平 裕介(弁護士・公法研究者)のブログ

主に司法試験と予備試験の論文式試験(憲法・行政法)に関する感想を書いています。

平成29年司法試験 公法系第1問の感想(4)

 「平成29年司法試験 公法系第1問の感想(3)」(平成29年5月21日ブログ)の続きである。本日は,予定をやや変更し,前回の補足をするにとどまる内容となる。そのため,ブログも短いものとなるが,引き続き少しずつ書き進めることとしたい。

 

平成29年司法試験論文憲法は,憲法学にとって緊々の課題と評される「マクリーン判決を超える」[1]方策を受験生に問うという側面があったものと考えられる。

 

この点について,私は,前回のブログの3(1)ウで次のとおり述べた。まずは,脚注を含め再掲する(ただし,脚注番号はズレるが,ご容赦いただきたい)。

 

(以下,再掲)

 ウ 正当化理由の有無を判定する段階の要点

上記Bの人権制約は正当化されるか。我が国の農業及び製造業に必要な労働力の確保という労働政策等(法1条)からの規制であり,制約根拠(公共の福祉,13条後段)はあるとしても,その制約が許されるものかが問題となる。

この点については,確かに,外国人の在留権(在留の権利)は,国際慣習法上,保障されているものではないと解されている(マクリーン事件)。とすると,外国人の妊娠・出産の権利・自由の保障も,法における特定労務外国人制度の枠内で与えられているにすぎないもののようにもみえる。

しかし,特労法は入管法の外国人在留制度と比べて在留の要件を限定しており(法4条1項),帰化・永住を希望しないことがその要件となっていること(同項4号),認証は原則として3年のみで効力を失うことなどからすると,特労法における外国人の人権行使が,長期の定住が認められないものであることから日本国民の人権や公益(国益)と衝突することは比較的少ないといえる。そのため,入管法上の在留更新等の場合よりも,手厚い人権保障が要請されるものというべきである。

また,妊娠・出産という人生の選択をする自由は,その者の日々の生活や生き方,ものの見方・思想などを大きく変えうるものであり,自身の子に,価値遺伝的素質を伝承するという意味でも人格的生存の根幹に密接にかかわるものといえる。このような意味で,妊娠・出産の権利・自由は,精神的自由等における自己実現の価値の大前提たる極めて重要な意義を有する。加えて,例外を許さず,妊娠・出産の権利・自由が全面的に制約されており,その意味で比較的強い規制といえる。

とすると,マクリーン事件(外国人在留制度)で問題となった外国人の表現の自由の場合とは異なり,特労法との関係では,妊娠・出産の権利・自由は,同法の制度の枠内で保障されるという弱い保障にとどまらず,より手厚く保障されるものというべきである[2]。具体的には,マクリーン事件の採ったような裁量権の逸脱濫用審査に係る審査密度の低い[3]審査枠組みではなく,①立法目的が重要であり,かつ②立法目的と手段との間に実質的関連性があるといえる場合でなければ違憲とされる審査基準によるべきである[4]

(再掲,終わり)

 

この部分については,異論もあるだろう。例えば,行政法学における裁量統制の手法で違憲・違法を導くべきと考える構成である。なお,辰已法律研究所の解答速報(平成29年5月19日18:38に辰已法律研究所のウェブサイトで公表されたもの)は,設問1でも上記のような目的・手段の違憲審査基準による構成は採っていない。

 

しかし,私が上記の比較的厳格な目的手段審査を採ったことには根拠がないわけではない。この点につき,宍戸常寿「裁量論と人権論」公法研究71号107~108頁(2009年)は,次のよう述べる(下線は筆者)。

 

近時の判例における審査密度の深化は、憲法の観点からは、司法が、人権・人権侵害の意味を縮減することを通じて、人権に拘束されずにした自由な判断によるものと評することができます。(中略)裁判所は、かくかくしかじかの場合には判断過程統制が義務づけられるという論理を明示的に展開しておらず、最小限審査への逃げ道を残しています。(中略)これは(中略)二重の基準論が、一定の場合には裁判所は厳格審査「できる」のではなく、厳格審査「しなければならない」という形で、裁判所を統制しようとするのとは対照的です。

 

さらに,同文献109頁は,「裁量の『中』で働く人権は判断過程統制の手法に対応しますが、憲法上の権利としての人権は裁量を羈束し、行政裁量を『外』から制限します。その結果、裁量授権規範がそれ自体として憲法上の権利を侵害する場合には法令違憲とされるべきであ」(下線は筆者)るとしている。

 

そして,このような考え方は,(マクリーン事件や)平成29年の事案にも妥当するものと思われる。

 

つまり,平成29年司法試験論文憲法の(設問2はともかく)少なくとも設問1では,マクリーン事件の超え方として,(A)裁量の「中」からの統制のように,立法裁量の判断過程統制等を行うといった低い審査密度[5]の規範を採るのではなく,(B)裁量の「外」からの制限としての比較的厳格な審査基準(中間審査基準等)の定立・あてはめが期待されていたのではなかろうか。

 

もちろん(A)の構成でも,内容次第で合格答案にはなると思うが,(B)の構成は成功すれば上位答案になるだろう。

 

ただし,(B)の構成による場合,比較的厳格な目的手段審査の基準を採るための理由付けが最も重要であり,そのための論述(私の上記のもの)が成功しているかについては,なお検証しなければならないように思われる。

 

ちなみに,私としては,そのための論述に,違憲審査枠組みの設定に関して考慮されるべき事項・要素と考えられる,①制約される人権の重要性(いわば人権のプラス面),②他社の人権等や公益を制約する弊害的な(いわば人権のマイナス面)が小さいこと(=当該人権の制約の本来的可能性が低いこと),③規制態様の強さ(本問では③は余計かもしれないが)といったものを活用し,もって,基本からの(一応の)検討を試みたつもりである。

 

このように,平成29年司法試験論文憲法は,近時の憲法学説の課題を受験生に問う面があったのであり,2時間という制限時間内で(実際は純粋に考える時間は1時間もなかろう)要求ないし解答を期待するという問題であったように感じられる。そうであるとすれば,受験生が現場でかなりの難問であるなどと感じることは至極適当なことと思われる。

 

 

いわゆる誘導の多い行政法(論文)と比べると,憲法(論文)は毎年難しい。行政法は勉強の成果が出やすいが,憲法はそうではないと感じる受験生も少なくないだろう。そして,これで論文は同じ配点というのであるから,勉強の仕方も工夫する必要がある。

 

 

このような問題の難易度の差が,憲法の(論文の)勉強の時間を少なくするものにならないことを私は願ってやまない。法の支配・立憲主義の重要な担い手となる司法試験受験生が憲法の勉強に時間を割かなくなるということは,近代国家[6]においては大問題であるからである。

 

 

続きは次回。

 

 

 

 

 

 

[1] 愛敬浩二「判批」長谷部恭男ほか編『憲法判例百選Ⅰ〔第6版〕』(有斐閣,2013年)5頁(1事件,マクリーン事件)。

[2] 曽我部真裕「判批」淺野博宣ほか著,憲法判例研究会編『判例プラクティス憲法〔増補版〕』(信山社,2014年)7頁(2事件,マクリーン事件)は,マクリーン事件の採る(ものと解される)「出入国システム優位説」が妥当する領域があることは否定できないとしつつも,その範囲については,「基本的人権との関係で慎重に判断する必要があろう」(下線は筆者)とし,マクリーン事件の規範の射程を限定すべき旨述べている。この部分に関する説明(曽我部・同文献6~7頁)は,重要であり,平成29年考査委員が考える重要な視点が示されているものといえよう。答案例は,この視点に完全に沿うものではないかもしれないが,(一応)事案にくらいつき,「基本的人権優位説」(曽我部・同文献7頁)の立場から,そして,①他社の人権等や公益を制約する弊害的な(いわば人権のマイナス面)が小さいこと(すなわち当該人権の制約の本来的可能性が低いこと),②制約される人権の重要性(いわば人権のプラス面),③規制態様の強さ(本問では③は余計かもしれないが)に照らし,論述することを試みたものである(以上の①・②につき,青柳幸一『憲法』(尚学舎,2015年)87頁参照)。

[3] 宍戸常寿『憲法解釈論の応用と展開 第2版』(日本評論社,2014年)76頁参照。

[4] 高橋和之立憲主義日本国憲法 第4版』(有斐閣,2017年)137頁参照。なお,同文献96頁は,マクリーン事件の判示に関し,「安易に裁量論に委ねるべきではない」とする。

また,指紋押捺制度の合憲性について判断した最三小判平成7年12月15刑集49巻10号842を活用し,立法目的の合理性,必要性,相当性が認められれば合憲とする判断枠組みを活用することも考えられる。しかし,①設問1で採る審査枠組みとしてはやや緩やかであること,②折角マクリーン事件の射程が及ばないとしたのであるからより厳格な審査基準によってもあまり問題はないと考えること,③平成29年の事案のように「入国・在留に関わる場面」(曽我部・前掲注(2)7頁)では(同じ13条後段関係の外国人の人権の判例とはいえ),マクリーン事件を基軸とした論述をした方が良いと考えたことなどから,私としては,上記平成7年の判例の審査枠組みにはよらない方針を採っている。

なお,小山剛「判批」佐藤幸治=土井真一編『判例講義 憲法Ⅰ 基本的人権』(悠々社,2010年)1~2頁(2頁)は,マクリーン事件の判示に関し,国家の授益的措置に対する憲法上の制約の問題に言及し,(a)「違憲な条件」の法理や(b)「政府言論」の問題,あるいは(c)国家の中立性の要請から導き出される法理の問題として捉え,検討を加えている。この立場からすると,中間審査基準のような目的・手段審査の違憲審査枠組みを採ることにはならないだろうが,このような考え方は,設問2の私見のところで採ると良い(よって設問1とは規範が変わることになる)のではないかと私は考える。

[5] 憲法学では「低い」(宍戸・前掲注(3)76頁参照)と捉えているようであるが,行政法学とは多少の温度差があるように思われる。

[6] 一応,日本は近代国家であるという前提に立つ記述であるが,最近は,日本は中世国家ではないかという指摘もあるところであり,異論を認めないわけではない。

 

*このブログでの(他のブログについても同じです。)表現は,私個人の意見,感想等を述べるものであり,私の所属団体,関連団体のそれとは一切関係のないものです。そのため,例えば,私のブログにおける「受験生」とは,このブログの不特定少数又は不特定多数の読者に司法試験や予備試験の受験生がいる場合のその受験生を意味し,特定の大学等の学生(司法試験受験生)をいうものではありません。このブログは,あくまで,私的な趣味として,私「個人」の感想等を,憲法21条1項(表現の自由)に基づき書いているものですので,この点につき,何卒ご留意ください。

 

平成29年司法試験 公法系第1問の感想(3)

 

【注意】読みたくない司法試験受験生の方々は,以下の文書を読まないで下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「平成29年司法試験 公法系第1問の感想(2)」(平成29年5月20日ブログ)の続きである。引き続き少しずつ書き進めることとしたい。

 

1 序 ― 特労法と国家戦略特別法 ―

 

 前回のブログのとおり,司法試験論文式試験公法系科目第1問すなわち論文憲法の問題は,その時々の社会問題がその背景にあり,平成29年では,今日における国家戦略特区への外国人の受入れ問題(国家戦略特別法)を意識したと思われる架空法令(特労法)が出題された。事案の背後には,2020東京オリンピックパラリンピックの時事問題があるものと思われ[1],また,上記架空法令は,シンガポールの法制度を参考にしたものと思われる[2]

 

 つまり,平成29年司法試験論文公法系のテーマは,オリンピック・パラリンピックの(政治利用ならぬ)司法試験利用であったものといえよう。

 

 さて,前置きはこのくらいにして,そろそろ問題の中身の検討に入ることとする。

 

2 答案構成の骨子

 (1) 2つの法令違憲の主張

 まず,答案構成の骨子につき問題文3頁の「設問」の前の最終行には,「特労法の規定が憲法違反であるとして」とあるため,法令違憲のみとなる。

 なお,「設問1」のところで「憲法第14条違反については論じなくてよい。」と指定があるため,憲法(以下,基本的には法名を略す。)14条を論じるわけにはいかないが,24条については論じても良いという点に注意する必要がある。

 

 また,問題文3頁1~3行目などからすると,2本立ての構成となる。すなわち,①滞在中の妊娠・出産を禁止行為とする特労法(以下「法」と略すことがある。)15条8号が自己決定権(13条後段)を侵害し,違憲であるという主張と,②警察官限りの判断により直ちに外国人の身柄を拘束(収容)し(法18・19条),強制出国(法20条)させる法の諸規定は,適正手続に関する憲法の規定(33条又は31条,あるいは13条後段)に違反し,違憲であるという主張がメインとなる。

 ちなみに,①も②も根拠条文は13条と後段いう構成を採ったとしても,項目立ては①と②とで明確に分けた上で論じるべきであろう。

 

(2) 国賠法の違法の主張(あくまでサブの主張)

 設問1は,Bが「国家賠償請求訴訟においてどのような憲法上の主張を行うか」というものであるから,国家賠償法(以下「国賠法」と略すことがある。)1条1項の「違法」性の主張は,あくまでサブであると考えるべきであり,私は最悪(特に時間がなければ)一切書かなくてもそれだけで不合格となるような致命傷にはならないと思われる。

 平成22年司法試験論文憲法(選挙権侵害)の立法不作為の場合には,国賠法1条1項の「違法」性の論点にも相当程度の配点(全体の2割くらいか)があったものと分析しうるが,同じく国家賠償請求訴訟が問題となった平成18年(21条1項違反等)については,上位答案等を分析する限り,国賠法1条1項の「違法」性の論点につき厚く書いているものは少ないものといえる。

 おそらく,司法試験では,立法行為の作為の場合については,立法不作為の場合とは異なり,国賠法1条1項の「違法」性(その他の同法の要件)に関する配点はかなり少ないものされているのではなかろうか。これは,著名な在外国民選挙権訴訟の最高裁判例の国賠法上の違法性についての判示(規範部分)とは必ずしも整合しないとの批判もあるかもしれないが,同規範部分につき,作為の場合には明白性の要件のみの検討だけで済む(他方で不作為は3要件必要)との立場に立つことが(司法試験で)許されているとすると,作為の方が配点が低くなることにつき(一応)説明がつくだろう(この点についての詳細は次回以降のブログで述べたい)。

 

(3) 各主張の分量の目安

 以上より,上記①の主張を(5~)6割ほど,②の主張を(4~)3割ほど書き,③残りの1割ほどを国賠法1条1項の「違法」の話に充てるという構成になろう。

 この点に関し,①と②とは同じ割合で書くべきではないかとも思うかもしれない。しかし,後述するように,(a)外国人の在留権(否定)の論点についても①のところで書く必要があること,(b)①の方については,設問1と設問2の私見とで規範を書き分けた方がよさそうであるとの考えや,(c)マクリーン事件との関係の論述等,②よりも書くことが多くなると思われるため,上記の割合で書くべきと思われる。

 なお,②については,受験生は特に勉強が手薄と思われ,相対試験であることに加え,採点に際して調整がなされるなどする(であろう)結果,①を7割近く書いても十分合格となるものと考えられる。もっとも,「手続的保障」(問題文3頁3行目)に関する主張が一切ないというのは結構大きなミスであるものと思われる。

 

(4) 憲法24条に関して

 ちなみに,24条は,①の主張の中で触れることはできるだろうが,どの位置で書くか(設問1から書くか,設問2の段階から書くか)については近時の最高裁判例[3]との関係等から,中々難しいものと思われる。

 

(5) 憲法22条に関して

 まず,在留権(在留の権利)を肯定する主張は,マクリーン事件[4]の立場に反し,かつ,在留権については事案の類型による同判例の射程の限定という議論も難しいことからすれば,答案に書くべきではなかろう。

 また,職業の自由の侵害という主張も,問題文3頁1~3行目の記載からすると優先順位が低い上,書いている時間もないだろうから,答案に書くべきではなかろう。

 

(6) 法15条7号に関して

 法令中の他の規定(第三者に適用され得る規定)を援用する主張は,違憲主張の適格性の問題の一内容として論じられることがある[5]。ただし,このことを書いている時間もないだろうから,答案政策上,あえて触れないか,あるいは,①の主張を補強するものとして設問1で規範定立以前の段階で触れるとよいと思われる(詳細は次回のブログで述べる予定である)。

 

3 自己決定権侵害と適正手続違反の両主張の要点(設問1の一部)

 やや長くなってきたので,最後に,上記①の主張(自己決定権侵害の主張)と,上記②の主張(適正手続違反の主張)のそれぞれの要点に関して,設問1の構成のポイント(と考えた点)の,しかもその一部だけ,簡単に述べておくこととする。

 

(1) 法15条8号が自己決定権(13条後段)を侵害するとの主張

 ア 保障段階の要点

 自己決定権につき,佐藤幸治教授は,「最狭義の『人格的自律権』であって,通常「自己決定権」といわれるものにほぼ相当する」[6]とした上で,「①自己の生命・身体の処分にかかわる事柄,②家族の形成・維持にかかわる事柄,③リプロダクションにかかわる事柄」[7]等に分類し,このうち③について「遺伝的素質を子孫に伝え,あるいは娠・出産といった事柄にかかわるもの」(下線は筆者),「③は,もとより,①と②とも密接に関連している」[8]と解説する[9]

 このような記載にも照らすと,妊娠・出産の権利・自由は,一般的には服装や髪形等の日常的なライフスタイルの自由に比してより人格的生存に必要不可欠なものといえ,また,後述する人権としての重要性から,13条後段の「幸福追求」権の一内容たる自己決定権として保障される。

 そして,学説において支配的とされる(そのように平成29年司法試験考査委員自身が言及する)権利性質説[10]からすると,その性質上Bのような外国人にも保障されると解される。

 

 イ 制約段階の要点

 法務大臣による認証(法4条1項柱書)の申請につき,法15条各号に該当する行為をしない旨の誓約書が必要書類とされること(法5条5号),そして,法15条8号が本邦滞在中に「妊娠し又は出産すること」を禁止行為としていることから,上記Bの人権は全面的に制約される。

 

 ウ 正当化理由の有無を判定する段階の要点

 上記Bの人権制約は正当化されるか。我が国の農業及び製造業に必要な労働力の確保という労働政策等(法1条)からの規制であり,制約根拠(公共の福祉,13条後段)はあるとしても,その制約が許されるものかが問題となる。

 この点については,確かに,外国人の在留権(在留の権利)は,国際慣習法上,保障されているものではないと解されている(マクリーン事件)。とすると,(同事件の判示に照らせば,)外国人の妊娠・出産の権利・自由の保障も,法における特定労務外国人制度の枠内で与えられているにすぎないもののようにもみえる。

 しかし,特労法は入管法の外国人在留制度と比べて在留の要件を限定しており(法4条1項),帰化・永住を希望しないことがその要件となっていること(同項4号),認証は原則として3年のみで効力を失うことなどからすると,特労法における外国人の人権行使が,長期の定住が認められないものであることから日本国民の人権や公益(国益)と衝突することは比較的少ないといえる。そのため,入管法上の在留更新等の場合よりも,手厚い人権保障が要請されるものというべきである。

 また,妊娠・出産という人生の選択をする自由は,その者の日々の生活や生き方,ものの見方・思想などを大きく変えうるものであり,自身の子に,遺伝的素質を伝承するという意味でも,人間の人格的生存の根幹に密接にかかわるものといえる。このような意味で,妊娠・出産の権利・自由は,例えば表現の自由における自己実現の価値等の大前提たる極めて重要な意義を有する。加えて,例外を許さず,妊娠・出産の権利・自由が全面的に制約されており,その意味で比較的強い規制といえる。

 とすると,マクリーン事件(外国人在留制度)で問題となった外国人の表現の自由の場合とは異なり,特労法との関係では,妊娠・出産の権利・自由は,同法の制度の枠内で保障されるという弱い保障にとどまらず,より手厚く保障されるものというべきである[11]。具体的には,マクリーン事件の採ったような裁量権の逸脱濫用審査に係る審査密度の低い[12]審査枠組みではなく,①立法目的が重要であり,かつ②立法目的と手段との間に実質的関連性があるといえる場合でなければ違憲とされる審査基準によるべきである[13]

 なお,このあてはめは,次回のブログで書くこととする。

 

(2) 身柄拘束・強制出国(法18~20条)の諸規定の適正手続(33条等)違反の主張

ア 根拠条文 ― 13条説,31条説,そして33条説?―

 もう疲れてきたので,適正手続(33条等)の主張については,基本的には根拠条文の点だけ簡単に書くこととして今回は終わりとする[14]。続きは次回のブログで書きたい。

 

 行政手続による身体の拘束について,憲法上根拠条文については,13条説か31条説によるべきというのが学説の立場であろうが,33条説もありえなくはなかろう。

 というのも,佐藤幸治教授は,憲法33条につき,「本条は,直接には刑事手続上の抑留・拘禁に関するものである。行政手続による身体の自由の拘束については,13条(ないし31条)との関係で手続的保障のあり方が問題とされることになる。が,さらに,本条が英米法のHabeas Corpus的発想を背景としていることを考慮すれば,行政手続による身体の拘束にもできる限り本条の趣旨が及ぼされることが期待されているというべきであろう」[15](下線は筆者)と解説している。

 この記述や,31条・35条・38条に関する最高裁判例(川崎民商事件,成田新法事件)の立場,そして31条(や35条・38条)については,その趣旨が行政手続にも準用されるなどとする学説の立場[16]にも鑑みると, 33条についても,行政手続つき,その趣旨が準用すべき場合があると解される。このような見解は,おそらくあまり一般的な見解ではなく,やや正確性が落ちるものかもしれないが,司法試験の現場で答案に書くものとしては通用する(司法試験の答案への利用に耐えうる)ものであるように思われるし,33条準用説で書いても合格レベルの答案は書きうるものと考えられる。

 

イ 判例の規範の活用

 規範は,(あ)35条に関する川崎民商事件又は成田新法事件の規範を33条版とするか,あるいは,(い)31条に関する成田新法事件の規範を活用することが考えられる。とはいえ,多くの受験生にとっては,(あ)までは(短答式試験レベルの知識はあっても)論文で判例の規範を書くことは難しく,(い)の規範を何とか書くので精一杯であったのではなかろうか。

 

 このように,平成29年司法試験論文憲法は,つくづく受験生泣かせの問題であったといえる。平成27年平成28年も難問であったと思うが,個人的には,平成29年がここ5年くらいでは一番難しい問題であったように思う。

 

 

以上の続きは次回。

 

 

 

 

[1] 日本商工会議所「国家戦略特区に対する意見」(平成27年4月9日)1頁は,国家戦略特区に指定された全国6区域のうち,東京圏につき,「東京オリンピックパラリンピックも視野に、世界で一番ビジネスのしやすい環境を整備」するなどの目標に言及する。なお,この文献はウェブ上で公表されている。

[2] 日本商工会議所・前掲注(1)11頁参照。竹内ひとみ「シンガポールの外国人雇用対策」日本労働研究雑誌564号99頁(2007年)。なお,この文献もウェブ上で公表されている。

[3] 最大判平成27年12月16日民集69巻8号2586頁。

[4] 最大判昭和53年10月4日民集32巻7号1223頁。

[5] 野中俊彦ほか『憲法Ⅱ〈第5版〉』(有斐閣平成24年)299頁以下参照。

[6] 佐藤幸治日本国憲法論』(成文堂,2011年)188頁。

[7] 佐藤・前掲注(6)188頁。

[8] 佐藤・前掲注(6)191頁。

[9] 佐藤幸治教授のテキストを引用した理由ないし動機は,①やや昔の話ではあるが,佐藤教授が講演(法学講演)で「司法試験受験生」(K氏)との質疑応答を行っていることが(講演内容のみならず)個人的には印象に残っていること(佐藤幸治日本国憲法と『自己決定権』―その根拠と性質をめぐって―」法学教室98号6頁以下(19頁)(1988年)参照)や,②2015年(平成27年)10月に開催された日本公法学会・第80回総会のテーマが「現代公法学における権利論」であり,第一日目の総会報告において駒村圭吾教授(会員)が報告をされ(「学会記事」公法研究78号332頁(2016年)),同報告において佐藤幸治教授(会員)の人格的自律権構想に関する検討をされ(駒村圭吾「人格的自律権構想を振り返る―憲法とその外部―」公法研究78号1頁以下,私も会場の同志社大学でその講演を拝聴していたことなどにある。ちなみに,この駒村教授の講演内容が平成29年司法試験の自己決定権(13条後段)という論点に影響した可能性もあろう。

[10] 曽我部真裕「判批」淺野博宣ほか著,憲法判例研究会編『判例プラクティス憲法〔増補版〕』(信山社,2014年)5頁。

[11] 曽我部真裕「判批」淺野博宣ほか著,憲法判例研究会編『判例プラクティス憲法〔増補版〕』(信山社,2014年)7頁は,マクリーン事件の採る(ものと解される)「出入国システム優位説」が妥当する領域があることは否定できないとしつつも,その範囲については,「基本的人権との関係で慎重に判断する必要があろう」(下線は筆者)とし,マクリーン事件の規範の射程を限定すべき旨述べている。この部分に関する説明(同文献6~7頁〔曽我部真裕〕)は,重要であり,平成29年考査委員が考える重要な視点が示されているものといえよう。答案例は,この視点に完全に沿うものではないかもしれないが,(一応)事案にくらいつき,「基本的人権優位説」(同文献7頁〔曽我部真裕〕)の立場から,そして,①他社の人権等や公益を制約する弊害的な(いわば人権のマイナス面)が小さいこと(すなわち当該人権の制約の本来的可能性が低いこと),②制約される人権の重要性(いわば人権のプラス面),③規制態様の強さ(本問では③は余計かもしれないが)に照らし,論述することを試みたものである(以上の①・②につき,青柳幸一『憲法』(尚学舎,2015年)87頁参照)。

[12] 宍戸常寿『憲法解釈論の応用と展開 第2版』(日本評論社,2014年)76頁参照。

[13] 高橋和之立憲主義日本国憲法 第4版』(有斐閣,2017年)137頁参照。なお,同文献96頁は,マクリーン事件の判示に関し,「安易に裁量論に委ねるべきではない」とする。

 また,指紋押捺制度の合憲性について判断した最三小判平成7年12月15刑集49巻10号842を活用し,立法目的の合理性,必要性,相当性が認められれば合憲とする判断枠組みを活用することも考えられる。しかし,①設問1で採る審査枠組みとしてはやや緩やかであること,②折角マクリーン事件の射程が及ばないとしたのであるからより厳格な審査基準によってもあまり問題はないと考えること,③平成29年の事案のように「入国・在留に関わる場面」(曽我部・前掲注(11)7頁)では(同じ13条後段関係の外国人の人権の判例とはいえ),マクリーン事件を基軸とした論述をした方が良いと考えたことなどから,私としては,上記平成7年の判例の審査枠組みにはよらない方針を採っている。

 なお,小山剛「判批」佐藤幸治=土井真一編『判例講義 憲法Ⅰ 基本的人権』(悠々社,2010年)は,マクリーン事件の判示に関し,国家の授益的措置に対する憲法上の制約の問題に言及し,(a)「違憲な条件」の法理や(b)「政府言論」の問題,あるいは(c)国家の中立性の要請から導き出される法理の問題として捉え,検討を加えている。この立場からすると,中間審査基準のような目的・手段審査の違憲審査枠組みを採ることにはならないだろうが,このような考え方は,設問2の私見のところで採ると良い(よって設問1とは規範が変わることになる)のではないかと私は考える。

[14] 疲れてきたから書くのをやめるというのは,司法試験受験生の場合には(司法試験の答案では)事実上できないことである。気楽にブログを書いている者を罵倒したくなる受験生もいるかもしれない。ただ,私としては,少しでも有益な情報や考え方を受験生の方々(ただしこのブログを見たくない方は除く。)に提供したいという気持ちからこのブログを書いているので,ご容赦いただければ幸甚である。つまみ食い的でもよいので,受験生の皆様の参考になればと願っている。

[15] 佐藤・前掲注(6)339頁。

[16] 高橋・前掲注(13)286頁等も参照。

 

*このブログでの(他のブログについても同じです。)表現は,私個人の意見,感想等を述べるものであり,私の所属団体,関連団体のそれとは一切関係のないものです。そのため,例えば,私のブログにおける「受験生」とは,このブログの不特定少数又は不特定多数の読者に司法試験や予備試験の受験生がいる場合のその受験生を意味し,特定の大学等の学生(司法試験受験生)をいうものではありません。このブログは,あくまで,私的な趣味として,私「個人」の感想等を,憲法21条1項(表現の自由)に基づき書いているものですので,この点につき,何卒ご留意ください。

平成29年司法試験 公法系第1問の感想(2)

 

【注意】読みたくない司法試験受験生は,以下の文書を読まないで下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「平成29年司法試験 公法系第1問の感想(1)」(平成29年5月17日ブログ)の続きである。ここ数日諸々の業務のため,殆ど問題や関連しそうな文献を見られていないのが残念であるが,感想を少しずつ書き進めることとしたい。

 

 

さて,司法試験論文式試験公法系科目第1問すなわち論文憲法の問題では,その時々の社会問題が背景にあるように思われる。

 

平成27年は,自由(人権)と安全(予防:将来の安全)がテーマであり,同年の事案はISIS等のテロ行為の問題を思い起こさせるものであった。また,平成25年の事案は,日本の各地で行われた特定秘密保護法に反対する大規模なデモ行進を想起するものであった。

 

そして,平成29年では,今日における国家戦略特区への外国人の受入れ問題(国家戦略特別法)を意識したと思われる架空法令が出題されており,さらに,2020東京オリンピックパラリンピックがその背後にあるものと思われる[1]

 

なお,国家戦略特区に関しては,シンガポールとの比較がなされることがある[2]シンガポールでは,メイドなど女性の外国人単純労働者には,入国前及び滞在中に妊娠検査が義務付けられており,妊娠した場合,雇用主は人材開発省に報告の義務があり,当該外国人労働者は強制送還されることになっているようであり[3],このあたりは,平成29年でその違憲性が問われた「特労法」と似ているものといえる。

 

 

 

ちなみに,第1問(憲法)だけではなく,第2問(行政法)でも,2020年東京オリンピックパラリンピックが意識されていたものと考えられる。というのも,第2問では,「道路法」が出題されたわけであるが,「道路」で思い出されるべきは,(土地収用法の事案ではあるが)1964年東京オリンピックに際して「道路」を拡幅するために,日光の太郎杉を切ることとなってよいのかが問題となった著名な事件(日光太郎杉事件[4])であることから,第2問の事案の背景には道路とオリンピックという共通点が見て取れるのである。

 

歴史的に,オリンピック(・パラリンピック)は,政治利用されてきたとの指摘や批判がなされているところであるが,平成29年において,オリンピック・パラリンピックは,我が国の司法試験にも利用されることとなったものといえよう。

 

つまり,平成29年司法試験論文公法系のテーマは,オリンピック・パラリンピックの司法試験利用であったというべきである。

政治利用と比べると弊害は少ないようにもみえるが,司法試験にも,オリンピック・パラリンピックを(間接的にせよ)利用してはならないというべきであろう。このことにより,将来の法曹がオリンピック・パラリンピックの政治利用に鈍感になってはいけないと危惧するからである。・・・というは言いすぎだろうか。

 

 

 

ところで,平成29年では,「裁量」(立法裁量)の有無及び広狭が問題となるところ,司法試験論文式試験公法系科目においては,一見すると,第2問(行政法)の方が答案作成者に与えられる「裁量」(答案作成裁量)の幅が狭く,第1問(憲法)は広いように思われる。なぜなら,第2問には必ず,弁護士等による会話文・会議録(いわゆる「誘導」の会話)が掲載されるが,第1問には第2問のような会話文は掲載されることがなく,さらには,第2問には配点割合が書かれているため,第2問の方が,書くべき分量,順序,内容が分かりやすいからである。

 

とはいえ,第1問がフィギュアスケートフリースケーティング(自由演技で良い)であり,第2問はショートプログラム(規定演技が求められる)であると例えるのは,誤りであろう。実は,どちらもショートプログラムであり,第1問も,答案作成者に与えられている裁量の幅は,第2問とあまり変わらないのではないかと思われる。主たる理由は,(どちらもショートプログラムでなければ)採点委員が大変だからである[5]

 

そのため,一見,フリーで滑ってよいように思える憲法は,実はある程度の規定演技が要求されている科目と考えられ,‘フリーで書くと合格も滑る’という残酷な関係がみてとれるわけである。

 

だからこそ,(新)司法試験論文公法系は,第1問の方が検討のしがいがあると私自身は考えている[6]。そして,公法を研究する者としては,司法試験論文公法系は,第1問から検討に入りたいと毎年思っているのであり,平成29年も,第1問から検討することにした。

 

 

 

・・・と,このように,前置き部分の話を長々と書いたことにより(そして書くのが疲れてきたため),結局,今回のブログでも殆ど踏み込んだ内容の話には入れなかったが,最後に,論文憲法の予想を外してしまった主な理由の4つ目(3つ目までは,前回のブログで書いた。4つ目は前回書くのを失念してしまった。)を述べておきたい。

 

すなわち,4つ目は,平成27年(司法試験論文憲法)に,マクリーン事件[7]が(も)活用しうる判例(関連判例)とされていたと考えられ[8],わずか2年で(平成29年に)また出題されるとは予想できなかったということである。

 

しかし,この考えも安易なものであった。マクリーン事件憲法21条1項(他にも関係条文はあるが)の判例であり,平成29年の事案や論点の予想をする上で,よく検討すべき判例の一つであったといえるかもしれない。無念である。

 

 

 

なお,マクリーン事件は,行政法でも重要判例の1つとされているが,注意すべきは,憲法マクリーン事件を活用するときは,行政法の答案になってはいけないということである。つまり,裁量権の逸脱濫用の「違法」を中心に書きすぎると,通常は憲法の答案には成り難いからであり,点数が下がってしまうリスクが高くなるからである。

 

そこで,例えば,答案で,裁量権の逸脱・濫用の点に関し,判断過程統制から社会観念審査につなげる最高裁判例[9]の規範を用いるとしても,それは設問2(私見)だけにし,設問1では,マクリーン事件の射程が及ばないとし[10],中間審査基準(ここでは,目的の重要性,実質的関連性・手段の相当性を要件とするものいう。)等のより厳格な規範を採って(…(注)国賠法上の違法の規範の話ではない。),違憲違憲・違法)とすべきものと思われる。

 

ちなみに,この点に関し,「平成27年司法試験の採点実感等に関する意見(公法系科目第1問)」3頁・2「(5) その他」も,「憲法上の主張や見解について問われているにもかかわらず,A市の反論や『あなた自身の見解』において裁量論に迷い込み,憲法論から離れてA市側の行為の当・不当を長々と論じている答案が散見された。A市側に一定の裁量があり,また,問題文から拾い上げる要素にも大きな違いはないかもしれないとしても,あくまで憲法上の主張や見解について論じることを意識して答案を作成してほしかった。」(下線は筆者)としている。

 

 

次回,続きを書く予定である。

 

 

 

[1] 日本商工会議所「国家戦略特区に対する意見」(平成27年4月9日)1頁は,国家戦略特区に指定された全国6区域のうち,東京圏につき,「東京オリンピックパラリンピックも視野に、世界で一番ビジネスのしやすい環境を整備」するなどの目標に言及する。なお,この文献はウェブ上で公表されている。

[2] 日本商工会議所・前掲注(1)11頁参照。

[3] 竹内ひとみ「シンガポールの外国人雇用対策」日本労働研究雑誌564号99頁(2007年)。なお,この文献はウェブ上で公表されている。

[4] 東京高判昭和48年7月13日行裁集24巻6=7号533頁。

[5] 平成27年司法試験では論文憲法の問題の漏えいがあったことはあまりにも有名であるが,その漏洩事件に関する報道によると,模範答案のようなものが存在していた可能性があることが推察される。この模範答案の存在は,論文憲法でも,ある程度の規定演技が求められることの間接事実(あるいはそれに類する事情)の1つといえるだろう。

[6] 第1問(司法試験論文憲法)も,第2問(同行政法)のような会話文・会議録を問題文に掲載した方が良いと思われる。あるいは,そこまでできなくても,出題趣旨や採点実感等については,第2問のように,より具体的に書くべきである。受験生には答案を具体的に書くようになどと説きながら,考査委員自身は個々の判例名を挙げるなどして具体的に出題趣旨や採点実感等を書かないというのは,立場が違うとはいえ,ややアンバランスではないかと思われる。私人は具体的に,公の側の人間は許されるというのは,例えが適当ではないかもしれないが,●●学園問題における私人と,政治家・公務員等の異なる対応を見ているようであり,少々疑問に思うところである。

[7] 最大判昭和53年10月4日民集32巻7号1223頁。

[8] 平裕介「司法試験の関連判例を学習することの意義」法苑(新日本法規)179号7頁(2016年)の「別表」参照(この拙稿はウェブ上で公表されている)。なお,「関連判例」の意味については,同2頁。

[9] 最三小判平成18年2月7日民集60巻2号401頁等。

[10] 射程が及ばないとする理由付けなどについては,次回のブログで書く予定である。

 

*このブログでの(他のブログについても同じです。)表現は,私個人の意見,感想等を述べるものであり,私の所属団体,関連団体のそれとは一切関係のないものです。そのため,例えば,私のブログにおける「受験生」とは,このブログの不特定少数又は不特定多数の読者に司法試験や予備試験の受験生がいる場合のその受験生を意味し,特定の大学等の学生(司法試験受験生)をいうものではありません。このブログは,あくまで,私的な趣味として,私「個人」の感想等を,憲法21条1項(表現の自由)に基づき書いているものですので,この点につき,ご留意ください。

 

平成29年司法試験 公法系第1問の感想(1)

【注意】読みたくない司法試験受験生は,以下の文書を読まないで下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

予想が外れた。受験生に大変申し訳ない。

 

 

平成29年司法試験 公法系第1問すなわち憲法の論点は,外国人の人権((A)妊娠に関する自己決定権及び(B)身柄拘束に関する手続的権利)であった。

しかも,問題文からすると,(A)も(B)もともに法令違憲の主張であり,処分違憲の主張は問われていない。

 

書くべき憲法の条文は,(A)については13条後段であり,また(B)については33条又は31条であろう。

 

(A)の話に60点程度の配点が,(B)の話に40点程度の配点があると思われ,現実の採点に際して調整されることが予想され,最終的には,(A)が70点程度,(B)が30点程度となるだろう。

 

関連判例[1]は,(A)については,マクリーン事件であり,(B)については,川崎民商事件又は成田新法事件であり,すべて最高裁判所の「大法廷」の判例である[2]

(A)に関しては,在留権の話はともかく,21条1項についてのマクリーン事件の議論を13条後段(自己決定権)に活用できるかが問題となり,(B)に関しては,35条についての川崎民商事件又は成田新法事件の議論を33条に関係する法令の違憲性の話に活用できるかが問題となるものと考えられる。

 

なお,(A)に関しては立法裁量の話が出てくるだろう。

 

ところで,予想を外してしまった主な理由は次の3つである。すなわち,①13条(後段)2年連続はないと考えたこと,②外国人の人権は基本書・教科書では前半部分に登場するため,2年連続で前半部分の出題はないだろうと予想したこと,そして③手続的権利は,確かにプレテストでは聞かれていたように記憶しているが,憲法では出ておらず,判例からするとそう簡単には違憲になり難いテーマであるため,出ないと踏んだことである。

 

しかし,いずれも安易であり,外すべきではなかったかもしれない。

次のことから,外国人の人権ということについては予想ができたように思われ,残念でならない(とはいえ,それでも,自己決定権・手続的権利というところまでは難しいが)。

 

著名な憲法判例百選と並び,受験生が使うことの多い判例解説集として,憲法判例研究会編『判例プラクティス憲法〔増補版〕』(信山社,2014(平成26)年)がある。

 

「著者」は7名であるところ,うち2名が考査委員(尾形健教授,曽我部真裕教授)である。

そして,考査委員経験が比較的豊富と考えられる曽我部教授は,マクリーン事件等が著名な外国人の人権のテーマを含む「人権の主体」のところを書いている。

 

外国人の人権論に関する曽我部教授の考え方や問題意識等は,上記『判例プラクティス憲法〔増補版〕』4頁,6~7頁に書いてあるので,まずは読んでいただきたい。

また,同7頁で引用されている参考文献も重要である。

 

言いたいことは色々あるが,後日としたい。

 

 

 

[1] 「関連判例」の意味については,平裕介「司法試験の関連判例を学習することの意義」法苑(新日本法規)179号(2016年)1~8頁(2頁)を参照されたい。なお,この文献は,ウェブ上で公表されている。

[2] 平・前掲注(1)8頁も,司法試験論文式試験の対策として,百選掲載の「大法廷」判例を読み込むことの重要性を説いている。

 

*このブログでの(他のブログについても同じです。)表現は,私個人の意見,感想等を述べるものであり,私の所属団体,関連団体のそれとは一切関係のないものです。そのため,例えば,私のブログにおける「受験生」とは,このブログの不特定少数又は不特定多数の読者に司法試験や予備試験の受験生がいる場合のその受験生を意味し,特定の大学等の学生(司法試験受験生)をいうものではありません。このブログは,あくまで,私的な趣味として,私「個人」の感想等を,憲法21条1項(表現の自由)に基づき書いているものですので,この点につき,ご留意ください。

 

「司法修習生への給費制復活」に関する記事と,政教分離「衝突」型事案の答案との共通点

1 「司法修習生への給費制復活」に関する記事に関して

 

先日,法律時報2017年4月号の司法修習生への給費制復活に関する記事[1]につき,複数の弁護士の先生方(あるいはそれ以外の方々)の,‘法科大学院’の教員が給費制の復活(一部復活)を批判して云々[2]といったツイートなどに接したことから,私も気になり,先ほど読んでみたところである。

 

しかし,著者の先生の肩書は,「早稲田大学教授、第33期司法修習生」となっており,どこにも「法科大学院教授」とは書いていない。

 

とすると,先生方はインターネットなどで検索・確認したのか,あるいは検索等しなくても当然知っていたのか…ということになる。

 

確かに,この記事に関心を持つ読者(研究者,法曹,法学部生・法科大学院等)の一定数は,筆者の先生の肩書きなどについても(肩書きを知らない場合には)検索するものと思われる。このことからすると,「法科大学院」の教員として,あたかも特定の法科大学院を代表して,意思表明をしているような「印象」を,一時的にせよ,読者が受けてしまうことも,もしかしたらあるのかもしれない。

 

とはいえ,もちろん,個々の教員の考えていることは異なりうるし,弁護士会の会長声明等のように,法科大学院長としての意見表明などの形式を採っているわけでもないため,そのような「印象」が持たれることがないように(一応)なっているものという捉え方もできる。

筆者の先生は,自分自身が「法科大学院」の教員であることを特に強調する趣旨のことは書いていないように思われるし,その主観的意図はさておき,早稲田大学法科大学院の教員一同を代表して意見をいったとか,大学の公式見解として原稿を書いたとは捉えられないようになっているだろう。

 

また,少なくとも研究者や法曹・法学部生・法科大学院生等ではない一般人は,通常,上記給費制に関する記事の著者の先生が法科大学院の教授か,法学部の教授か,あるいは他学部の教授かなど,この記事だけからは分からないのではないかと思われる。つまり,この記事自体から,この著者の先生が早稲田大学の「法科大学院」を代表して特定の意見を述べたということは,客観的には(特に上記一般人には)通常読み取れないものといわなければならない。

 

もっとも,前述した(一時的にせよ)読者が受けうる「印象」につき,ネット上を中心に発言がなされると,どうなるだろうか(なお,一時的な印象はツイートにつながり易いということもあろう)。

例えば,弁護士の先生が筆者の先生の所属する法科大学院につき,もうこんな法科大学院には協力したくないとか,修習生が可哀想だなどといったツイートをし,それがリツイートされたりするということもあるかもしれない。

 

このようなことになれば,上記一般人は特に,下手をすると,記事を全く読んでいなくても,筆者の先生が「法科大学院の教授」として意見を述べただとか,あるいは,あたかも他の同じ大学の(ないし法科大学院全体の)教員の先生方も筆者の先生と同じ意見であるなどと,一時的にせよ,「誤解」してしまう者も出てくるだろう。「誤解」の連鎖である。

 

とすると,筆者の先生としては,上記「誤解」を防ぐために,どこかに,例えば「これは個人の見解であり,筆者が所属する法科大学院の公式見解ではありません。」などとあえて書いておかなければならなかったのだろうか。

 

しかし,それは,あたかも,映画『シン・ゴジラ』の終わりで,「これはあくまでフィクションですから,映画館を出る際にはどうぞ早く現実にお戻りください。」とか,『君の名は。』の冒頭において,「現実に,人間と人間の中味が入れ替わることは決してありません。これは周知の事実ですが,その上でご覧下さい。」とすることと同種に評しうるものといえよう・・・・・・などといったりすると,「それは極端な例えだ」とか「言いすぎだぞ,クソ」などと批判されるかもしれないが,まぁ本質的には一緒ではないかと思われる。つまり,これらの注意書きを「書かない」という選択こそが一つの「表現」(憲法21条1項)なのである。

 

このように,個人の何らかの言動が,‘他者からどのように見られるか’という問題は,読者のある種の「誤解」をも想定するなど,様々なことを考慮して判断されるべきことなのかもしれない。ただ,筆者の先生としては,そこまで考えなければならなかたのだろうか…。

 

 

2 政教分離原則(「衝突」型)に関して

 

ところで,旧司法試験では,ある個人や国家の何らかの言動が,‘他者からどのように見られるか’という問題が,政教分離原則が問題となる事案において,問題文の事実の評価の対象となっているものと考えられる。

 

すなわち,後掲の旧司法試験論文式試験・平成10年憲法第1問改題の政教分離原則が個人の精神的自由(信教の自由等)と「衝突」[3]するタイプの事案における規範の<あてはめ>の部分(「答案例」4(2)イの下線部)で聞かれているのではないかと理解することが可能であろう。

 

そこで以下,その具体例として,やや唐突ではあるが,この「衝突」型の旧司法試験の過去問を題材にした問題とその答案例を示すこととする。

 

なお,政教分離が出るのは,司法試験論文憲法では周期的に平成30年以降と予想され,平成29年司法試験では出ないと思われる[4]

 

とはいえ,平成29年予備試験では分からない。とすると,問題や答案例が「Xの立場からの憲法上の主張とこれに対して想定される反論との対立点を明確にしつつ,あなた自身の見解を述べなさい。」という形式(平成28年予備試験論文憲法のもの)のものになっていた方が,受験生に親切であることは間違いない。

 

しかし,以下の問題と答案例は,あくまで,上記の‘他者からどのように見られるか’という問題が,政教分離原則の「衝突」型の事案の答案でもみられることを示す趣旨で書くものであり,加えて,元のデータが,私が合格した年に法科大学院修了生への受験指導で用いたものを殆どコピペしたもの(空知太事件の最高裁判例も考慮していないもの)であることから,特に予備試験受験生各位におかれてはご容赦いただきたく思う。(ご容赦いただく理由として,全く合理的なものになっていないかもしれないが…。)

 

 

(問題:旧司法試験論文式試験・平成10年憲法第1問改題)

公立A高校で文化祭を開催するに当たり,A高校は,A高校の生徒全員に対し,5組を限度に,文化祭当日にA高校の講堂を用いて行う自由な内容の研究発表を募ったところ,キリスト教のある宗派を信仰している生徒Xら1組だけが,その宗派の成立と発展に関する研究発表を行いたいと応募した。

これに対して,校長Yは,毎年多くの一般市民が訪れる学校行事の1つである文化祭で特定の宗派に関する宗教活動を支援することは,政教分離原則に基づく公立学校における宗教的中立性の原則に違反することになるなどの理由から,Xらの研究発表を認めないという措置(以下,「本件措置」という。)をとった。

本件措置について,Xらは,「自分たちが信仰している宗教の宗派の成立と発展に関する研究発表を行う自由は,憲法上の自由として保障されている。YがXらの研究発表を認めても,政教分離原則に反することにはなるとはいえないし,一切認めないというのは行き過ぎた制約である。」としてYの措置は違憲であると主張している。

Xらの主張に対して,Yは,「Xらの自由が憲法上保障されるとしても,公立高校がXらの研究発表を認めてXらに教室などの施設を提供することになれば,それは特定の宗派の宗教活動を支援することにほかならず,また,他の宗教や宗派などにも影響を与えることになりかねない。したがって,Yの措置は,憲法上の政教分離原則に違反することとならないようにするための必要な制約である。」としてYの本件措置は合憲であると反論している。

本件措置は違憲か。あなたの見解を論じなさい。

 

 

(答案例)

1 Yの本件措置は,Xらの公立A高校における特定の宗派の成立と発展に関する研究発表を行う自由(以下,「本件自由」という。)を侵害し,違憲か。

2 本件自由の性格について

(1)本件自由は,A高校の文化祭開催時に,公立A高校という公の施設内において,キリスト教のある特定の宗派を「信仰」する者が,A高校の研究発表の募集に応じて,その「宗派の成立と発展」に関する「研究発表」を行うという自由である。

(2)本件自由は,特定の宗派を信仰する者がその宗派の起源等を紹介することで間接的には布教活動にもつながるという側面を持つので,憲法(以下略)20条1項前段「信教の自由」のうちの宗教的行為の自由としての性格を有する。また,布教活動等の宗教的行為そのものとは直接には関係のない宗派の成立と発展という歴史的事実・学術的事項の「研究」を発表するという側面も持つので,23条の「学問の自由」のうちの研究発表の自由としての性格を併有する。

(3)したがって,本件自由は,20条1項前段及び23条により保障される複合的な側面を持つ自由であるといえる。また,仮にこれらの条文によっては保障されないとしても,Xの人格発展に資するため表現の自由21条1項)により保障されると考える。

3 もっとも,本件自由も研究発表という外部的行為を行うことなどから無制約ではなく「公共の福祉」(13条後段)による制約を受ける。本件では,政教分離原則20条1項後段,同条3項,89条前段)の表れである「公立学校における宗教的中立性の原則」という憲法上の重要な要請により必要最小限度の制約を受ける。

4 では,本件措置は必要最小限度の制約として合憲といえるか。

(1)本件措置の合憲性を判断するための違憲審査基準が問題となる。

  この点につき,宗教的行為の自由も研究発表の自由も,個人の人格的生存に不可欠な人権である。また,生徒が学園祭で研究内容を自主的に考え,外部者へ向けて発表するという自由は,生徒の自主創造の力を育て,人格を成長・発展させるという重要な性質をも有している。

  しかし,他方で,信教の自由をより厚く保護するための制度的保障と解される政教分離原則と抵触しうるという本件自由についての制約の本来的可能性や,公的施設を授業以外の活動に関して利用する場合の問題であり,施設管理者(校長)の一定の裁量的判断が及びうる余地もあることから,厳格審査基準によることは適当ではない。

  そこで,本件では,同基準よりは緩やかである基準すなわち規制目的が重要であり,かつ,その目的と目的達成のための手段との間に実質的関連性が認められなければ違憲とする審査基準により合憲性を判定すべきである[5]

(2)あてはめ

ア 前述したように,「公立学校における宗教的中立性の原則」は,信教の自由をより厚く保護するための制度的保障たる政教分離原則の表れであるから,規制目的自体は重要と考える。

イ(ア)では,上記目的と本件措置との間に実質的関連性はあるか。A高校内でのXらの研究発表をそのまま認めることが政教分離原則に反することとなるのか,仮に反しうるとしても,より制限的でない他に選び得る手段はないのかが問題となる。

 思うに,政教分離原則は,特に少数者の信教の自由の保障を確保するものであり,宗教が国家統治の道具とされたという歴史的沿革にも照らせば,国家は宗教に基本的には介入すべきではない。他方,国家と宗教の完全な分離は事実上不可能に近く,また,かえって不合理な事態を招く

  そこで,国家と宗教のかかわり合いを一切許さないというのではなく,①当該行為の目的が宗教的意義を持ち,かつ,②その効果が宗教に対する援助・助長・促進または圧迫・干渉等になるような行為については,両者のかかわり合いが相当とされる限度を超えるものとして,政教分離原則に違反すると解する(目的効果基準,津地鎮祭事件判決に同旨)。

 (イ)以上の目的効果基準を本件につき検討すると,①A高校がXらの研究発表を行わせるとしても,それは正規の授業ではない学園祭開催時に限り,一部の生徒の自主的な研究発表の場所を提供するだけという世俗的なものにすぎない。また,発表内容もキリスト教という歴史の教科書にも記載のある一般的な宗教のうちの宗派の成立と発展に関するものであり,布教活動等の宗教的行為そのものとは直接は関係のない歴史的事実・学術的事項の発表であるから,宗教的意義を持つものではないと考える。もっとも,発表者が特定の宗派を信仰するXらであることから布教活動等と関係があると捉えうる余地もあり,そうすると,Xらの場所を提供することは宗教的意義を持ちうるということになる。

 そこで,②についても検討を加えると,() Xら1組だけの発表につき,公立学校の教室等ではなく「講堂」の利用を認め,()A高校の学園祭には毎年多数の一般市民が訪れ,様々な宗教を信仰する者や無宗教者が訪れることに照らせば,来場した者によってはXらがA高校生徒の代表者であり,その信仰する宗派だけをA高校が厚遇するイメージを与えかねず,Xらの信仰する宗派への援助・助長・促進の効果及び他の宗教・無宗教者に対する圧迫・干渉等の効果が生じる危険があると考えられる。しかし,例えば,発表する場所を「講堂」ではなく多少規模の小さい「教室」等とし,教室等の入り口等見える場所に「この研究発表は一部の生徒が学園祭時に限り自主的な研究発表を行うもので,A高校は場所の提供以上のこと(金員支出等)をしていない」旨の掲示等をした上で発表を行わせれば上記各効果は生じず,国家と宗教とのかかわり合いが相当とされる限度を超えず,政教分離原則に違反しないこととなるものと考える。

ウ したがって,上記のように規制目的と本件措置との間に一定の関連性がありうるとしても,より制限的でない他に選び得る手段(代替措置)が存在し,しかもかかる代替措置は容易になしうるものであるから,講堂を使用させず,発表を一切禁止するという本件措置は,実質的関連性を欠くと考える[6]

 なお,このような判断は,本件と同様に,原告が剣道実技の履修義務免除を求め,消極的な宗教的行為の自由という精神的自由に関わる生徒の利益と,政教分離原則に基づく公教育の宗教的中立性との抵触・調整が問題となった事案につき,レポート提出等の代替措置の存在等を理由に市立高専の剣道実技拒否による単位不認定措置等を違法と判示した剣道実技拒否事件と比較しても,適当な結論であるというべきである。

(3)以上より,本件措置は,違憲である。

                                 以上

 

 

以上,「司法修習生への給費制復活」に関する記事[7]政教分離原則(「衝突」型)の答案との共通点について述べた。上記問題と答案例については,1つの叩き台として,適宜参考にしていただければ幸甚である。

 

 

 

[1] 須網隆夫「司法修習生への給費制復活」法律時報89巻4号1~3頁(2017年)。

[2] 国語辞典には「でんでん」とは書いていなかったが,私の所有する国語辞典に載っていなかっただけかもしれないので,私自身が調査義務を怠っているのかもしれない。

[3] 坂田仰「判批」(東京地判昭和61年3月20日解説)長谷部恭男石川健治=宍戸常寿編『憲法判例百選〔第6版〕』(有斐閣,2013年)94頁以下(95頁)。

[4] 保証はできない。

[5] 高橋和之立憲主義日本国憲法 第4版』(有斐閣,2017年)137頁の「中間審査基準」と採るものである。

[6] 高橋・前掲注(5)137頁の立場を前提としている。

[7] なお,この記事を読み,給費制の存続に関する「署名」を集めたことを思い出した。あのときご協力いただいた多くの学生の皆様及び学生以外の方々にあらためて感謝いたします。

 

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平成29年司法試験論文憲法の予想論点と活用すべき判例(2・完)

 

 

前回のブログ(平成29年司法試験論文憲法の予想論点と活用すべき判例(1))の続きである。

 

1 重要判例の具体的な活用について

 

前回述べたことの繰り返しになるが,本問の関連判例[1]すなわち,前回のブログで挙げた船橋市立図書館図書廃棄事件と,富山県立近代美術官事件天皇コラージュ事件)は,いずれも憲法判例百選[第6版]で収載・解説される重要なものである(前者はⅠ・74番判例であり,後者はⅡ・167番の裁判例である)。これらにつき,以下では,最高裁判例である前者(以下「本判例」ということがある。)を主として活用する方法を示すこととする。ここでは詳しくは触れないが,サンプル問題と同様の解き方となるものと考える。

 

(1)まず,本判例の重要部分のうち,本判例を活用するための(いわば)要件に当たるものと解される部分は,次の通りである。

 

公立図書館の役割,機能等に照らせば,「公立図書館は,〔(あ)〕住民〔≒情報受領者〕に対して思想,意見その他の種々の情報を含む図書館資料を提供してその教養を高めること等を目的とする公的な場ということができ」,また,そのような公立図書館で「閲覧に供された図書の〔(い)〕著作者〔≒情報発信者〕にとって,その思想,意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるということができる。」(下線・太字・〔 〕内は筆者)

 

 (あ)は,情報受領者側の要件であり,(い)は,情報発信者側の要件である。どちらにも「公的な場」というキーワードが入るが,実質的に,これらと同様に扱うべき事案類型といえれば,本判例を活用しうることになるといえよう。

 

 

(2)他方,本判例の重要部分のうち,本判例を活用するための(いわば)効果に当たるものと解される部分は,次の通りである。

 

公立図書館の図書館職員は,「独断的な評価個人的な好みにとらわれることなし公正に図書館資料を取り扱うべき職務上の義務を負うものというべきであ」る。(下線・太字・〔 〕内は筆者)

 

 

(3)本判例の活用例

 本判例を答案に活用するならば,次のような記載をすることが考えられる。やや強引とも思われ,批判もあるだろうが,以下(及び以上)は,基本的には,百選等の必要最小限の知識で書く[2]ことを前提とする記述である。

 

(1)確かに,政府に対し,表現活動に対する助成(援助・給付)を請求する権利憲法から直接導き出すことはできない[3]

 しかし,地方新聞による記事の提供行為は,各自治体の現状に密着した独特の(当該地方新聞でしか読めない)事実・意見等に係る情報を扱う点で,公立図書館等公的な場において情報が流通する場合と同じく,情報受領者たる住民多様な情報に接することに資するものであり,また,情報発信者が公衆に意見等を伝達する重要な手段である。

 

(2)そこで,助成(援助)に関して内容[4]の選別に係る行政裁量があることを前提としても,助成を受ける情報発信者表現の自由,思想の自由が憲法により保障され(21条1項,19条),情報受領者の知る権利も21条1項により保障されると解されることにかんがみると,いったん助成を認めた後,これを撤回する(取消す)処分をする場合には,処分庁は情報の流通過程に関する職務を公正・中立に行う法的義務を負い,同義務に反すれば21条1項に違反し,違憲となるものと解される。

 具体的には,①新聞における記事等の独自性[5],その割合,発行部数,②撤回により言論市場における情報伝達過程を歪める危険性の程度[6],③撤回しないことによる弊害[7](害される公益)などを総合的に考慮[8]して上記公正中立義務に違反したかを判断すべきである。[9]

 

なお,上記論述では,特に「船橋市立図書館図書廃棄事件」という判例名までは書いていないが,書かなくても分かると思われるし,あえて出すこともなかろう(書いても減点されるわけではないと思うが)。

 

 

次に,上記(2)のあてはめ(答案では「あてはめ」ではなく「個別具体的な検討」などと書くこと[10])の要点につき,長くなってきたのでごく簡単に述べる。

 

設問1では,主に考慮事項(要素)の①と②を中心に書くと良かろう。

設問2の想定される反論では,③の点の要点を中心に書く。

そして,私見部分で,③の点を厚く書き,①・②の点に対する合憲側の主張を展開すると良かろう。

 

このあたりは,現場で何とかなるのではなかろうか。むしろ本問のような問題では,規範定立(考慮事項・要素を含む)まででほぼ合否が決まるように思われる(もちろん,あてはめを雑に書いてよいという趣旨ではない)。

 

 

2 「私見」の結論は「合憲」とするのが無難と考えられること

 

最後に,「私見」の結論(合憲or違憲)に関して一言述べる。

 

司法試験論文憲法は,「私見」が違憲でも合憲でも良いという問題しか出題されていないように思われる(予備試験でも概ね同様だろう)。採点実感や出題趣旨等でも,結論に至る理由やプロセスが大事であるといったコメントが多くあったとように思う。

 

そうすると,設問1が40点,設問2が60点(反論10点,私見50点)くらいだとして[11],やや安易ではあるが,私見の50点については,合憲側の論拠の話(あてはめレベルでいえば,事実と評価)に40点,違憲側の論拠の話に10点割り振られていると形式的にみることもできるだろう[12]

 

そこで,特に時間不足に陥ったような場合には,私見で上記合憲側の論拠(私の分析では40点部分)を書くべきであるから,私見の結論は,違憲ではなく合憲ということになる。とりわけ争点が2~3ある場合(というか毎年2~3はあるが…。),このうちのどれかは(3あったら2くらいは)合憲の結論に落ち着かせる方が無難であろう。

 

なお,個人的には毎年,私見も違憲でも良いのではと思ったりもするが,しかし,司法試験論文憲法では,このような発想はややリスキーであると考えられる。

 

以上,本試験でも適宜参考にしていただければ幸甚である。

 

 

[1] 「関連判例」の意味については大体のイメージをすることができるとは思うが,興味があれば,平裕介「司法試験の関連判例を学習することの意義」法苑179号(新日本法規,2016(平成28)年9月8日)1頁以下をご参照いただきたい。要するに,司法試験の出題趣旨や採点実感等で明に暗に言及されるような判例のことを指す語である。

[2] 既に様々な司法試験予備校の先生方等が示していることであるが,若手合格者(今であれば学部時代に予備試験に受かるような方)は,決して知識が多いわけではないが,ごく基本的な知識(特にキーワード)を正確に記憶しており,かつその少ない基本的知識を十二分に有効活用しようとする点に強みがあるものと考えられる。若手合格者は,多くの実務家弁護士がよく知らないような,あるいは一部の学者が提示するような先端的な学説や海外の法理論などを勉強している時間は通常ないが,それでも短期合格するという現実につき,受験生(受験生全員とは言わないが)等は,よく考える必要があるだろう。

[3] 青柳幸一『憲法』(尚学社,2015年)187頁参照。特に争いのない点と思われるが,憲法学における基本的な事項をいえるため,一行書いておくべきと考えられる。

[4] この点につき,あえて,主題か観点かという区分を行っていない(ただしその区分自体が難しい場合もあるだろう.。関連判例もこの区分について一般論を展開し明確な判示をしているというわけでもなさそうである。)が,そのような知見を用いるのであれば,適宜,規範の考慮事項やあてはめで用いると良いと思われる。

[5] 問題文にそれらしい記載がある場合には,「記事等に対する専門家の判断」といった考慮要素も書き,あてはめると良いと思われる(青柳・前掲注(3)188頁参照)。

[6] 青柳・前掲注(3)189~190頁参照。

[7] 天皇コラージュ事件の場合には,非公開派による抗議活動が及ぼす施設管理運営上の支障の蓋然性の有無・程度である(青柳・前掲注(3)188頁参照)。

[8] 表現への政府の助成・給付の場合,やはり内容の選別に係る行政裁量は否定できないため,厳格審査基準や中間審査基準によるのではなく,設問1の段階から総合判断方式が良いと思われる。私見でも同じ規範を採るので良いだろうが,反論を意識した私見独自の理由付けを書けると良いだろう。

[9] 「中立」というキーワード及び考慮事項(要素)②については,学説のキーワードを少し使ったが,百選・重判レベルの解説に書いてあるようなキーワードを用いたに過ぎない。あくまで(意図的に,また能力的にも)学説に深入りすることはしていない。考慮事項については,問題文をみて,①~③を適宜修正し,現場ででっちあげるなどしても良いだろう。

[10] 形式的に「あてはめ」と書くべきではないことについては,実務家からは異論があるところと思われるが,過去の採点実感等でそういう作法によるべき旨言われているので,少なくとも当面は仕方がないことである。当時の考査委員(特定の?)と多数の(?)実務家の意識の乖離がみられるところと思われ,少なくとも,この点で,司法試験と実務は一致しないものといえよう。ちなみに,先端的な,ないし特定の研究者の優れた(研究者の間ではそのように評価される)学説を司法試験の答案に書いても実務家の採点委員が知らない(ゆえに必ずしも加点されないか,加点されにくい)など,先端的で優れた学説と法曹実務との乖離も現に存するものと思われる。

[11] 平成27年司法試験論文憲法の設問の配点割合を参照。ただし,平成28年以降は設問1が45点程度,設問2が55点程度(反論10点,私見45点)程度といった分析も可能と思われる(ここではこの論拠を特に詳しく展開しないが,追ってブログかツイッターなどで説明できればと考えている)。

[12] この点については,研究者の先生から必ずしもそうではないのではとのご意見ないしご批判をいただいたことがある。私も現在の立場に拘泥するものではないが,現時点での「私見」を述べたものではある。

 

 

*このブログでの(他のブログについても同じです。)表現は,私個人の意見,感想等を述べるものであり,私の所属団体,関連団体のそれとは一切関係のないものです。そのため,例えば,私のブログにおける「受験生」とは,このブログの不特定少数又は不特定多数の読者に司法試験や予備試験の受験生がいる場合のその受験生を意味し,特定の大学等の学生(司法試験受験生)をいうものではありません。このブログは,あくまで,私的な趣味として,私「個人」の感想等を,憲法21条1項(表現の自由)に基づき書いているものですので,この点につき,ご留意ください。

平成29年司法試験論文憲法の予想論点と活用すべき判例(1)

既にツイッターでも述べたが,平成29年司法試験論文式試験公法系科目第1問(憲法)の予想(本命[1])につき,私は,新聞等の紙媒体のメディアへの助成の事案で,処分違憲の主張をさせる問題が出ると考える。

 

その根拠は,次の4点にある。

(1)周期的に21条1項が出やすい年度である

(2)日本の郵便法22条の第三種郵便制度と同様に,あるいはより手厚いメディアへの助成(援助)に関する法制度が海外にはあり,情報法(21条1項等)ご専門の考査委員(研究者)の先生が同種のフランスの制度について研究されたことがある(と思われる)

(3)この他の考査委員(研究者)の先生のうち1名は昨年問題案を作られたと予想され,今年は問題案を作る委員にはならないと予想する

(4)もう1名の考査委員(研究者)は,25条等,社会権を特に研究されている先生であるが,今年は,25条は周期的におそらく出ないであろうことなどにある。

 

ここで,いきなりの弱気発言を展開すると,(3)の点も心配ではあるが,より心配なのは(4)の点である。

おそらくだが,採点委員からカウントすると(4)の先生は3年目であり,作問委員としては2年目であるため,そろそろ問題案を作る(問題案が憲法の考査委員らによって採用される)委員になるのではないかとの予想もありえ,一時25条が本命と考えた。平成22年に生存権が出ているため,そろそろというのもある。特に生存権(その中でも制度後退型の事案)は,本当に危ないと思う。

 

しかし,25条は社会権であり,自由権(精神的自由権)ではない。この点に関し,平成28年は,13条後段(包括的基本権)と22条1項という精神的自由そのものからの出題ではなかった。22条1項の居住・移転の自由に精神的自由の要素があるとしても,例えば芦部先生のテキスト[2]では,経済的自由権として紹介されている。

 

統計的に,精神的自由権が連続で出るということはあっても,2年間連続で出ないということは,これまでなかった。そのため,平成29年は,社会権は出題されず,精神的自由権が出るということにある。

 

とすると,(3)の先生の思想・良心の自由(いわゆる君が代事件を活用する問題)も危ないわけだが,(もちろん制度上は問題ないが)おそらく今年は(3)の先生の問題が叩き台になるということはないのではないかと予想する。

 

よって,半ば消去法的であるが[3],(2)の先生(平成27年も考査(作問)委員)が問題案を作られるのではと予想する。

 

 

 

さて,話を本論に戻すが,予想される問題文の概要は,こうである。

 

202×年,ネット新聞・雑誌等のネットメディアが発展し続け,紙媒体の新聞,特に地方新聞といったメディアの広告収入が減り続け,経営し続けることを断念する社も多く出てきたという導入から問題文が始まる。

 

政府(又は地方政府)は,特に地方新聞の社の倒産が相次ぐと情報の質の多元性を確保できず,これは国民の知る権利との関係で問題であり,また地方自治の本旨との関係でも問題があるとして,「政治,経済,文化その他公共的な事項を報道し,又は論議することを目的とする」地方新聞社であるなど,一定の要件を満たした場合,地方新聞の社等に助成金を付与する(申請に対する処分の法形式をとる)という法律(地方政府の場合,条例)を作る。

 

X社は,この法律(又は条例)によって自社も助成金の給付を受けたいと考え,その申請をし,月数万円の給付金の交付を受けることとなった。

 

しかし,その後,政府の政策に反対し,特定の政党ないし見解を支持するような記事を載せる割合が増えたことや,広告欄を多く掲載したことなどをきっかけとして,処分庁より,助成金の給付の撤回(行政法学における撤回である)がなされてしまう。

 

X社としては,給付処分の撤回処分が違憲であると主張し,取消訴訟を提起する。政府(Y)としては助成の原資は税金であることから裁量がある旨主張し,撤回は合憲であると反論している。

 

そして,平成28年と同じ設問の形式での出題がなされ,資料として,上記助成についての架空の個別法(又は個別条例)が掲載されることになる。

 

設問には,次のとおりの限定があるものと予想する。

 

(あ)結社の自由については論じる必要はない。

(い)(条例の場合)法律と条例の関係(条例の法律適合性)については論じる必要がない。

 

このうち,どちらも思い切った予想と自分でも思うが,短答式試験対策のためにも勉強しておくことが重要である。

 

 

なお,冒頭で述べたとおり,周期的に,今年は,法令違憲ではなく,処分違憲が出ると予想する。おそらく処分違憲だけの年となるだろう。

 

 

ちなみに,以下,現行法の類似の(といっても金員を給付するものではないが)制度を紹介する。下記の第三種郵便物制度(郵便法22条,郵便代が割り引かれるもの)であり,従前は,処分庁(郵政事業庁長官等)が「認可」する方式を採っていたものである。

 

 

 第22条 (第三種郵便物) 第三種郵便物の承認のあることを表す文字を掲げた定期刊行物を内容とする郵便物で開封とし、郵便約款の定めるところにより差し出されるものは、第三種郵便物とする。

2 第三種郵便物とすべき定期刊行物は、会社の承認のあるものに限る。

3 会社は、次の条件を具備する定期刊行物につき前項の承認をする。

一 毎年一回以上の回数で総務省令で定める回数以上、号を追つて定期に発行するものであること。

二 掲載事項の性質上発行の終期を予定し得ないものであること。

三 政治、経済、文化その他公共的な事項を報道し、又は論議することを目的とし、あまねく発売されるものであること。

4~5 (略)

※下線は筆者

 

 

このように,予想されるテーマは,表現の自由への政府の援助・助成である。

 

この点,青柳幸一元司法試験考査委員のテキスト[4]では,「表現の自由と援助者としての政府」の項目で次の説明がなされている。

 

 

 伝統的に,国家は表現を規制する存在と捉えられてきた(規制者としての政府)。しかし,国家と自由の関係は,表現の自由も含めて,一面的ではない。自由を現実的に保障するためには,国家が必要でもある。近時,「規制者としての政府」だけではなく,「援助者としての政府」という文脈での問題が,日本でも論じられている。

 国家に対して表現活動に対する援助を請求する権利を憲法から直接導き出すことはできない。ただし,援助を提供することが決定された場合には,近代国家における基本原理であり,そして思想の自由,表現の自由を保障する憲法上の原則でもある,思想や表現に対する「国家の中立性」が求められる。したがって,公立美術館が美術作品を,公立図書館が図書類を購入し収蔵した場合には,その管理に関して内容中立的な運用が求められる

※下線は筆者

 

そして,上記の「国家の中立性」,「内容中立的な運用が求められる」ことに関し,小山剛教授のテキスト[5]によると,「国家の中立義務とはドイツの郵便新開業務決定(BVerfGE80,124)で展開された要請である」とされている。

 

このことから,青柳元委員は,ドイツの連邦憲法裁判所での判示を日本にも導入すべきと考えたのかもしれない。

 

さらに,「表現の自由と援助者としての政府」の項目において,富山県立近代美術官事件天皇コラージュ事件),船橋市立図書館図書廃棄事件が青柳元委員のテキスト[6]で紹介されている。

 

両方とも,憲法判例百選[第6版]で解説されている重要判例である(Ⅰ・74番,Ⅱ・167番)。これらの判例・裁判例の要点の記憶は,短答式試験対策としても有用であるが,上記のような予想問題が出るのでれば論文式試験対策としても合格の鍵を握るものとなるだろう。

 

 ここで問題なのは,上記各判例・裁判例(や上記憲法学上の学説・理論)を答案にどのように活用するかであるが,長くなったので,また明日以降に。[7]

 

 

 

[1] 「本命」も何も,予想は1つでなければならないというご批判もあろうかと思われるため,このブログでは,予想を1つに絞っている。

[2] 芦部信喜(著),高橋和之(補訂)『憲法 第六版』(岩波書店,2015年)230頁。

[3] この点に関し,稲葉浩志(作詞),B’zlove me, I love you』(1995年)は,「消去法でイケることもある」とする。短答式試験でもこの発想が重要。

[4] 青柳幸一『憲法』(尚学社,2015年)187頁。

[5] 小山剛『「憲法上の権利」の作法 第3版』(尚学社,2016年)204頁。

[6] 青柳・前掲注(4)187~188頁。

[7] ただし,確約はできない。

 

*このブログでの(他のブログについても同じです。)表現は,私個人の意見,感想等を述べるものであり,私の所属団体,関連団体のそれとは一切関係のないものです。そのため,例えば,私のブログにおける「受験生」とは,このブログの不特定少数又は不特定多数の読者に司法試験や予備試験の受験生がいる場合のその受験生を意味し,特定の大学等の学生(司法試験受験生)をいうものではありません。このブログは,あくまで,私的な趣味として,私「個人」の感想等を,憲法21条1項(表現の自由)に基づき書いているものですので,この点につき,ご留意ください。