平 裕介(弁護士・公法研究者)のブログ

主に司法試験と予備試験の論文式試験(憲法・行政法)に関する感想を書いています。

学習履歴や授業の出欠状況などの「個人の教育データ」を外部機関と「共有」する政府の提言は、生徒のプライバシー侵害(憲法13条違反)の疑いが濃い ―東京地判平成20年10月24日判例時報2032号76頁に照らした検討

「いまの世の中、『最大多数の最大幸福を実現するのはいいことだ。その結果、少数の人が不幸になってもしかたない』という考え方をしている人の方が多い。政治も、経済も、基本的には、多くの人が賛成することが正しいこと、という考え方をしている。

 逆に、だからこそ、法を使うときは、多数決とは違う考え方をするんだ。だって、法の世界まで多数決だったら、本当に一人ひとりの立場なんて意味なくなっちゃうから。」*1

 

 

 

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目を疑うレベルのニュースであった。

 

 

政府 学習履歴など個人の教育データ デジタル化して一元化へNHKニュース、2022年1月7日 15時51分)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220107/k10013419481000.html

 

(以下引用)

 

政府は学習履歴など個人の教育データについて、2025年ごろまでにデジタル化して一元化する仕組みを構築することになりました。

 

これは牧島デジタル大臣が、閣議のあとの記者会見で発表しました。

 

それによりますと、2025年ごろまでに個人の学習履歴や授業の出欠状況など、教育データをデジタル化して一元化するとしています。

 

こうした教育データを学校や教育機関が共有し、教育の向上につなげたいとしています。

 

そして、2030年ごろまでに本人が閲覧できるようにし、生涯学習などに役立てられるということです。

 

牧島大臣は「子どもたちの個性を伸ばすことができるよう、教育の現場でデジタル化の環境を整備し、具体的な政策として進めていきたい」と述べました。

 

(引用終わり)

 

 

この記事によると、政府は、生徒「個人」の「学習履歴」や「授業の出欠状況」、その他にも教育に関連する情報(「など」とあるため)を「個人の教育データ」として当該生徒の通学する学校以外の機関すなわち当該学校以外の学校や教育機関」と「共有」する政策を推進したいようである。

 

しかし、前記「個人の教育データ」は、生徒の「評定」と同様に、いわゆる「プライバシー」に属する情報に当たるものと考えられる。

 

興味深い判断を示した裁判例があるので見てみよう。東京地判平成20年10月24日判例時報2032号76頁*2である。

 

(以下引用)

 

ア 中学校における生徒の評定は、中学校が生徒の各学年における各教科の学習の状況に関し、必修教科については各教科別に中学校学習指導要領に示す目標に照らして、選択教科についてはその教科の特性を考慮して設定された目標に照らして、それぞれその実現状況を総括的に評価したものである。

評定は、中学校が生徒に対して行う外部からの評価にすぎないとしても、その内容により、学習指導要領の実現状況、学習態度、技能等の当該生徒の外面のほか、学習意欲及び資質等の当該生徒の内面をも推知することができ、当該生徒固有の情報を推知し得る情報であるから、いわゆるプライバシーに属する情報に当たる。

したがって、生徒は、かかる評定をみだりに開示、収集、保有及び閲覧等(以下「開示等」という。)されない利益を、憲法一三条により保障されていると解される。

イ そして、評定は、生徒の外面のほか、その内面をも推知できるものであることからすれば、これをみだりに開示等されない利益は、生徒にとって重要な利益であり、その保護の必要性は大きいといえる

(中略)

ウ これらのことから、生徒の評定は、当該生徒に対する継続的な教育に使用する目的で付されるものであるといえ、生徒の教育に携わる者の間で共有される必要のある情報であるといえる。

したがって、評定が、当該生徒に対する継続的な教育の目的に基づき開示等される限り、当該生徒のプライバシーに対する制約は許容されるものといえる。

しかし、当該生徒に対する継続的な教育と関係のない開示等をこれと同列に扱うことはできない。

(中略)

エ 被告都及び被告区は、原簿の提出の目的が都立高校の入学者選抜の公平・公正な実施にあると主張するところ、都立高校の入学者選抜が公平・公正に実施されるべきであるのは当然である。

しかし、都立高校へ出願しない生徒について、その評定が氏名とともに原簿に記載されて提出されることは、当該生徒に対する継続的な教育とは無関係であり、上記公平・公正のために必要であるとしても、そのことから直ちに当該生徒の氏名及び評定の開示等が許容されることにはならない(なお、原簿提出の必要性が乏しいことは後述するとおりである。)。

したがって、被告都及び被告区が原簿の提出を求め、これを収集し、被告学校が原簿を提出することは、原告のプライバシーを侵害する違法な行為であるといえる。

 

(引用終わり、下線引用者)

 

 

この裁判例を参考に検討すると、前記「個人の教育データ」も、「評定」と同様に、学校が生徒に対して行う外部からの評価の内容により、学習指導要領の実現状況、学習態度、技能等の当該生徒の外面のほか学習意欲及び資質等の当該生徒の内面をも推知することができ当該生徒固有の情報を推知し得る情報にもなりうる余地があるものであるから、いわゆる「プライバシー」に属する情報に当たると考えられる(住基ネット事件判決*3のいう「個人の内面に関わるような秘匿性の高い情報」に当たるものといえるだろう。なお、前掲東京地判よりも前の判例である麹町中学内申書事件判決*4との関係も問題になるが、同判決の判示を理由に個人の評定や教育データが当該生徒の内心を推知し得ない情報に当たると解することはできないものと解する。)。

 

そして、上記情報の性質からすれば、「個人の教育データ」をみだりに開示等されない利益は、生徒にとって重要な利益であり、その保護の必要性は大きいものというべきである。

 

そうすると、例えば、少なくとも、高校や大学へ出願しない生徒につき*5、その「個人の教育データ」が外部の学校関係者や文部科学省の関係機関(これも「教育機関」に当たるとされる危険がある)、さらには外部の「教育機関」(民間企業等を含む語と思われる)と「共有」されることによって当該生徒の属する学校以外の外部者に当該「個人の教育データ」が開示される(そしてそれを前提に収集・保管される)ことは、当該生徒に対する「継続的な教育とは無関係」の開示等であり、政府が述べるように一定の公益目的に必要であるとしても、上記生徒のプライバシーの侵害とされ、憲法13条に違反することとなろう。

 

以上のことに対し、政府としては、「生涯学習」に有益な情報であるから、当該生徒に対する「継続的な教育」と無関係とはいえない、などと反論するかもしれない。

 

しかし、前掲東京地裁のいう「継続的な教育」とは、「生涯学習」といった長期的な教育について述べたものではないといえる。さらに、人は誰でも抽象的には「生涯学習」と関係がある生き物だからOKだという主張がまかり通ってしまうことになると、政府はすべての市民の「個人の教育データ」を殆ど取り放題になってしまい、極めて不合理である。

 

加えて、「個人の教育データ」は、内容によっては社会的差別に係るセンシティブ情報に当たる可能性も否定できないものであることから、「やむにやまれざる事由がない限り、収集、提供してはならない」*6ものというべきであるところ、そのような「やむにやまれざる事由」は本件の教育データ共有政策において存在しないものと考えられる。

 

なお、日本学術会議 心理学・教育学委員会・情報学委員会合同 教育データ利活用分科会の「教育のデジタル化を踏まえた学習データの利活用に関する提言―エビデンスに基づく教育に向けて―」(令和2年(2020年)9月30日付け)*7は、「行政機関などの法人外で学習データを利用する際は、不可逆な匿名化の技術を適用してデータを…適切に処理し…『個人を特定するような分析をしてはいけない』のようなデータ利活用時の禁止事項…の遵守」をすべきとしている(提言全文10頁)ことから、この日本学術会議の提言と、このたびの政府の「個人の教育データ」の利活用の提言とは“別モノ”だと言わなければならないだろう。

 

 

 

 

以上より、このたびの政府の提言する「個人の教育データ」の「共有」政策は、生徒のプライバシーを侵害し、憲法13条に違反する違憲な行為を含む政策である疑いが濃いものと考えられる。

 

 

 

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「多数決を使っていいときと、使っちゃいけないときとを、うまく見分けなきゃいけない。そして、みんな(=多くの人)のためだったとしても、こわしてはいけない、一人ひとりにとって大切なものがある。それを示しているのが、憲法で保障された『基本的人権』だ……『基本的人権は、多数決でも否定できない』ってことだ」*8

 

*1:西原博史『「なるほどパワー」の法律講座 うさぎのヤスヒコ、憲法と出会う サル山共和国が守るみんなの権利』(太郎次郎社エディタス、2014年)110頁。

*2:LEX/DB文献番号は25450501である。

*3:最一小判平成20年3月6日民集62巻3号665頁。

*4:最二小判昭和63年7月15日判例時報1287号65頁。

*5:このような生徒以外との関係の検討はここではしないが、高校や大学へ出願する生徒のプライバシーとの関係では問題がないという趣旨ではないので、「少なくとも」と書いている。

*6:米沢広一『教育行政法』(北樹出版、2011年)136頁。

*7:https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/kohyo-24-t299-1-abstract.html

*8:西原・前掲注(1)110~111頁。