平 裕介(弁護士・公法研究者)のブログ

主に司法試験と予備試験の論文式試験(憲法・行政法)に関する感想を書いています。

令和2年司法試験予備試験論文憲法の答案における重要判例の活用法

「私は、サービス産業の片隅に身を置く一従業員にすぎないので、『教育はかくあるべし』式の理念・理想の類は持ち合わせておらず、与えられた仕事の範囲内で少しでも顧客満足度を高めることが使命だと心得ているだけである。」[1]

 

 

 

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 2020年12月27日(日)19時30分~21時頃まで、弁護士の大島義則先生伊藤建先生と、大島先生の行政法ガールⅡ出版記念・オンラインイベント(2日目)で、令和2年司法試験予備試験論文憲法の問題を検討した。

 

 そこで、出題趣旨公表前ではあるが、以下、検討結果を踏まえた令和2年司法試験予備試験論文憲法の解説をしてみたい。本ブログ筆者が立論者を担当したところ、上記イベントで、大島義則先生・伊藤建先生から有益なコメントを多数いただいた。

 

 これらを以下の解説に十分に活かしきれなかった部分もあるが、これはもとより筆者の力不足が原因であり、文責がすべて筆者にあることは言うまでもない。

 

 

Ⅰ 出題の背景

 

 問題文の1行目に「報道機関による取材活動について」とあるとおり、令和2年(2020年)司法試験予備試験のメインテーマは、報道機関(マス・メディア、マスコミ、プレスともいわれる[2]。)の取材の自由[3]である。事案類型[4]としては、取材の自由を立法によって直接的に規制するタイプのものといえる。

 

 出題の背景として考えられることは、①2019年が裁判員制度の開始から10年の節目の年であり[5]裁判員法における報道・取材の自由の制約の許否は裁判員法施行当初から論点の1つとされていたこと[6]、②2019年7月に起きた京都アニメーション放火殺人事件の被害者の実名報道や「メディア・スクラム」等に関するニュースが比較的大きく報道されていたこと[7]、③令和2年司法試験予備試験考査委員による問題作成に係る会議が2019年の(恐らく)秋頃以降に開催されており、①・②は当時のホットトピックの1つであったこと、④多くの憲法学者が従前より(法案の段階から)特定秘密保護法表現の自由(報道・取材の自由を含む)の規制に関心があったこと[8]、⑤予備試験論文との関係では報道・取材の自由は未出題であり[9]、これらの憲法上の自由に関して学者(研究者)の考査委員が判例解説等を書いていたこと[10]などである。

 

 

Ⅱ 過去問との関係

 

 上記のとおり予備試験では未出題であったが、ボリューム感の近い旧司法試験との関係では、やや古い問題ではあるが、報道・取材の自由との関係で参照しておきたい過去問として(予備試験受験生のみならず法試験受験生も)①平成21年(2009年)旧司法試験論文憲法がある。この問題は、現在の(当時はもちろん異なる)司法試験考査委員である宍戸常寿教授が事実上解説されていることもあり[11]、同問題の出題趣旨及び同解説と合わせて精読を強く勧める。

 

 司法試験(新司法試験)との関係では、博多駅事件博多駅テレビフィルム提出命令事件)[12]を参考判例の1つとして答案を書くべき出題がなされた②平成23年(2011年)司法試験論文憲法[13]、報道・取材の自由と(とも)密接に関わるフェイク・ニュース規制法が出題された③令和元年(2019年)司法試験論文憲法あたりをつぶしていれば、ある程度有利であったように思われる。また、法文の不明確性(漠然故に無効の法理)等の論点との関係では、③に加えて、④平成30年(2018年)司法試験論文憲法、⑤平成20年新司法試験論文あたりが参考になる。

 

 以上のうち、①・②は、令和2年予備試験との関係で、特に参考になろう。なお、取材等中止命令の前提として犯罪被害者等による取材等の「同意」については、同意制について検討が必要とされた平成23年司法試験論文行政法、「周辺住民の過半数の同意」の要件が問題となっていた平成19年新司法試験論文憲法が参考になる。

 

 

Ⅲ 判例を意識した論述の必要性

 

 令和元年(2019年)司法試験予備試験論文憲法の出題趣旨は、「判例としては,剣道受講拒否事件(最高裁判所第二小法廷平成8年3月8日判決,民集50巻3号469頁)を意識することが求められる。もっとも,事案には異なるところが少なくないので,直接参考になるとは限らず,同事件との異同を意識しつつ,事案に即した検討が必要である。」として判例を意識した論述が必要である旨コメントしている。

 

 また、令和元年司法試験の採点実感(公法系科目第1問)2頁第1の3は、「関連する判例への言及は,以前に比べると増えているが,問題はその引用の適切さである。判例の表面的な理解が目に付くことが多く,当該判例を正確に理解し,本問との区別の可能性を検討した上で,自らの見解を基礎付けるために適切に引用しているものはまだ多くない。」(下線引用者)としている。

 

 以上のことなどに加え、もともと現在の法科大学院での指導や司法試験の出発点は、「論証パターン」を吐き出すのが憲法の答案であるという、旧試験時代の「論点主義の解答」を否定することであった[14]ことにも照らすと、本問(令和2年司法試験予備試験論文憲法)でも関連する判例名を明記した論述が望ましいといえる。

 

 では、どの判例をどのように答案に書くべきか。以下、答案例で示してみたい。

 

 

Ⅳ 答案例[15]

 

1 取材の自由の保障及び制約[16]

(1)取材活動を禁止する立法(以下「法」という。)で問題となる報道機関の事実の報道の自由表現の自由憲法(以下法名略)21条1項)に含まれるものと解され(博多駅事件決定)、また、報道機関や記者等の報道関係者の報道のための取材の自由も一定の場合に保障される。すなわち、取材の自由につき、憲法21条の「精神に照らし、十分尊重に値する」とした同決定の趣旨は、完全な保護を享受するものではないが、一定の場合には21条1項による保護が及ぶとする点にあると解される[17]

 さらに、取材目的での接触の自由も、上記取材の自由に必要不可欠な前提あるいは一内容となりうる活動を行う自由であり、報道が正しい内容をもつため[18]、同様に一定の場合には保障されると考える。

(2)また、犯罪被害者等の同意がある場合を除き「取材等」が禁止され、法に基づく取材等中止命令が発出させられたにもかかわらず、同命令に違反し取材等を行った者は処罰されることから、上記取材の自由及び取材目的での接触の自由(以下「取材等の自由」という。)は制約されている。

2 文面審査[19]

(1)漠然故に無効の法理(31条、21条1項)

 取材等の自由の制約に関し、法の定義規定のうち、犯罪「に準じる心身に有害な影響を及ぼす行為」(=「犯罪等」)という文言は、法文として不明確ではないか。

同法理の趣旨は、罪刑法定主義(31条)との関係で①恣意排除、②公正な告知にあるほか、③表現行為(21条1項)に対する萎縮効果[20]の除去にあるところ、本問でも記者及び報道機関の取材行為につき萎縮効果の除去等を図る必要があるため、同法理が妥当しうる[21]

 そこで、「通常の判断能力を有する一般人の理解において」判断可能な「基準が読みとれるか」否かにより、法文の明確性を判断すべきである(徳島市公安条例事件判決[22]参照[23]

 法の上記定義規定については、確かに、「著しく」[24]「殊更に」[25]などの文言による限定はない。しかし、同判決が判断したのと同様に、上記一般人の理解において「殊更に」心身に有害な影響を及ぼす行為であるとの基準が読みとれると考える[26]。また、「犯罪」が法律家の法的評価を含む文言であるため不明確とも思えるが、捜査機関が犯罪被害者等に同意するか否かにつき確認し、報道関係者に回答あるいは公表することとされている仕組みに照らすと、「犯罪等」とは、その被害者や家族・遺族が不同意とする範囲の行為といえることから、上記一般人の理解においても判断可能な基準が読みとれると考える[27]

 よって、法は憲法適合性を欠くものではなく、合憲である。

(2)過度の広汎故に無効の法理(31条[28]、21条1項[29]

 仮に明確な法文であっても、規制対象があまりにも広汎違憲的に適用される可能性があると、規制すべきではない行為を規制対象に含むこととなるため、当該法文は過度の広汎故に無効の法理より違憲となる[30]。本問では、「犯罪」につき法定刑の下限等の限定がないため、同法理が問題となる。

 同法理の趣旨が萎縮効果の除去にあることに照らすと[31]、法解釈により規制対象となるものとそうでないものとが区別され(規定が可分であること)、かつ、合憲的に規制しうるもののみが規制対象となることなど[32]から合憲限定解釈が可能であれば合憲と解される[33]税関検査事件判決[34]参照)。

 法の上記各定義規定との関係では、例えば、痴漢被害の実態を調査する取材につき、(ⅰ)強制わいせつ罪(刑法176条)ではないが、(ⅱ)自治体の迷惑防止条例違反の罪の被害者の家族が取材の相手方となる場合、(ⅰ)と(ⅱ)が可分とはいえず、(ⅱ)のメディア・スクラム発生の蓋然性が殆どないような、本来規制すべきではない取材等を規制対象に含むこととなりうる。ゆえに、報道関係者が取材等を躊躇する場合が増え、その萎縮効果の排除はできない。

 よって、法は過度に広汎な規制であるから、法文全体[35]違憲無効である[36]

3 文面審査以外の法令違憲[37]

(1)判断枠組み(審査基準)

 明確性の基準(文面審査)との関係では違憲ではないとしても、取材等の自由(21条1項)の制限についての実質的正当化事由はあるか。合憲性判断の審査基準等が問題となる。

 前述した博多駅事件決定の「尊重に値する」という判示の趣旨や、取材等中止命令等が取材対象者の私生活の平穏を保護する必要性からなされ、この私生活の平穏人格権の一内容として、すなわち自宅や勤務先で自己の欲しない刺激により「心の平穏を乱されない利益」として13条後段福追求権に含まれるものと解されること(「囚われの聴衆」事件[38])にも照らすと[39]、取材等の自由の保障の程度は、報道の自由と比べて低い[40]といえる。

 しかし、博多駅事件決定のように、テレビフィルム提出命令がなされることにより将来の取材が困難となるような制約態様とは異なり、法の取材等中止命令は、取材行為等そのものを立法によって直接禁止するものであり[41]、かつ、表現内容に着目した規制[42]であるから、制約の程度が強い

 そこで、博多駅事件決定のような具体的な利益衡量(比較衡量)の基準[43]ではなく、より厳格な基準[44]すなわち中間審査基準(①目的重要性及び②手段実質的関連性を要する)によるべきである[45]

(2)具体的検討

 ア 法の犯罪「に準ずる心身に有害な影響を及ぼす行為」につき、著しく、あるいは殊更に有害な影響を及ぼす行為という意味に限定解釈が可能と考えると、単なる抽象的・主観的な不安感ではなく、客観的にみて有害な影響を受けない利益を保護する規制といえること[46]、被害者側には何の落ち度もなく、その私生活の平穏を保護する要請(13条後段参照)が高いことに照らすと、①目的は重要といえる。

 イ また、法は「同意」がない場合であることを前提に取材等中止命令が発出された段階で初めて違反行為を処罰する段階的な規制[47]であり、同命令の「解除」や、報道関係者に対する適正な手続の履践も法定されていることから、自主規制等の他の手段では目的を達成できないようにもみえる。

 しかし、前記2(2)のとおり、法定刑の下限等の限定がないなど規制の範囲が広いことから、メディア・スクラムが生じる客観的蓋然性がないような場合も取材等中止命令の対象としうるものであるから、そのような場合の規制については立法事実を欠く(規制目的と手段との関連性がない)ものといえる。

 さらに、同意は制限のない拒否権を犯罪被害者等に付与する面があることから客観的な基準とはいえないこと、原則禁止・例外許容という規制の仕組みが採られていること[48]、さらに、加害者が公務員等の場合など政府に不都合な犯罪等の場合において捜査機関側から犯罪被害者等に不同意の働きかけがなされる危険がある規制内容であること[49]にも照らすと、報道関係者にとって著しく負担の大きい規制内容といえる[50]。そのため、同意要件に代えて、例えば、取材等中止命令の前提要件として(ⅰ)客観的にみて私生活の平穏が害される相当の蓋然性があり[51]、かつ(ⅱ)取材等の「手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認される」(取材行為そのものが制約された事案である外務省秘密漏洩事件決定[52])とはいえない取材等がなされた場合といった要件を法定するという、より制限的ではない他の規制手段があると考える[53]

よって、規制目的と手段の関連性や規制の相当性を欠き、②手段の実質的関連性が認められない[54]ため、法は違憲(21条1項違反)である。

以 上

 

 

Ⅴ 令和3年司法試験・予備試験の対策について

 

 令和3年司法試験・予備試験の対策については、恐らく試験実施時期がズレたことを考慮し、考査委員の多少の入れ替えがあった[55]ことから、出題方式の変更も一応考えられるところではある。

 

 とはいえ、新たな考査委員も、近年の(前年までの)出題方式や出題傾向といった「流れ」を無視するということは、通常考えられないことから、過去問の検討が重要である。

 

 過去問の検討は、多くの問題を素早く(広く浅く)つぶしていくという視点も試験対策上重要ではあろうが、問題によっては、各科目数問だけでも、できる限り詳細な(深い)検討をすると良いだろう。そうすることによって、さまざまな判例や関係する過去問資料、基本書、演習書、論文等に触れることができ、それらが1つの問題(論点)を多角的に緻密に検討する力(司法試験合格にも必要な力)を育てることになるからである(本ブログがその一助となれば幸いである。)。

 

 

 最後に、2021年(令和3年)が受験生の皆様にとって素晴らしい年であるよう祈念して、本年(2020年(令和2年))最後のブログを書き終えることとしたい。

 

 

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[1] 安念潤司憲法行政法の『融合』教育について」公法研究68号(2006年)100頁。

[2] 赤坂正浩『憲法講義(人権)』(信山社、2011年)54頁参照。

[3] 取材の自由の憲法上の位置付けにつき、大島義則『憲法の地図――条文と判例から学ぶ』(法律文化社、2016年)73~74頁。同書は、最高裁調査官解説をガイドラインとする判例解説書であり、司法試験や予備試験との関係でも有用である。

[4] 事案類型とは、「いわば大づかみに捉えた事案の構造」(蟻川恒正「不起立訴訟と憲法一二条」公法研究77号(2015年)97頁(98頁))のことである。なお、同103頁注(2)の各文献も参照。

[5] 論究ジュリスト2019年秋号(31号、2019年11月発行)では「司法制度改革20年・裁判員制度10年」という特集が組まれている。

[6] 松井茂記『LAW IN CONTEXT 憲法』(有斐閣、2010年)(以下「松井・LAW IN CONTEXT」)11~20頁(「裁判員制度と取材・報道の自由」)、同「裁判員制度とマス・メディア」同『マス・メディアの表現の自由』(日本評論社、2005年)219~239頁、土屋美明裁判員制度と報道――公正な裁判と報道の自由』(花伝社、2009年)等。なお、アメリカやイギリス、カナダでも陪審裁判に関する報道禁止命令の法制度があり、比較法的検討との関係で参考になる(松井・LAW IN CONTEXT13頁)。

[7] なお、日本新聞協会編集委員会は、2020年6月11日、事件や事故で多数の記者が被害者や関係者のもとに詰めかけるメディアスクラム(集団的過熱取材)が確実とみられる場合、代表取材を申し込むなど、「防止へ万全の措置を講じる」との申し合わせをした。新聞社・通信社とテレビ局からそれぞれ代表者を選んで取材を申し入れたり、各社の質問を取りまとめて代表取材をしたりすることで、取材される側の負担軽減を図るものである(林幹益「代表取材でメディアスクラム防止へ 新聞協会申し合わせ」同日23:35朝日新聞ウェブ版)。

[8] 特定秘密保護法の適用(刑事事件)を争う主張等を論じさせる問題・解説(解答例付き)として、齊藤愛「弱き者、汝の名は男なり」宍戸常寿編著『憲法演習ノート――憲法を楽しむ21問[第2版]』(弘文堂、2020年)(以下「宍戸・演習ノート」という。)220~240頁。寺田麻佑=駒村圭吾=小山剛=宍戸常寿「放送・メディア・表現の現在 ―情報通信規制の現在を踏まえて― シンポジウム全文」社会科学ジャーナル81号(2016年)65頁(118頁〔宍戸〕)等参照。なお、このシンポジウムの登壇者の一人である宍戸教授(令和2年司法試験&同予備試験考査委員)は、放送とメディアの在り方について様々な形で提言を行っており、また、小山剛教授(令和2年司法試験&同予備試験考査委員)は、基本権保護の法理の専門家で、BPO 委員(同シンポジウム当時)でもある。

[9] 中央大学真法会指導スタッフ「特集 司法試験・予備試験 論文直前対策! 必須・選択全15科目の出題論点予想」受験新報831号(2020年5月号)2頁(予備試験論文憲法の出題論点につき、10頁)参照。なお、司法試験(新司法試験)論文憲法の出題論点については3頁、旧司法試験論文憲法の出題論点については同13頁が参照。

[10] ①小山剛(令和2年司法試験予備試験考査委員)「判批」(NHK記者事件(最三小決平成18年10月3日民集60巻8号2647頁)解説)長谷部恭男=山口いつ子=宍戸常寿編『メディア判例百選[第2版]』(有斐閣、2018年)4~5頁、②山下純司=島田聡一郎=宍戸常寿『法解釈入門[第2版]――「法的」に考えるための第一歩』(有斐閣、2020年)(以下「山下ほか・法解釈入門」という。)165頁〔宍戸常寿(令和2年司法試験予備試験考査委員)〕(後掲博多駅事件決定に言及)、同166頁〔宍戸常寿〕(後掲外務省秘密電文漏洩事件決定に言及)、同174~184頁〔宍戸常寿〕・同185~190頁〔島田聡一郎〕(後掲広島市暴走族追放条例事件を解説)、③池田真朗編著・小林明彦=宍戸常寿=辰井聡子=藤井康子=山田文著『判例学習のAtoZ』(有斐閣、2010年)119、130頁〔宍戸常寿〕(博多駅事件決定(後掲)に言及)等参照。ちなみに、④宍戸常寿教授が編者の一人である上記『メディア判例百選』22~23頁の収載裁判例である大阪地堺支判平成9年11月28日判時1640号148頁(渡辺康行「判批」(同裁判例解説))も令和2年司法試験予備試験論文憲法の事案と関係のあるものといえよう。なお、②の書籍及び④の文献の情報については、オンラインイベントの際に大島義則先生からご教授いただいた。

[11] 宍戸常寿『憲法解釈論の応用と展開 第2版』(日本評論社、2014年)(以下「宍戸・応用と展開」)317~329頁。

[12] 最大決昭和44年11月26日刑集23巻11号1490頁。

[13] 小山剛=中林暁生「2011年 《第1問》――対話篇」法学セミナー編集部編『司法試験論文式過去問シリーズ 論文式試験の問題と解説 公法編 2006~2011年』(日本評論社、2013年)(以下「論文式試験の問題と解説」)8頁以下(10頁)等参照。

[14] 宍戸・応用と展開342頁。

[15] オンラインイベントで配布した資料の答案例とは同一ではない(若干修正した)。なお、Ⅰ~Ⅲの解説部分も若干修正した。

[16] 平成30年(2018年)司法試験論文憲法の出題趣旨1頁(第4段落)は「憲法第21条に関しては,まず,知る自由が,憲法第21条第1項により保障されることに言及した上で,購入や貸与を受けることを制限される青少年について,その自由の制約になるかどうかを論じることとなろう。」としていることなどから、保障→制約→正当化(形式的正当化(法令違憲のうちの文面審査)→実質的正当化(それ以外の法令審査・実質的正当化事由)という流れで答案を書くべきと考えられる。

[17] 曽我部真裕「判批」(博多駅事件決定解説)憲法判例研究会編『判例ラクティス憲法〔増補版〕』(信山社、2014年)(以下「判プラ」)165頁等参照。本答案例では、「保障」と「保護」を同様の意味で用いている。ちなみに、平成30年(2018年)司法試験論文憲法の出題趣旨1頁(第4段落)が「憲法第21条に関しては,まず,知る自由が,憲法第21条第1項により保障されることに言及した上で」(下線引用者)としていることに照らすと、「十分尊重に値する」と書くにとどめるような答案(そのような答案の例として、齊藤愛「弱き者、汝の名は男なり」宍戸・演習ノート」220~240頁(238頁))は司法試験では避けるべきと考えられる。なお、報道機関の人権享有主体性(団体の人権・法人の人権)の論点については、一応観念することはできるので(渡辺康行=宍戸常寿=松本和彦=工藤達朗『憲法Ⅰ』(日本評論社、2016年)(以下「渡辺ほかⅠ」という。)42頁〔宍戸常寿〕参照)、書くこと自体間違いとまではいえないが、博多駅事件決定がこの論点に触れていないことなどから、書く必要はなかろう。

[18] 博多駅事件決定も、「報道機関の報道が正しい内容をもつためには報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない」(下線引用者)と判示する。

[19] 佐藤幸治日本国憲法論[第2版]』(成文堂、2020年)(以下「佐藤」という。)706頁、安西文雄=巻美矢紀=宍戸常寿『憲法学読本 第3版』(有斐閣、2018年)(以下「安西ほか読本」という。)151頁〔宍戸〕参照。「文面上の合憲性」(西村裕一「逃亡の果てに」宍戸・演習ノート241~260頁(254頁))という小見出しでも良いだろう。なお、「形式的正当化」(渡辺ほかⅠ235頁〔宍戸〕)という小見出しは避けた。

[20] 「委」縮ではなく「萎」縮の方の漢字を用いるので受験生は注意されたい(佐藤283頁、安西ほか読本151頁〔宍戸〕、渡辺ほかⅠ236頁〔宍戸〕)。

[21] 渡辺ほかⅠ236頁〔宍戸〕。

[22] 最大判昭和50年9月10日刑集29巻8号489頁。

[23] 徳島市公安条例事件判決自体は条例の明確性の判断基準に係る判示において31条には言及するが21条については言及していないところ、本答案例では21条にも言及しているため「参照」と書いた。もっとも、考査(採点)委員にこの「参照」の趣旨が伝わらない危険もあるので、「(徳島市公安条例事件判決参照)」の記載自体必要ないという考え方も一定の合理性があるものといえる。

[24] 平成20年新司法試験論文憲法の架空法令2条2号。なお、児童虐待防止法児童虐待の防止等に関する法律)2条4号は心理的虐待につき定義しているところ、「児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力…の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準じる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう…」その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと」(下線引用者)として定義の明確化を図っている(磯谷文明=町野朔=水野紀子編集代表『実務コンメンタール児童福祉法児童虐待防止法』(有斐閣、2020年)632頁〔橋爪幸代〕参照)。

[25] 徳島市公安条例事件判決(最大判昭和50年9月10日刑集29巻8号489頁)参照。平成30年司法試験論文憲法の架空法令7条柱書にも「殊更に」という文言がある。

[26] 実務的には、前掲徳島市公安条例事件判決の当てはめと同様に、「著しく」あるいは「殊更に」心身に有害な影響を及ぼす行為であるという基準が読み取れる(すなわち限定解釈(合憲限定解釈)することができる)と(裁判所によって)判断されることになろう(なお、この点については、木下昌彦編集代表『精読憲法判例[人権編]』(弘文堂、2018年)306頁〔木下昌彦〕の図が理解の助けになる。)。もっとも、身体的な有害性は客観的に判断しやすいが、精神面への有害な影響は比較的判断しにくいことから、前掲徳島市公安条例事件判決(の当てはめ)とは異なり、違憲と考える余地もあろう。

[27] オンラインイベントにて伊藤建先生より、文面審査(漠然故に無効の法理の論点を含む)は本問(令和2年司法試験予備試験論文憲法)では書くべきではない、あるいは書く必要ないはないのではないか、というご意見をいただいた。この点について、オンラインイベントでは十分な回答ができなかったので、あらためて本ブログで検討することとしたい。

確かに、答案例でも書いたとおり、捜査機関が犯罪被害者等に同意するか否かにつき確認し、報道関係者に回答あるいは公表することとされている仕組みに照らすと、「犯罪等」とはその被害者や家族・遺族が不同意とする範囲の行為といえるから、当該「犯罪等」の範囲は、少なくとも不同意の回答・公表があった段階においては明確なものとなっているので、漠然故に無効の法理の論点を挙げる必要はなく、あるいは挙げるべきではないという考え方もあろう。

とはいえ、法は、捜査機関が捜査を開始すると同時に犯罪被害者等の同意しないことを公表するという内容のものではない(現実的にはそのような法律を作ることは殆ど不可能だろう。)。そうすると、法は、萎縮効果が全く問題とならないという法律ではないものといえることから、萎縮効果が一応問題となる本問の法については、漠然故に無効の法理の論点を挙げ、検討することには一応の合理性があるように思われる。この点に関し、島田聡一郎=宍戸常寿「広島市暴走族追放条例事件――憲法と刑法の視点から――」山下ほか・法解釈入門174頁(189頁)〔島田総一郎〕は、いわゆる直罰規定ではなく、間接罰の規定(命令を出して、それに違反して初めて処罰を肯定できる規定)であることから、「命令が出されれば,人は,自らの行為が,処罰の対象となるか否かについて,十分判断が可能となる。この点は,合憲性を肯定する方向に働かないだろうか。」と述べる。しかし、命令(本問との関係でいうと取材等中止命令)が出される前の段階においても文面審査によって萎縮効果が除去されるべきことが「壊れやすく傷つきやすい」表現の自由(佐藤283頁等)規制の(文面審査による)萎縮効果の早期排除の要請(宍戸・応用と展開149頁)の趣旨に適うものであるというべきであろうから、間接罰の規定の法文についても漠然故に無効の法理の論点を検討する必要性はあると考えるべきである。

なお、答案例にも書いたとおり、前掲徳島市公安条例事件判決と同様に、「殊更に」という限定はないが、一般人の理解において「殊更に」心身に有害な影響を及ぼす行為であるとの基準が読みとれる(限定解釈が可能である)のではないかという点についても、出題者(考査委員)としては問いたかったのではなかろうか。そうであるとすれば、やはり漠然故に無効の法理については、結論自体は合憲だとしても、(どの程度の分量で書くべきかについては議論すべきところがあるとはいえ、)本問との関係で書くことが必要な論点であるというべきであろう。

ちなみに、前掲徳島市公安条例事件判決も、福岡市青少年保護育成条例事件判決(最大判昭和60年10月23日刑集39巻6号413頁)等も、結論は合憲とされているし、広島市暴走族追放条例事件(最三小判平成19年9月18日刑集61巻6号601頁)も、不明確性の点につき、簡単に「文言が不明確であるとはいえない」と一蹴(判プラ406頁〔宍戸常寿〕)していることに加え、前掲徳島市公安条例事件判決の判断基準によれば、「漠然性のゆえに文面上違憲との判断が下されるのは、当該法令があまりにも不明確であって適用されうるいかなる場合においても行動の指針を示すことができないようなきわめて例外的な場合に限られる」という学説による判例分析がなされていること(長谷部恭男『憲法[第7版]』(新世社、2018年)207~208頁)などに照らすと、漠然故に無効の法理の論点で結論を違憲とすることは少なくとも実務的には極めて難しいというほかなかろう。理論と実務を架橋することを目指す司法試験や予備試験においても、対象実務を意識した問題が出ると思われる以上、漠然故に無効の法理の論点で(本問のように、どちらの結論で書いても良い形式(出題方式)の問題において)違憲とする結論を採ることについては、良い意味での「萎縮」が必要であるといわなければならないだろう。

[28] 刑法の基本書ではあるが、西田典之著・橋爪隆補訂『刑法総論〔第3版〕』(弘文堂、2019年)62頁参照。

[29] 渡辺ほかⅠ236頁〔宍戸〕は、過度の広汎故に無効の法理との関係では、直接的に31条には言及していないようにみえるが、31条を根拠条文として特に排除したものではないという趣旨の記載にも読めると思われる。

[30] 渡辺ほかⅠ236頁〔宍戸〕、小山剛『「憲法上の権利」の作法 第3版』(尚学社、2016年)(以下「小山」という。)59頁、芦部信喜著・高橋和之補訂『憲法 第七版』(岩波書店、2019年)(以下「芦部」という。)214頁参照。

[31] 渡辺ほかⅠ236頁〔宍戸〕参照。

[32] 本問は、法律の規定が可分ではないという点がメインになると考えられるが、制限時間・答案の紙面との関係から、違憲的適用部分を除去するように解釈した結果、今度はその規定の意味が漠然としてしまう場合には合憲限定解釈が許されないという点(渡辺ほかⅠ237頁〔宍戸〕参照)については、答案に書かなくてもよいのではないかと思われる。

[33] 渡辺ほかⅠ237頁〔宍戸〕参照。

[34] 最大判昭和59年12月12日民集38巻12号1308頁。

[35] 木村草太「判批」(徳島市公安条例事件解説)長谷部恭男=石川健治=宍戸常寿『憲法判例百選Ⅰ[第7版]』(有斐閣、2019年)(以下「憲法百選Ⅰ」という。)179~181頁(181頁)等参照。

[36] オンラインイベントにて伊藤建先生より、過度の広汎故に無効の法理の論点は、本問(令和2年司法試験予備試験論文憲法)では書くべきではないのではないかというご意見をいただいた。また、大島義則先生から、仮に書くとしても、厚く書くべきではない旨のご意見をいただいた。

この点については、平成30年司法試験論文憲法の出題方式である「リーガルオピニオン型(法律意見書型)」(大島義則『憲法ガールⅡ』(法律文化社、2018年)178頁)の問題では、(令和元年司法試験論文憲法、令和2年司法試験論文憲法もこの出題方式の問題といえる。)では、「訴訟・紛争当事者の権利・利益に限らず、より広いステークホルダーの多様な権利・利益を検討する必要がある」(同179頁)ことが指摘できるといえ、かつ、過度の広汎故に無効の法理は、「第三者憲法上の権利・自由を主張することの可否」(「違憲主張適格」(平成20年新司法試験の採点実感等に関する違憲憲法)1(1))などとも称される)と関係のあること(佐藤683~684頁参照)からすれば、リーガルオピニオン型では同法理の論点は書くべきではない(あるいは書く必要ない)とも思える。確かに、「明確性と広範性は観念的には別の次元に属する問題」であり、「明確性は告知機能を果たさないし(予見可能性を与えない)という形式的・手続的問題であるのに対し,過度の広範性は,規制してはならない行為を規制対象に含むという,実質的観点に属する問題である(文面審査であるという点を除けば,薬局の距離制限等の通常の基本権問題との差異は,規制対象が広すぎるのか,それとも,その行為を規制対象とすることには問題はないが規制の強度が強すぎるのかという点にあるにすぎない)」という指摘もある(小山59頁)。

しかし、この指摘は「文面審査であるという点」は差異があることを認めるものであることから、リーガルオピニオン型で文面審査(同法理)を書くべきではない(あるいはその必要はない)という主張を十分に基礎づけるものとはならないといえる。このことは、「明確性と広範性は,ともに立法技術の維拙さに由来するものであり,立法事実等を検討するまでもなく,すでに文面審査によって違憲性が認定できるものである」(小山59~60頁、下線引用者)という論述からも読み取れる(と思われる)とおり、文面審査は、表現の自由の規制の萎縮効果の早期排除の要請(宍戸・応用と展開149頁)ないし「法律の違憲性を早期に確定するために文面上判断を優先すべき」(高橋和之立憲主義日本国憲法 第5版』(有斐閣、2020年)465頁)という考え方に照らすと、リーガルオピニオン型の問題においても(特に設問等で記載不要の指示がない限り)書くべき論点であるといえる。また、同法理は「潜在的な第三者憲法上の権利を主張することを認めることにもつながる」(安西ほか読本152頁〔宍戸常寿〕)という記述にもみられるように、違憲主張適格という訴訟上の論点だけを含意するものではなく、実体法(21条1項)の解釈問題の面も有するものであると考えられることや(宍戸・応用と展開148頁等参照)、さらには、平成30年司法試験論文憲法及び令和元年司法試験論文憲法の出題趣旨において同法理について検討することが求められていること(平成30年司法試験論文憲法の出題趣旨第4段落及び令和元年司法試験論文憲法の出題趣旨第3段落参照)も、リーガルオピニオン型の問題における同法理記述の必要性を基礎づけるものといえる。本問も、平成29年(司法試験論文憲法)までの訴訟・紛争型(大島・前掲『憲法ガールⅡ』179頁)ではなく、リーガルオピニオン型に分類される問題であるが、以上の理由から、本問においても、同法理を書くべきである。

ただし、どの程度書くべきか(分量の問題)については、同法理に係る論述内容と目的手段審査における手段審査における関連性審査等の点における論述内容とが実質的に重複する部分が出てくることから、どちらかを薄く書く(過度の広汎故に無効の法理の方を薄く書くということになろうか)などの工夫が必要になるといえよう。

[37] 佐藤708頁、平成20年新司法試験の採点実感等に関する意見(憲法)2頁・3(1)参照。「内容上の合憲性」(西村裕一「逃亡の果てに」宍戸・演習ノート241~260頁(255頁))あるいは「内容上の憲法適合性」という小見出しでも良いだろう。なお、「実質的正当化」(渡辺ほかⅠ238頁〔宍戸〕)という小見出しも考えられるが、三段階審査のキーワードをよく知らない考査委員(採点委員、特に弁護士等の実務家委員)もいるため、「実質的正当化」という語は「形式的正当化」と同じく書くことを避けた。

[38] 最三小判昭和63年12月20日判時1302号94頁。大阪市営地下鉄商業宣伝放送差止等請求事件(佐藤217頁),社内広告事件(渡辺ほかⅠ121頁〔松本和彦〕)とも称される(「囚われの聴衆」事件はむしろ俗称かもしれない)。

[39] 紙谷雅子「判批」(「囚われの聴衆」事件解説)憲法判例Ⅰ44~45頁(45頁)参照。

[40] 池田・前掲『判例学習のAtoZ』130~131頁〔宍戸常寿〕も、「憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値する」との判示につき、「この判旨は,取材の自由にも憲法21条の保護が及ぶとしつつ,その程度については,報道の自由よりも一段低いものと捉えたものとみることができるだろう」(下線引用者)と解説する。曽我部真裕「判批」(博多駅事件決定解説)判プラ166頁等も概ね同旨。

[41] 松井茂記日本国憲法〈第3版〉』(有斐閣、2007年)479頁は「情報収集権の制約は,情報収集行為を直接制約する場合と、将来の情報収集行為を困難にするような政府行為の場合の2つがある。」(下線引用者)とし、「外務省秘密漏洩事件西山記者事件)は,前者の例である」とし,人権制約(規制)の態様・程度の話をしている(松井茂記裁判員制度とマス・メディア」同『マス・メディアの表現の自由』(日本評論社、2005年)(以下「マス・メディア」)225頁も参照)。木下智文=只野雅人『新・コンメンタール 憲法(第2版)』(日本評論社、2019年)254頁〔木下智文〕も、「取材の自由を直接的に制約する例として、公務員の守秘義務違反のそそのかしに対する処罰がある」(下線引用者)とする。このような説明に対し、曽我部真裕「判例の流れ 表現の自由(4)」(博多駅事件決定解説)判プラ163頁は、「取材の自由には,まず,取材行為そのものが制約されない自由が含まれることはもちろんであ」り、「外務省秘密電文漏洩事件(中略)も取材行為そのものの制約の例である」とし、他方で、「将来の取材を困難にするような制約からの自由も取材の自由の内容となる」としており、取材の自由の保障内容面の話を中心に展開しているようにみえる。本答案は、便宜上上記松井教授や木下教授の説明によったものであるが、取材の自由のいわば外延部分の自由ではなく核心部分の重要な自由の制約であるという曽我部教授の説明も説得的であるし、このような論述をすることも考えられるところである。

[42] 松井・LAW IN CONTEXT14頁は、「表現内容に基づく制約であること」を厳格な基準が適用されるべきことの理由の1つとしている。なお、事前規制・事後規制の別については、本答案例で明記することを避けている。

[43] 松井・LAW IN CONTEXT14頁、宍戸・応用と展開321頁、小山83頁参照。

[44] 松井茂記裁判員制度とマス・メディア」マス・メディア226頁参照。

[45] 平成29年司法試験論文式試験公法系科目第1問出題趣旨は、中間審査基準の内容を「中間審査基準(目的の重要性,手段の実質的関連性)によるべき」と短く紹介する。本答案では、博多駅事件決定のような利益考量の基準によることなく、より厳格に基準によることとした(松井・LAW IN CONTEXT14~15頁等参照)が、この点に関し、判例は「目的手段審査の厳格な適用を,憲法上の権利が立法によって直接的に制約されている場面に限っている」(池田・前掲『判例学習のAtoZ』130頁〔宍戸常寿〕、下線引用者)という指摘が参考になる。なお、松井・LAW IN CONTEXT14頁は、博多駅事件決定の採る利益衡量の基準は不当である旨述べ、「厳格な基準」が用いられるべきであるとする。具体的には、(A)「実際に公正な裁判を受ける機会が奪われるな明白かつ現在の危険性の証明が要求されるべき」であり、さらに、(B)「他の手段によっては公正な裁判を受ける機会を確保できないことの証明」がなければ、報道の禁止は正当化できない旨論じている。しかし、この基準だと、保護の程度が強いとは言えない取材等の自由については厳格に過ぎる審査基準と考えられることから、この審査基準を参考にするにしても、本問では、例えば(A)の部分につき、よど号ハイジャック記事抹消事件判決(最大判昭和58年6月22日民集37巻5号793頁)のキーワードである「相当の蓋然性」を参考に、“(a)私生活の平穏が害される相当の蓋然性があり、(b)より制限的でない他の手段では規制目的を達成できないといえなければ違憲となる”という基準など、松井説の基準よりもやや緩和された基準を用いるべきと考えられる。

なお、外務省秘密漏洩事件決定(西山事件、後掲)は(ⅰ)「真に報道の目的からでた」取材行為で、(ⅱ)その「手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認される」場合には正当行為(正当業務行為、刑法35条)にあたり、秘密漏示そそのかし罪は成立しない旨判断しており、博多駅事件決定のような利益衡量を行っていない(曽我部真裕「判批」(外務省秘密漏洩事件決定解説)判プラ169頁)

[46] 木村草太『司法試験論文過去問 LIVE解説講義本 木村草太 憲法』(辰已法律研究所,2014年)104~105頁,同467頁参照。

[47] 前掲広島市暴走族追放条例事件にも「段階的規制」との判示がある。なお、上田健介「公法系科目〔第1問〕解説」法学セミナー編集部編『司法試験の問題と解説2019』(日本評論社、2019年9月30日)10~17頁(16頁)も、「段階的な規制をとっている」ことを厳格審査基準の手段審査の当てはめ部分において(判断枠組み設定の理由付け部分ではない。この点は注意を要する。)用いているといえる。「事後的、段階的な規制」と書くのでも良いだろう。

[48] この点は、オンラインイベントで大島義則先生よりご指摘のあった点である。

[49] この点は、オンラインイベントで伊藤建先生よりご指摘のあった点である。

[50] 榊原秀訓「2011年 《第2問》の解説」論文式試験の問題と解説40頁以下(46頁)参照。

[51] よど号ハイジャック記事抹消事件判決(前掲最大判昭和58年6月22日)のキーワードである「相当の蓋然性」を参考にしているが、あえて判例名は明記していない。なお、(ⅰ)のような文言だと抽象的すぎるので、もう少し工夫できるとベターだろうが、LRAを指摘するに際しての記述なので、この程度でも良いのではないかと思う。あるいは、(ⅰ)の要件は書かずに(ⅱ)の要件だけ書くというのでも良いかもしれない。

[52] 最一小決昭和53年5月31日民集32巻3号457頁。なお、外務省秘密漏洩事件西山事件)決定の判断枠組みにつき、松井茂記『マス・メディア法入門〔第5版〕』(日本評論社、2013年)225頁は、「社会通念上正当かどうかは国民の判断に委ねるべき問題であり、憲法上保護されているかどうかの判断において、そのような考慮を含ませるべきではない」などと批判し、「差し迫った重大な害悪発生に帰するであろう見込みを知りつつ、またはそれをまったく無視して行った場合にのみ、処罰が許されると考えるべきではなかろうか」と述べ、別の判断枠組み(審査基準)を提示する。

[53] 上田健介「公法系科目〔第1問〕解説」法学セミナー編集部編『司法試験の問題と解説2019』(日本評論社、2019年9月30日)10~17頁(14~15頁、16頁)は、厳格審査基準等の当てはめ部分(目的手段審査の基準の手段審査の当てはめの部分)において、関連する判例ないし学説(北方ジャーナル事件の判断枠組みに係る判示や現実の悪意の法理の基準)に照らした論述をしており、参考になる。筆者作成の答案例もこの上田教授の論述と同様の発想によるものであるが、このような判例の活用法が真に正当なものであるのかについては、なお検討の余地があるようにも思われる。

なお、取材等の「手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認される」という外務省秘密漏洩事件決定の判示は、短答式試験では肢を切るために活用できても、論文式試験の論述において正確に表現することはハードルが高く、多くの受験生にはそれは無理ではないか、という批判もあろう。そこで、答案例における(ⅱ)の要件については、「社会通念上、不相当な手段・方法による取材等がなされた場合」という多少簡単な記述でも良いと思われる。

[54] より制限的でない他に選びうる規制手段の実効性については、本答案では明記することができていない。この点につき、平成20年新司法試験の採点実感等に関する意見(憲法)4頁3(5)オは、「審査基準が定められたとしても,それで答えが決まるわけではない。〔1〕必要不可欠の(重要な,あるいは正当な)目的といえるのか,〔2〕厳密に定められた手段といえるか,〔2-1〕目的と手段の実質的(あるいは合理的)関連性の有無,〔2-2〕規制手段の相当性,規制手段の実効性等はどうなのかについて,事案の内容に即して個別的・具体的に検討することが必要である。」(下線及び〔1〕・〔2〕などは引用者)としているところ,〔1〕部分が目的審査を意味し,また,〔2-1〕部分が手段審査における規制目的と手段の関連性(立法事実)の審査を,〔2-2〕部分が手段審査における相当性の審査(より制限的でない他に選びうる規制手段の実効性のあるものであることの審査を含む)を意味するものと考えられる(「関連性(立法事実)」という点に関し、平成20年新司法試験論文憲法の出題趣旨第5段落等参照。なお、芦部236頁は、薬局距離制限事件(最大判昭和50年4月30日民集29巻4号572頁)につき、「『薬局の開設の自由→薬局の偏在→競争激化→一部薬局の経営不安定→不良医薬品の供給の危険性』という因果関係は、立法事実によって合理的に裏づけることはできないから、規制の必要性と合理性の存在は認められない」(下線引用者)などと説明している。)。

[55] 例えば、元新司法試験考査委員の市川正人教授が再び令和3年司法試験考査委員及び同試験予備試験考査委員となっている。