例えば,木村・前掲注(18)118頁の答案第4段落(目的審査の記述)を参照されたい。なお,同書104~105頁(「論証技術①」),328頁イ等参照。また,他にも,問題文の法令・条例の文言を合憲限定解釈して,泉佐野市民会館事件(最判平成7年3月7日民集49巻3号687頁)の「明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要」等の規範を採りうるような場合もある(平成19年新司法試験,平成25年司法試験等)。

[22] スピッツ・前掲注(1)

 

 

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