平 裕介(弁護士・公法研究者)のブログ

主に司法試験と予備試験の論文式試験(憲法・行政法)に関する感想を書いています。

弁護士職務基本規程改正案14条の2(法令違反行為避止の説得を試みる義務の規定の追加)の問題点(1) 東京地判昭和62年10月15日は改正の理由にならないこと

 

 「民主主義はあなたから始まる

 教育の制度的な問題について関心を失ってしまえば、そのツケは必ずあなたの身の回りの人間たちにふりかかってきます。(中略)『何かヘン!』と思ったときには周囲の人たちと『ヘンじゃない?』と素直に言い合える雰囲気が必要です。」[1]

 

 

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1 2018年職務基本規程改正案の単位会照会の事実の公表

 

新年とともに,ジュリスト1527号(2019年1月号)72~84頁(2019年1月1日発行)で,「新時代の弁護士倫理」という新連載が始まった。

 

同号の第1回「弁護士のプロフェッション性をめぐって」では,髙中正彦(弁護士)=石田京子早稲田大学准教授)=市川充(弁護士)の3名の先生方による座談会(2018年9月14日収録)の内容が掲載されている。

 

この座談会において,「本日現在」(81頁)すなわち2018年9月14日時点における日弁連での弁護士「職務基本規程の改正の検討作業」(81頁)が「進め」(81頁)られているという事実が髙中弁護士から紹介された。

 

筆者の調査不足かもしれないので断定的なことは言えないが,この弁護士職務基本規程(平成16(2004)年11月10日会規第70号,改正平成26(2014)年12月5日)(以下単に「職務基本規程」ということがある。)の改正の検討作業が進められている事実は,弁護士ないし一部の弁護士以外の市民や研究者等には基本的にはオープンにされていないことではないかと思うのである。

 

そして,この検討作業の状況を初めて市民らに公にしたのは,遠藤直哉(弁護士)『法動態学講座2 新弁護士懲戒論 為すべきでない懲戒5類型 為すべき正当業務型 ―法曹増員後の弁護士自治信山社,2018年12月15日)89頁以下であるように思われる。

 

同書89頁は,「日弁連(弁護士倫理委員会)は,…2018年9月に改正案(以下「改正案」という)を提案し,単位会へ意見照会を行っている。この改正案は成立する可能性が高いので,これを紹介しつつ,以下に,分かりやすく解説し,本書の類型化と正当業務型の視点からの私案を提示するので,至急検討していただきたい。」(下線引用者)とする。

 

筆者も一弁護士として,この問題について関心をもって検討していくこととしたい。

                         

この問題は,遠藤・前掲書籍の副題にもある「弁護士自治」の問題と密接にかかわる問題と考えられるところ,この問題について弁護士が関心を失ってしまえば,そのツケは,弁護士自身についてはもちろんのこと,必ず弁護士の身の回りの依頼者や関係者らにふりかかってくるのではないかと危惧するからである。

 

 

2 職務基本規程改正案14条の2(法令違反行為避止の説得を試みる義務)の内容と昭和62年東京地判

 

遠藤・前掲書籍によると,職務基本規程改正案14条の2(追加)と同51条(変更)は,「法令違反行為を避止するように説得を試みなければならない」(92頁,下線等による強調は引用者)としているようであり,同書これを「法令違反行為避止の説得義務」(92頁)と称している(ただし,「法令違反行為避止の説得を試みる義務」と称する方がより正確と思われる。)。ちなみに,髙中ほか・前掲座談会81頁〔髙中発言〕は,「組織内弁護士の違法行為に関する義務に関連しますが,弁護士が依頼者の法令違反行為を知ったときはこれを指摘して避止するように説得する義務を新設し,組織内弁護士についてはそれと同趣旨の規定に改める案を検討しているところです。」とする。

 

ここで筆者が気になったのは(他にもより重要な法的問題点があるとは思うが,ひとまずそれは措くとして),「法令違反行為を避止するように説得を試みなければならない」のうちの「避止する」という文言である。

 

この「避止」に関して,特に弁護士として注目しておきたい判例が1つあるので(特に若手弁護士の先生は(よく)知らない先生もいるかもしれないので)紹介する。それは,日本弁護士連合会調査室編著『条解弁護士法〔第4版〕』(弘文堂,平成19年)15~16頁でも,弁護士の「誠実義務」(11~13頁)の関連裁判例として紹介されている,「違法な行為」を「阻止するように最大限の努力を尽すべき…法的義務」がある旨判示した東京地判昭和62年10月15判例タイムズ658号149(以下「昭和62年東京地判」ということがある。)である。

 

そして,この裁判例は,近年,法社会学研究者の石田京子先生の論考「専門職の倫理―弁護士を中心に」論究ジュリスト22号(2017年)55~61頁(58頁)でも言及され,再び法社会学や法曹(弁護士)倫理等に関する裁判例として注目されているように思われる。そのため(石田先生は前掲座談会のメンバーの一人),改正案14条の2の積極理由ないし論拠(改正すべきことを基礎づける事由の1つ)として昭和62年東京地判を挙げていることが予想される。

 

そこで,少し長いが,以下,この裁判例すなわち「持分3分の1を有する持分権者の建物が無断で取壊された場合において、その仲介をした弁護士に損害賠償責任が肯定された事例」(判例タイムズ658号149頁)の問題となっている部分を掲載する。

 

ちなみに,裁判例の冒頭から登場する被告「山分」氏とは,被告3名の訴訟代理人である山分榮弁護士のことである(判例タイムズ658号150頁)。

 

(以下,引用)

3 被告山分について

 被告山分が被告羽石に対して本件建物を取壊しても何ら法律的に問題がないと述べたという事実は、右のとおりこれを認めることはできない。

 被告羽石本人は、昭和58年2月21日に被告山分に会つた際には、被告田島から、「解体の羽石です」と紹介され、自分が解体をすると述べた旨供述するが、被告田島の本人尋問の結果と対比して措信することができない。また、原告本人は、小野建設の担当者川野から、川野が売買契約前に被告山分の事務所を訪問し、被告山分に本件建物を本当に取壊すことができるのかと聞いたところ、被告山分は川野に必ず取壊すと述べたと聞いていると供述しているが、川野が事実を述べているか疑問であり、右供述を直ちに採用することはできない。被告山分が、原告に無断で取壊すと述べたという趣旨であるかどうかも明らかではない。

 結局、被告山分が被告羽石に本件建物の解体を指示し、あるいは被告田島、同羽石らと本件建物の解体を共謀したことを認めるに足りる証拠はない。

 しかし、〈証拠〉によれば、昭和57年12月に被告井上ら所有土地を買受けたいとの希望を持つていた小野建設の担当者を被告田島が被告山分の事務所へ同道し、被告山分が小野建設の担当者に被告井上らと原告との間の争いについて説明し、小野建設で更地にすることは無理だから右土地を買受けるのは断念したらどうかと話し(小野建設は右土地を更地にして利用したいという意向であつた。)、小野建設が右土地を買取るという話は一時中止になつた事実があることが認められる。ところが、昭和58年2月23日には、小野建設も参集して売買契約の締結とその履行等をしているのであるから、被告山分は遅くともこの時点では被告井上ら所有土地を羽石建材から買受けるのは小野建設であるということを知つたはずである。そして、小野建設はかねて更地になつた上でこれを買受けることを希望していたのであり、被告山分はこのことを知っていたのであるから、被告山分としては、被告井上らと小野建設との間に介在する羽石建材が、本件建物の原告の持分3分の1の問題について何らかの解決をして、土地を更地にした上で小野建設に引渡すことを約しているものであることは推測しえたはずである。ところで、被告山分は昭和57年10月には被告井上らの代理人として本件建物の所有権の放棄について原告と交渉し、また、原告が申請した本件建物取壊し禁止の仮処分事件においても被告井上らの代理人として関与していたのであるから、原告が本件建物について持分3分の1を有することを強く主張し、話合いには容易に応じない意向であることを十分に知つていたはずである。したがつて、被告山分としては、被告羽石あるいは被告田島がどのような方法で原告との間の問題を円満に解決し、あるいは将来解決しようとしているのか、疑問を抱くのが当然である。ところが、被告山分は、被告井上らと羽石建材との間の売買契約書に「羽石建材は引渡後は使用等の処分について原告と協議してこれをなすものとし、将来原告より被告井上らに対し異議請求のないようにする」との条項を入れただけで、被告羽石あるいは被告田島に対し、原告との紛争の解決方法等について問い質したことを認めるに足りる証拠はない。また、被告田島あるいは被告羽石が敢えて違法な行為をするようなことのない信用するに足りる人物であること、あるいは少なくとも外観上はそのような人物であるように見えたことを認めるに足りる証拠もない。したがつて、被告山分は、被告田島及び被告羽石が何らかの違法な手段、場合によつては原告に全く無断で本件建物を取壊すという方法で被告井上ら所有土地を更地にしてこれを小野建設に転売する意図を有していることを察知しながら、これを黙認し、右土地及び本件建物の持分3分の2の羽石建材への売却に関与したものと推認せざるをえない。原告との間で話合い等による解決ができたのかどうかは、当の原告に問い合せれば直ちに判明するはずであり、弁護士である被告山分がこのことに思い及ばなかつたはずはない。ところが、被告山分がこのような問合せをしたことを認めるに足りる証拠はなく、この点も右の推認を裏付けるものである。

 そして、被告山分が被告井上らに代つて右売却を承諾した結果、本件建物は被告田島、同羽石によつて取壊されたのであるから、被告山分の行為と本件建物の取壊しとの間には相当因果関係があり、また、これについて被告山分には少なくとも被告田島、同羽石に対して原告との紛争をどのように解決したのか、あるいは今後解決するのか確認しなかつた点に過失がある。被告山分は弁護士であり、弁護士は社会正義を実現すること等の使命に基づき、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持に努力しなければならないとされている(弁護士法1条)のであるから、自己の受任した法律事務に関連して違法な行為が行われるおそれがあることを知つた場合には、これを阻止するように最大限の努力を尽すべきものであり、これを黙過することは許されないものであると解される。そして、これは単に弁護士倫理の問題であるにとどまらず、法的義務であるといわなければならない。

(以上,引用終わり。判例タイムズ658号(1988年)149~163頁(161~162頁)。下線は判例タイムズ162頁の下線と同じ。太字による強調は引用者)

 

 

3 昭和62年東京地判の検討(現行の職務基本規程14条との関係)

 

ところで,現行の規定である職務基本規程14条は,「弁護士は、詐欺的取引、暴力その他の違法若しくは不正な行為を助長し、又はこれらの行為を利用してはならない。」(下線引用者)としている。

 

ここで,日本弁護士連合会弁護士倫理委員会編著『解説「弁護士職務基本規程」第3版』(日本弁護士連合会,2017年)によると,「助長」とは、「違法・不正であることを知りながら、これを第三者に推奨したりすることによって、違法・不正の実現に手を貸したり、その存続または継続を支援したりすること」をいい(同書32頁),また,「利用」とは,「違法・不正な行為によって、弁護士が自らの事件処理を有利にしたり、またはそれに便乗して利益を得たりすること」(下線引用者)をいう(同頁)ものとされている。

 

また,日本弁護士連合会 弁護士倫理に関する委員会編『注釈弁護士倫理 補訂版』(有斐閣,1996年)によると,「利用」とは,「たとえば暴力その他これに類する行為によって,弁護士自らが事件の処理を容易にしようとし,あるいはそれに便乗して利益を得ようとすることなど」(下線引用者)であるとされており(同書60頁),「助長」に関しても,「本条が規定する違法又は不正な行為を行い,もしくはこれを行いつつある依頼者に対し,それらの行為の敢行をそそのかし,手助け等することが,本条が規定する義務に違反することは,いうまでもない。積極的に関与した場合だけでなく依頼者の違法又は不正な行為を知りながら,これをたしなめることなく,逆に容認する態度を取るようなことも『助長』にあたる」(同頁)とされている。

 

このような「助長」・「利用」の意義や例(特に前掲『注釈弁護士倫理 補訂版』の方のもの)などに照らせば,前掲昭和62年東京地判は,現行の職務基本規程14条の枠内で説明可能な弁護士の行為が問題となった事例といえ,仮に同判決当時に職務基本規程(平成16年制定)が存在したのであれば,同条の適用が問題となりうる(事件助理を「容易に」しようとする「利用」か,違法行為を「知りながら…容認する態度を取る」場合に当たる)ケースであったものと考えるべきであろう。

 

 

4 昭和62年東京地判は改正案14条の2の論拠にはならないこと

 

以上に述べたとおり,前掲昭和62年東京地判は,現行の職務基本規程14条の枠内で説明可能といえ,この判例は,改正案14条の2の論拠にはならないものというべきである。

 

 

職務基本規程改正案14条の2につき,改正すべき(同条を追加ないし新設すべき)理由がない(乏しい)ことに関しては,他にも言わなければならないこと考えることがある(弁護士の基本的人権の擁護のための諸活動に具体的な支障をきたすリスクがある,改正の立法事実が無いか薄弱である等)が,本日はひとまずこのあたりで筆を擱くこととする。

 

 

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「じつは、日本の社会には、子どもが理由を使って考えて、きちんと自分の考え方を説明しようとすることは、よくないことだと思っている人がいっぱいいる。そういう人たちが子どもに向けるのが、『ナマイキだ!』ってことばだね。

(中略)

 でも、どうだろう。たしかに、キミたちには、知らないことがいろいろある。だけど、知らないことがいろいろあるのは、ボクだって同じ。ボクは憲法の専門家として少しは勉強してきたけど、それでわかったことって、ほんの小さなことばっかり。大事なことは、やっぱり、よくわからない。その意味では、キミたちも、ボクも、あまり変わらないかもしれない。

 だから、自信をもってごらん。自分が正しいと思う理由があったら、堂々と、おとなの人に伝えるといい。」[2]

 

 

 

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[1] 西原博史『子どもは好きに育てていい 「親の教育権」入門』(日本放送出版協会,2008年)198~199頁。

[2] 西原博史『「なるほどパワー」の法律講座 うさぎのヤスヒコ、憲法と出会う サル山共和国が守るみんなの権利』(太郎二郎社エディタス,2014年)114頁。

 

 

 

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