平 裕介(弁護士・公法研究者)のブログ

主に司法試験と予備試験の論文式試験(憲法・行政法)に関する感想を書いています。

平成29年司法試験 公法系第1問の感想(1)

【注意】読みたくない司法試験受験生は,以下の文書を読まないで下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

予想が外れた。受験生に大変申し訳ない。

 

 

平成29年司法試験 公法系第1問すなわち憲法の論点は,外国人の人権((A)妊娠に関する自己決定権及び(B)身柄拘束に関する手続的権利)であった。

しかも,問題文からすると,(A)も(B)もともに法令違憲の主張であり,処分違憲の主張は問われていない。

 

書くべき憲法の条文は,(A)については13条後段であり,また(B)については33条又は31条であろう。

 

(A)の話に60点程度の配点が,(B)の話に40点程度の配点があると思われ,現実の採点に際して調整されることが予想され,最終的には,(A)が70点程度,(B)が30点程度となるだろう。

 

関連判例[1]は,(A)については,マクリーン事件であり,(B)については,川崎民商事件又は成田新法事件であり,すべて最高裁判所の「大法廷」の判例である[2]

(A)に関しては,在留権の話はともかく,21条1項についてのマクリーン事件の議論を13条後段(自己決定権)に活用できるかが問題となり,(B)に関しては,35条についての川崎民商事件又は成田新法事件の議論を33条に関係する法令の違憲性の話に活用できるかが問題となるものと考えられる。

 

なお,(A)に関しては立法裁量の話が出てくるだろう。

 

ところで,予想を外してしまった主な理由は次の3つである。すなわち,①13条(後段)2年連続はないと考えたこと,②外国人の人権は基本書・教科書では前半部分に登場するため,2年連続で前半部分の出題はないだろうと予想したこと,そして③手続的権利は,確かにプレテストでは聞かれていたように記憶しているが,憲法では出ておらず,判例からするとそう簡単には違憲になり難いテーマであるため,出ないと踏んだことである。

 

しかし,いずれも安易であり,外すべきではなかったかもしれない。

次のことから,外国人の人権ということについては予想ができたように思われ,残念でならない(とはいえ,それでも,自己決定権・手続的権利というところまでは難しいが)。

 

著名な憲法判例百選と並び,受験生が使うことの多い判例解説集として,憲法判例研究会編『判例プラクティス憲法〔増補版〕』(信山社,2014(平成26)年)がある。

 

「著者」は7名であるところ,うち2名が考査委員(尾形健教授,曽我部真裕教授)である。

そして,考査委員経験が比較的豊富と考えられる曽我部教授は,マクリーン事件等が著名な外国人の人権のテーマを含む「人権の主体」のところを書いている。

 

外国人の人権論に関する曽我部教授の考え方や問題意識等は,上記『判例プラクティス憲法〔増補版〕』4頁,6~7頁に書いてあるので,まずは読んでいただきたい。

また,同7頁で引用されている参考文献も重要である。

 

言いたいことは色々あるが,後日としたい。

 

 

 

[1] 「関連判例」の意味については,平裕介「司法試験の関連判例を学習することの意義」法苑(新日本法規)179号(2016年)1~8頁(2頁)を参照されたい。なお,この文献は,ウェブ上で公表されている。

[2] 平・前掲注(1)8頁も,司法試験論文式試験の対策として,百選掲載の「大法廷」判例を読み込むことの重要性を説いている。

 

*このブログでの(他のブログについても同じです。)表現は,私個人の意見,感想等を述べるものであり,私の所属団体,関連団体のそれとは一切関係のないものです。そのため,例えば,私のブログにおける「受験生」とは,このブログの不特定少数又は不特定多数の読者に司法試験や予備試験の受験生がいる場合のその受験生を意味し,特定の大学等の学生(司法試験受験生)をいうものではありません。このブログは,あくまで,私的な趣味として,私「個人」の感想等を,憲法21条1項(表現の自由)に基づき書いているものですので,この点につき,ご留意ください。

 

「司法修習生への給費制復活」に関する記事と,政教分離「衝突」型事案の答案との共通点

1 「司法修習生への給費制復活」に関する記事に関して

 

先日,法律時報2017年4月号の司法修習生への給費制復活に関する記事[1]につき,複数の弁護士の先生方(あるいはそれ以外の方々)の,‘法科大学院’の教員が給費制の復活(一部復活)を批判して云々[2]といったツイートなどに接したことから,私も気になり,先ほど読んでみたところである。

 

しかし,著者の先生の肩書は,「早稲田大学教授、第33期司法修習生」となっており,どこにも「法科大学院教授」とは書いていない。

 

とすると,先生方はインターネットなどで検索・確認したのか,あるいは検索等しなくても当然知っていたのか…ということになる。

 

確かに,この記事に関心を持つ読者(研究者,法曹,法学部生・法科大学院等)の一定数は,筆者の先生の肩書きなどについても(肩書きを知らない場合には)検索するものと思われる。このことからすると,「法科大学院」の教員として,あたかも特定の法科大学院を代表して,意思表明をしているような「印象」を,一時的にせよ,読者が受けてしまうことも,もしかしたらあるのかもしれない。

 

とはいえ,もちろん,個々の教員の考えていることは異なりうるし,弁護士会の会長声明等のように,法科大学院長としての意見表明などの形式を採っているわけでもないため,そのような「印象」が持たれることがないように(一応)なっているものという捉え方もできる。

筆者の先生は,自分自身が「法科大学院」の教員であることを特に強調する趣旨のことは書いていないように思われるし,その主観的意図はさておき,早稲田大学法科大学院の教員一同を代表して意見をいったとか,大学の公式見解として原稿を書いたとは捉えられないようになっているだろう。

 

また,少なくとも研究者や法曹・法学部生・法科大学院生等ではない一般人は,通常,上記給費制に関する記事の著者の先生が法科大学院の教授か,法学部の教授か,あるいは他学部の教授かなど,この記事だけからは分からないのではないかと思われる。つまり,この記事自体から,この著者の先生が早稲田大学の「法科大学院」を代表して特定の意見を述べたということは,客観的には(特に上記一般人には)通常読み取れないものといわなければならない。

 

もっとも,前述した(一時的にせよ)読者が受けうる「印象」につき,ネット上を中心に発言がなされると,どうなるだろうか(なお,一時的な印象はツイートにつながり易いということもあろう)。

例えば,弁護士の先生が筆者の先生の所属する法科大学院につき,もうこんな法科大学院には協力したくないとか,修習生が可哀想だなどといったツイートをし,それがリツイートされたりするということもあるかもしれない。

 

このようなことになれば,上記一般人は特に,下手をすると,記事を全く読んでいなくても,筆者の先生が「法科大学院の教授」として意見を述べただとか,あるいは,あたかも他の同じ大学の(ないし法科大学院全体の)教員の先生方も筆者の先生と同じ意見であるなどと,一時的にせよ,「誤解」してしまう者も出てくるだろう。「誤解」の連鎖である。

 

とすると,筆者の先生としては,上記「誤解」を防ぐために,どこかに,例えば「これは個人の見解であり,筆者が所属する法科大学院の公式見解ではありません。」などとあえて書いておかなければならなかったのだろうか。

 

しかし,それは,あたかも,映画『シン・ゴジラ』の終わりで,「これはあくまでフィクションですから,映画館を出る際にはどうぞ早く現実にお戻りください。」とか,『君の名は。』の冒頭において,「現実に,人間と人間の中味が入れ替わることは決してありません。これは周知の事実ですが,その上でご覧下さい。」とすることと同種に評しうるものといえよう・・・・・・などといったりすると,「それは極端な例えだ」とか「言いすぎだぞ,クソ」などと批判されるかもしれないが,まぁ本質的には一緒ではないかと思われる。つまり,これらの注意書きを「書かない」という選択こそが一つの「表現」(憲法21条1項)なのである。

 

このように,個人の何らかの言動が,‘他者からどのように見られるか’という問題は,読者のある種の「誤解」をも想定するなど,様々なことを考慮して判断されるべきことなのかもしれない。ただ,筆者の先生としては,そこまで考えなければならなかたのだろうか…。

 

 

2 政教分離原則(「衝突」型)に関して

 

ところで,旧司法試験では,ある個人や国家の何らかの言動が,‘他者からどのように見られるか’という問題が,政教分離原則が問題となる事案において,問題文の事実の評価の対象となっているものと考えられる。

 

すなわち,後掲の旧司法試験論文式試験・平成10年憲法第1問改題の政教分離原則が個人の精神的自由(信教の自由等)と「衝突」[3]するタイプの事案における規範の<あてはめ>の部分(「答案例」4(2)イの下線部)で聞かれているのではないかと理解することが可能であろう。

 

そこで以下,その具体例として,やや唐突ではあるが,この「衝突」型の旧司法試験の過去問を題材にした問題とその答案例を示すこととする。

 

なお,政教分離が出るのは,司法試験論文憲法では周期的に平成30年以降と予想され,平成29年司法試験では出ないと思われる[4]

 

とはいえ,平成29年予備試験では分からない。とすると,問題や答案例が「Xの立場からの憲法上の主張とこれに対して想定される反論との対立点を明確にしつつ,あなた自身の見解を述べなさい。」という形式(平成28年予備試験論文憲法のもの)のものになっていた方が,受験生に親切であることは間違いない。

 

しかし,以下の問題と答案例は,あくまで,上記の‘他者からどのように見られるか’という問題が,政教分離原則の「衝突」型の事案の答案でもみられることを示す趣旨で書くものであり,加えて,元のデータが,私が合格した年に法科大学院修了生への受験指導で用いたものを殆どコピペしたもの(空知太事件の最高裁判例も考慮していないもの)であることから,特に予備試験受験生各位におかれてはご容赦いただきたく思う。(ご容赦いただく理由として,全く合理的なものになっていないかもしれないが…。)

 

 

(問題:旧司法試験論文式試験・平成10年憲法第1問改題)

公立A高校で文化祭を開催するに当たり,A高校は,A高校の生徒全員に対し,5組を限度に,文化祭当日にA高校の講堂を用いて行う自由な内容の研究発表を募ったところ,キリスト教のある宗派を信仰している生徒Xら1組だけが,その宗派の成立と発展に関する研究発表を行いたいと応募した。

これに対して,校長Yは,毎年多くの一般市民が訪れる学校行事の1つである文化祭で特定の宗派に関する宗教活動を支援することは,政教分離原則に基づく公立学校における宗教的中立性の原則に違反することになるなどの理由から,Xらの研究発表を認めないという措置(以下,「本件措置」という。)をとった。

本件措置について,Xらは,「自分たちが信仰している宗教の宗派の成立と発展に関する研究発表を行う自由は,憲法上の自由として保障されている。YがXらの研究発表を認めても,政教分離原則に反することにはなるとはいえないし,一切認めないというのは行き過ぎた制約である。」としてYの措置は違憲であると主張している。

Xらの主張に対して,Yは,「Xらの自由が憲法上保障されるとしても,公立高校がXらの研究発表を認めてXらに教室などの施設を提供することになれば,それは特定の宗派の宗教活動を支援することにほかならず,また,他の宗教や宗派などにも影響を与えることになりかねない。したがって,Yの措置は,憲法上の政教分離原則に違反することとならないようにするための必要な制約である。」としてYの本件措置は合憲であると反論している。

本件措置は違憲か。あなたの見解を論じなさい。

 

 

(答案例)

1 Yの本件措置は,Xらの公立A高校における特定の宗派の成立と発展に関する研究発表を行う自由(以下,「本件自由」という。)を侵害し,違憲か。

2 本件自由の性格について

(1)本件自由は,A高校の文化祭開催時に,公立A高校という公の施設内において,キリスト教のある特定の宗派を「信仰」する者が,A高校の研究発表の募集に応じて,その「宗派の成立と発展」に関する「研究発表」を行うという自由である。

(2)本件自由は,特定の宗派を信仰する者がその宗派の起源等を紹介することで間接的には布教活動にもつながるという側面を持つので,憲法(以下略)20条1項前段「信教の自由」のうちの宗教的行為の自由としての性格を有する。また,布教活動等の宗教的行為そのものとは直接には関係のない宗派の成立と発展という歴史的事実・学術的事項の「研究」を発表するという側面も持つので,23条の「学問の自由」のうちの研究発表の自由としての性格を併有する。

(3)したがって,本件自由は,20条1項前段及び23条により保障される複合的な側面を持つ自由であるといえる。また,仮にこれらの条文によっては保障されないとしても,Xの人格発展に資するため表現の自由21条1項)により保障されると考える。

3 もっとも,本件自由も研究発表という外部的行為を行うことなどから無制約ではなく「公共の福祉」(13条後段)による制約を受ける。本件では,政教分離原則20条1項後段,同条3項,89条前段)の表れである「公立学校における宗教的中立性の原則」という憲法上の重要な要請により必要最小限度の制約を受ける。

4 では,本件措置は必要最小限度の制約として合憲といえるか。

(1)本件措置の合憲性を判断するための違憲審査基準が問題となる。

  この点につき,宗教的行為の自由も研究発表の自由も,個人の人格的生存に不可欠な人権である。また,生徒が学園祭で研究内容を自主的に考え,外部者へ向けて発表するという自由は,生徒の自主創造の力を育て,人格を成長・発展させるという重要な性質をも有している。

  しかし,他方で,信教の自由をより厚く保護するための制度的保障と解される政教分離原則と抵触しうるという本件自由についての制約の本来的可能性や,公的施設を授業以外の活動に関して利用する場合の問題であり,施設管理者(校長)の一定の裁量的判断が及びうる余地もあることから,厳格審査基準によることは適当ではない。

  そこで,本件では,同基準よりは緩やかである基準すなわち規制目的が重要であり,かつ,その目的と目的達成のための手段との間に実質的関連性が認められなければ違憲とする審査基準により合憲性を判定すべきである[5]

(2)あてはめ

ア 前述したように,「公立学校における宗教的中立性の原則」は,信教の自由をより厚く保護するための制度的保障たる政教分離原則の表れであるから,規制目的自体は重要と考える。

イ(ア)では,上記目的と本件措置との間に実質的関連性はあるか。A高校内でのXらの研究発表をそのまま認めることが政教分離原則に反することとなるのか,仮に反しうるとしても,より制限的でない他に選び得る手段はないのかが問題となる。

 思うに,政教分離原則は,特に少数者の信教の自由の保障を確保するものであり,宗教が国家統治の道具とされたという歴史的沿革にも照らせば,国家は宗教に基本的には介入すべきではない。他方,国家と宗教の完全な分離は事実上不可能に近く,また,かえって不合理な事態を招く

  そこで,国家と宗教のかかわり合いを一切許さないというのではなく,①当該行為の目的が宗教的意義を持ち,かつ,②その効果が宗教に対する援助・助長・促進または圧迫・干渉等になるような行為については,両者のかかわり合いが相当とされる限度を超えるものとして,政教分離原則に違反すると解する(目的効果基準,津地鎮祭事件判決に同旨)。

 (イ)以上の目的効果基準を本件につき検討すると,①A高校がXらの研究発表を行わせるとしても,それは正規の授業ではない学園祭開催時に限り,一部の生徒の自主的な研究発表の場所を提供するだけという世俗的なものにすぎない。また,発表内容もキリスト教という歴史の教科書にも記載のある一般的な宗教のうちの宗派の成立と発展に関するものであり,布教活動等の宗教的行為そのものとは直接は関係のない歴史的事実・学術的事項の発表であるから,宗教的意義を持つものではないと考える。もっとも,発表者が特定の宗派を信仰するXらであることから布教活動等と関係があると捉えうる余地もあり,そうすると,Xらの場所を提供することは宗教的意義を持ちうるということになる。

 そこで,②についても検討を加えると,() Xら1組だけの発表につき,公立学校の教室等ではなく「講堂」の利用を認め,()A高校の学園祭には毎年多数の一般市民が訪れ,様々な宗教を信仰する者や無宗教者が訪れることに照らせば,来場した者によってはXらがA高校生徒の代表者であり,その信仰する宗派だけをA高校が厚遇するイメージを与えかねず,Xらの信仰する宗派への援助・助長・促進の効果及び他の宗教・無宗教者に対する圧迫・干渉等の効果が生じる危険があると考えられる。しかし,例えば,発表する場所を「講堂」ではなく多少規模の小さい「教室」等とし,教室等の入り口等見える場所に「この研究発表は一部の生徒が学園祭時に限り自主的な研究発表を行うもので,A高校は場所の提供以上のこと(金員支出等)をしていない」旨の掲示等をした上で発表を行わせれば上記各効果は生じず,国家と宗教とのかかわり合いが相当とされる限度を超えず,政教分離原則に違反しないこととなるものと考える。

ウ したがって,上記のように規制目的と本件措置との間に一定の関連性がありうるとしても,より制限的でない他に選び得る手段(代替措置)が存在し,しかもかかる代替措置は容易になしうるものであるから,講堂を使用させず,発表を一切禁止するという本件措置は,実質的関連性を欠くと考える[6]

 なお,このような判断は,本件と同様に,原告が剣道実技の履修義務免除を求め,消極的な宗教的行為の自由という精神的自由に関わる生徒の利益と,政教分離原則に基づく公教育の宗教的中立性との抵触・調整が問題となった事案につき,レポート提出等の代替措置の存在等を理由に市立高専の剣道実技拒否による単位不認定措置等を違法と判示した剣道実技拒否事件と比較しても,適当な結論であるというべきである。

(3)以上より,本件措置は,違憲である。

                                 以上

 

 

以上,「司法修習生への給費制復活」に関する記事[7]政教分離原則(「衝突」型)の答案との共通点について述べた。上記問題と答案例については,1つの叩き台として,適宜参考にしていただければ幸甚である。

 

 

 

[1] 須網隆夫「司法修習生への給費制復活」法律時報89巻4号1~3頁(2017年)。

[2] 国語辞典には「でんでん」とは書いていなかったが,私の所有する国語辞典に載っていなかっただけかもしれないので,私自身が調査義務を怠っているのかもしれない。

[3] 坂田仰「判批」(東京地判昭和61年3月20日解説)長谷部恭男石川健治=宍戸常寿編『憲法判例百選〔第6版〕』(有斐閣,2013年)94頁以下(95頁)。

[4] 保証はできない。

[5] 高橋和之立憲主義日本国憲法 第4版』(有斐閣,2017年)137頁の「中間審査基準」と採るものである。

[6] 高橋・前掲注(5)137頁の立場を前提としている。

[7] なお,この記事を読み,給費制の存続に関する「署名」を集めたことを思い出した。あのときご協力いただいた多くの学生の皆様及び学生以外の方々にあらためて感謝いたします。

 

*このブログでの(他のブログについても同じです。)表現は,私個人の意見,感想等を述べるものであり,私の所属団体,関連団体のそれとは一切関係のないものです。そのため,例えば,私のブログにおける「受験生」とは,このブログの不特定少数又は不特定多数の読者に司法試験や予備試験の受験生がいる場合のその受験生を意味し,特定の大学等の学生(司法試験受験生)をいうものではありません。このブログは,あくまで,私的な趣味として,私「個人」の感想等を,憲法21条1項(表現の自由)に基づき書いているものですので,この点につき,何卒ご留意ください。

平成29年司法試験論文憲法の予想論点と活用すべき判例(2・完)

 

 

前回のブログ(平成29年司法試験論文憲法の予想論点と活用すべき判例(1))の続きである。

 

1 重要判例の具体的な活用について

 

前回述べたことの繰り返しになるが,本問の関連判例[1]すなわち,前回のブログで挙げた船橋市立図書館図書廃棄事件と,富山県立近代美術官事件天皇コラージュ事件)は,いずれも憲法判例百選[第6版]で収載・解説される重要なものである(前者はⅠ・74番判例であり,後者はⅡ・167番の裁判例である)。これらにつき,以下では,最高裁判例である前者(以下「本判例」ということがある。)を主として活用する方法を示すこととする。ここでは詳しくは触れないが,サンプル問題と同様の解き方となるものと考える。

 

(1)まず,本判例の重要部分のうち,本判例を活用するための(いわば)要件に当たるものと解される部分は,次の通りである。

 

公立図書館の役割,機能等に照らせば,「公立図書館は,〔(あ)〕住民〔≒情報受領者〕に対して思想,意見その他の種々の情報を含む図書館資料を提供してその教養を高めること等を目的とする公的な場ということができ」,また,そのような公立図書館で「閲覧に供された図書の〔(い)〕著作者〔≒情報発信者〕にとって,その思想,意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるということができる。」(下線・太字・〔 〕内は筆者)

 

 (あ)は,情報受領者側の要件であり,(い)は,情報発信者側の要件である。どちらにも「公的な場」というキーワードが入るが,実質的に,これらと同様に扱うべき事案類型といえれば,本判例を活用しうることになるといえよう。

 

 

(2)他方,本判例の重要部分のうち,本判例を活用するための(いわば)効果に当たるものと解される部分は,次の通りである。

 

公立図書館の図書館職員は,「独断的な評価個人的な好みにとらわれることなし公正に図書館資料を取り扱うべき職務上の義務を負うものというべきであ」る。(下線・太字・〔 〕内は筆者)

 

 

(3)本判例の活用例

 本判例を答案に活用するならば,次のような記載をすることが考えられる。やや強引とも思われ,批判もあるだろうが,以下(及び以上)は,基本的には,百選等の必要最小限の知識で書く[2]ことを前提とする記述である。

 

(1)確かに,政府に対し,表現活動に対する助成(援助・給付)を請求する権利憲法から直接導き出すことはできない[3]

 しかし,地方新聞による記事の提供行為は,各自治体の現状に密着した独特の(当該地方新聞でしか読めない)事実・意見等に係る情報を扱う点で,公立図書館等公的な場において情報が流通する場合と同じく,情報受領者たる住民多様な情報に接することに資するものであり,また,情報発信者が公衆に意見等を伝達する重要な手段である。

 

(2)そこで,助成(援助)に関して内容[4]の選別に係る行政裁量があることを前提としても,助成を受ける情報発信者表現の自由,思想の自由が憲法により保障され(21条1項,19条),情報受領者の知る権利も21条1項により保障されると解されることにかんがみると,いったん助成を認めた後,これを撤回する(取消す)処分をする場合には,処分庁は情報の流通過程に関する職務を公正・中立に行う法的義務を負い,同義務に反すれば21条1項に違反し,違憲となるものと解される。

 具体的には,①新聞における記事等の独自性[5],その割合,発行部数,②撤回により言論市場における情報伝達過程を歪める危険性の程度[6],③撤回しないことによる弊害[7](害される公益)などを総合的に考慮[8]して上記公正中立義務に違反したかを判断すべきである。[9]

 

なお,上記論述では,特に「船橋市立図書館図書廃棄事件」という判例名までは書いていないが,書かなくても分かると思われるし,あえて出すこともなかろう(書いても減点されるわけではないと思うが)。

 

 

次に,上記(2)のあてはめ(答案では「あてはめ」ではなく「個別具体的な検討」などと書くこと[10])の要点につき,長くなってきたのでごく簡単に述べる。

 

設問1では,主に考慮事項(要素)の①と②を中心に書くと良かろう。

設問2の想定される反論では,③の点の要点を中心に書く。

そして,私見部分で,③の点を厚く書き,①・②の点に対する合憲側の主張を展開すると良かろう。

 

このあたりは,現場で何とかなるのではなかろうか。むしろ本問のような問題では,規範定立(考慮事項・要素を含む)まででほぼ合否が決まるように思われる(もちろん,あてはめを雑に書いてよいという趣旨ではない)。

 

 

2 「私見」の結論は「合憲」とするのが無難と考えられること

 

最後に,「私見」の結論(合憲or違憲)に関して一言述べる。

 

司法試験論文憲法は,「私見」が違憲でも合憲でも良いという問題しか出題されていないように思われる(予備試験でも概ね同様だろう)。採点実感や出題趣旨等でも,結論に至る理由やプロセスが大事であるといったコメントが多くあったとように思う。

 

そうすると,設問1が40点,設問2が60点(反論10点,私見50点)くらいだとして[11],やや安易ではあるが,私見の50点については,合憲側の論拠の話(あてはめレベルでいえば,事実と評価)に40点,違憲側の論拠の話に10点割り振られていると形式的にみることもできるだろう[12]

 

そこで,特に時間不足に陥ったような場合には,私見で上記合憲側の論拠(私の分析では40点部分)を書くべきであるから,私見の結論は,違憲ではなく合憲ということになる。とりわけ争点が2~3ある場合(というか毎年2~3はあるが…。),このうちのどれかは(3あったら2くらいは)合憲の結論に落ち着かせる方が無難であろう。

 

なお,個人的には毎年,私見も違憲でも良いのではと思ったりもするが,しかし,司法試験論文憲法では,このような発想はややリスキーであると考えられる。

 

以上,本試験でも適宜参考にしていただければ幸甚である。

 

 

[1] 「関連判例」の意味については大体のイメージをすることができるとは思うが,興味があれば,平裕介「司法試験の関連判例を学習することの意義」法苑179号(新日本法規,2016(平成28)年9月8日)1頁以下をご参照いただきたい。要するに,司法試験の出題趣旨や採点実感等で明に暗に言及されるような判例のことを指す語である。

[2] 既に様々な司法試験予備校の先生方等が示していることであるが,若手合格者(今であれば学部時代に予備試験に受かるような方)は,決して知識が多いわけではないが,ごく基本的な知識(特にキーワード)を正確に記憶しており,かつその少ない基本的知識を十二分に有効活用しようとする点に強みがあるものと考えられる。若手合格者は,多くの実務家弁護士がよく知らないような,あるいは一部の学者が提示するような先端的な学説や海外の法理論などを勉強している時間は通常ないが,それでも短期合格するという現実につき,受験生(受験生全員とは言わないが)等は,よく考える必要があるだろう。

[3] 青柳幸一『憲法』(尚学社,2015年)187頁参照。特に争いのない点と思われるが,憲法学における基本的な事項をいえるため,一行書いておくべきと考えられる。

[4] この点につき,あえて,主題か観点かという区分を行っていない(ただしその区分自体が難しい場合もあるだろう.。関連判例もこの区分について一般論を展開し明確な判示をしているというわけでもなさそうである。)が,そのような知見を用いるのであれば,適宜,規範の考慮事項やあてはめで用いると良いと思われる。

[5] 問題文にそれらしい記載がある場合には,「記事等に対する専門家の判断」といった考慮要素も書き,あてはめると良いと思われる(青柳・前掲注(3)188頁参照)。

[6] 青柳・前掲注(3)189~190頁参照。

[7] 天皇コラージュ事件の場合には,非公開派による抗議活動が及ぼす施設管理運営上の支障の蓋然性の有無・程度である(青柳・前掲注(3)188頁参照)。

[8] 表現への政府の助成・給付の場合,やはり内容の選別に係る行政裁量は否定できないため,厳格審査基準や中間審査基準によるのではなく,設問1の段階から総合判断方式が良いと思われる。私見でも同じ規範を採るので良いだろうが,反論を意識した私見独自の理由付けを書けると良いだろう。

[9] 「中立」というキーワード及び考慮事項(要素)②については,学説のキーワードを少し使ったが,百選・重判レベルの解説に書いてあるようなキーワードを用いたに過ぎない。あくまで(意図的に,また能力的にも)学説に深入りすることはしていない。考慮事項については,問題文をみて,①~③を適宜修正し,現場ででっちあげるなどしても良いだろう。

[10] 形式的に「あてはめ」と書くべきではないことについては,実務家からは異論があるところと思われるが,過去の採点実感等でそういう作法によるべき旨言われているので,少なくとも当面は仕方がないことである。当時の考査委員(特定の?)と多数の(?)実務家の意識の乖離がみられるところと思われ,少なくとも,この点で,司法試験と実務は一致しないものといえよう。ちなみに,先端的な,ないし特定の研究者の優れた(研究者の間ではそのように評価される)学説を司法試験の答案に書いても実務家の採点委員が知らない(ゆえに必ずしも加点されないか,加点されにくい)など,先端的で優れた学説と法曹実務との乖離も現に存するものと思われる。

[11] 平成27年司法試験論文憲法の設問の配点割合を参照。ただし,平成28年以降は設問1が45点程度,設問2が55点程度(反論10点,私見45点)程度といった分析も可能と思われる(ここではこの論拠を特に詳しく展開しないが,追ってブログかツイッターなどで説明できればと考えている)。

[12] この点については,研究者の先生から必ずしもそうではないのではとのご意見ないしご批判をいただいたことがある。私も現在の立場に拘泥するものではないが,現時点での「私見」を述べたものではある。

 

 

*このブログでの(他のブログについても同じです。)表現は,私個人の意見,感想等を述べるものであり,私の所属団体,関連団体のそれとは一切関係のないものです。そのため,例えば,私のブログにおける「受験生」とは,このブログの不特定少数又は不特定多数の読者に司法試験や予備試験の受験生がいる場合のその受験生を意味し,特定の大学等の学生(司法試験受験生)をいうものではありません。このブログは,あくまで,私的な趣味として,私「個人」の感想等を,憲法21条1項(表現の自由)に基づき書いているものですので,この点につき,ご留意ください。

平成29年司法試験論文憲法の予想論点と活用すべき判例(1)

既にツイッターでも述べたが,平成29年司法試験論文式試験公法系科目第1問(憲法)の予想(本命[1])につき,私は,新聞等の紙媒体のメディアへの助成の事案で,処分違憲の主張をさせる問題が出ると考える。

 

その根拠は,次の4点にある。

(1)周期的に21条1項が出やすい年度である

(2)日本の郵便法22条の第三種郵便制度と同様に,あるいはより手厚いメディアへの助成(援助)に関する法制度が海外にはあり,情報法(21条1項等)ご専門の考査委員(研究者)の先生が同種のフランスの制度について研究されたことがある(と思われる)

(3)この他の考査委員(研究者)の先生のうち1名は昨年問題案を作られたと予想され,今年は問題案を作る委員にはならないと予想する

(4)もう1名の考査委員(研究者)は,25条等,社会権を特に研究されている先生であるが,今年は,25条は周期的におそらく出ないであろうことなどにある。

 

ここで,いきなりの弱気発言を展開すると,(3)の点も心配ではあるが,より心配なのは(4)の点である。

おそらくだが,採点委員からカウントすると(4)の先生は3年目であり,作問委員としては2年目であるため,そろそろ問題案を作る(問題案が憲法の考査委員らによって採用される)委員になるのではないかとの予想もありえ,一時25条が本命と考えた。平成22年に生存権が出ているため,そろそろというのもある。特に生存権(その中でも制度後退型の事案)は,本当に危ないと思う。

 

しかし,25条は社会権であり,自由権(精神的自由権)ではない。この点に関し,平成28年は,13条後段(包括的基本権)と22条1項という精神的自由そのものからの出題ではなかった。22条1項の居住・移転の自由に精神的自由の要素があるとしても,例えば芦部先生のテキスト[2]では,経済的自由権として紹介されている。

 

統計的に,精神的自由権が連続で出るということはあっても,2年間連続で出ないということは,これまでなかった。そのため,平成29年は,社会権は出題されず,精神的自由権が出るということにある。

 

とすると,(3)の先生の思想・良心の自由(いわゆる君が代事件を活用する問題)も危ないわけだが,(もちろん制度上は問題ないが)おそらく今年は(3)の先生の問題が叩き台になるということはないのではないかと予想する。

 

よって,半ば消去法的であるが[3],(2)の先生(平成27年も考査(作問)委員)が問題案を作られるのではと予想する。

 

 

 

さて,話を本論に戻すが,予想される問題文の概要は,こうである。

 

202×年,ネット新聞・雑誌等のネットメディアが発展し続け,紙媒体の新聞,特に地方新聞といったメディアの広告収入が減り続け,経営し続けることを断念する社も多く出てきたという導入から問題文が始まる。

 

政府(又は地方政府)は,特に地方新聞の社の倒産が相次ぐと情報の質の多元性を確保できず,これは国民の知る権利との関係で問題であり,また地方自治の本旨との関係でも問題があるとして,「政治,経済,文化その他公共的な事項を報道し,又は論議することを目的とする」地方新聞社であるなど,一定の要件を満たした場合,地方新聞の社等に助成金を付与する(申請に対する処分の法形式をとる)という法律(地方政府の場合,条例)を作る。

 

X社は,この法律(又は条例)によって自社も助成金の給付を受けたいと考え,その申請をし,月数万円の給付金の交付を受けることとなった。

 

しかし,その後,政府の政策に反対し,特定の政党ないし見解を支持するような記事を載せる割合が増えたことや,広告欄を多く掲載したことなどをきっかけとして,処分庁より,助成金の給付の撤回(行政法学における撤回である)がなされてしまう。

 

X社としては,給付処分の撤回処分が違憲であると主張し,取消訴訟を提起する。政府(Y)としては助成の原資は税金であることから裁量がある旨主張し,撤回は合憲であると反論している。

 

そして,平成28年と同じ設問の形式での出題がなされ,資料として,上記助成についての架空の個別法(又は個別条例)が掲載されることになる。

 

設問には,次のとおりの限定があるものと予想する。

 

(あ)結社の自由については論じる必要はない。

(い)(条例の場合)法律と条例の関係(条例の法律適合性)については論じる必要がない。

 

このうち,どちらも思い切った予想と自分でも思うが,短答式試験対策のためにも勉強しておくことが重要である。

 

 

なお,冒頭で述べたとおり,周期的に,今年は,法令違憲ではなく,処分違憲が出ると予想する。おそらく処分違憲だけの年となるだろう。

 

 

ちなみに,以下,現行法の類似の(といっても金員を給付するものではないが)制度を紹介する。下記の第三種郵便物制度(郵便法22条,郵便代が割り引かれるもの)であり,従前は,処分庁(郵政事業庁長官等)が「認可」する方式を採っていたものである。

 

 

 第22条 (第三種郵便物) 第三種郵便物の承認のあることを表す文字を掲げた定期刊行物を内容とする郵便物で開封とし、郵便約款の定めるところにより差し出されるものは、第三種郵便物とする。

2 第三種郵便物とすべき定期刊行物は、会社の承認のあるものに限る。

3 会社は、次の条件を具備する定期刊行物につき前項の承認をする。

一 毎年一回以上の回数で総務省令で定める回数以上、号を追つて定期に発行するものであること。

二 掲載事項の性質上発行の終期を予定し得ないものであること。

三 政治、経済、文化その他公共的な事項を報道し、又は論議することを目的とし、あまねく発売されるものであること。

4~5 (略)

※下線は筆者

 

 

このように,予想されるテーマは,表現の自由への政府の援助・助成である。

 

この点,青柳幸一元司法試験考査委員のテキスト[4]では,「表現の自由と援助者としての政府」の項目で次の説明がなされている。

 

 

 伝統的に,国家は表現を規制する存在と捉えられてきた(規制者としての政府)。しかし,国家と自由の関係は,表現の自由も含めて,一面的ではない。自由を現実的に保障するためには,国家が必要でもある。近時,「規制者としての政府」だけではなく,「援助者としての政府」という文脈での問題が,日本でも論じられている。

 国家に対して表現活動に対する援助を請求する権利を憲法から直接導き出すことはできない。ただし,援助を提供することが決定された場合には,近代国家における基本原理であり,そして思想の自由,表現の自由を保障する憲法上の原則でもある,思想や表現に対する「国家の中立性」が求められる。したがって,公立美術館が美術作品を,公立図書館が図書類を購入し収蔵した場合には,その管理に関して内容中立的な運用が求められる

※下線は筆者

 

そして,上記の「国家の中立性」,「内容中立的な運用が求められる」ことに関し,小山剛教授のテキスト[5]によると,「国家の中立義務とはドイツの郵便新開業務決定(BVerfGE80,124)で展開された要請である」とされている。

 

このことから,青柳元委員は,ドイツの連邦憲法裁判所での判示を日本にも導入すべきと考えたのかもしれない。

 

さらに,「表現の自由と援助者としての政府」の項目において,富山県立近代美術官事件天皇コラージュ事件),船橋市立図書館図書廃棄事件が青柳元委員のテキスト[6]で紹介されている。

 

両方とも,憲法判例百選[第6版]で解説されている重要判例である(Ⅰ・74番,Ⅱ・167番)。これらの判例・裁判例の要点の記憶は,短答式試験対策としても有用であるが,上記のような予想問題が出るのでれば論文式試験対策としても合格の鍵を握るものとなるだろう。

 

 ここで問題なのは,上記各判例・裁判例(や上記憲法学上の学説・理論)を答案にどのように活用するかであるが,長くなったので,また明日以降に。[7]

 

 

 

[1] 「本命」も何も,予想は1つでなければならないというご批判もあろうかと思われるため,このブログでは,予想を1つに絞っている。

[2] 芦部信喜(著),高橋和之(補訂)『憲法 第六版』(岩波書店,2015年)230頁。

[3] この点に関し,稲葉浩志(作詞),B’zlove me, I love you』(1995年)は,「消去法でイケることもある」とする。短答式試験でもこの発想が重要。

[4] 青柳幸一『憲法』(尚学社,2015年)187頁。

[5] 小山剛『「憲法上の権利」の作法 第3版』(尚学社,2016年)204頁。

[6] 青柳・前掲注(4)187~188頁。

[7] ただし,確約はできない。

 

*このブログでの(他のブログについても同じです。)表現は,私個人の意見,感想等を述べるものであり,私の所属団体,関連団体のそれとは一切関係のないものです。そのため,例えば,私のブログにおける「受験生」とは,このブログの不特定少数又は不特定多数の読者に司法試験や予備試験の受験生がいる場合のその受験生を意味し,特定の大学等の学生(司法試験受験生)をいうものではありません。このブログは,あくまで,私的な趣味として,私「個人」の感想等を,憲法21条1項(表現の自由)に基づき書いているものですので,この点につき,ご留意ください。

 

司法試験における表現の自由と名誉感情の利益の調整(1)

司法試験における表現の自由と名誉感情の利益の調整(1)

 

平成23年司法試験論文式試験公法系科目第1問(憲法)の出題趣旨1頁では,「本問における表現の自由の制約の合憲性をめぐって問われているのは,表現の自由とプライバシーの権利の調整である」(下線は筆者)とされている。

 

周知の事実と思われるが,表現の自由等の21条1項の問題は,概ね2年に1度の頻度で出題されていることから,平成29年司法試験論文憲法目でも,21条1項の出題を予想する者は多いだろう。

 

ちなみに,21条1項と対立関係にある人権ないし利益として登場しやすい条文は,上記23年の事案でもそうだが,13条後段である。

 

13条後段では,プライバシー権だけではなく,名誉権(基本的には社会的評価の低下に関わるケースで問題となるものといえる),名誉感情に関する利益(主に社会的評価が低下するとまでは通常言えない誹謗中傷等がなされるケースで問題となるものといえる[1])も保護される対象となりうる。

 

そこで,司法試験あるいは予備試験で今後出題が予想される架空の事案で,表現の自由と名誉感情の利益等の調整を図るケースについて少し考えてみることにする。[2]

 

 

202×年×月×日(日曜日)午後6時頃から約2時間,弁護士であるXは,首相官邸や国会議事堂の周辺で許可を得た上で,甲団体主催のデモ行進に参加し,集団行進をした。デモ行進の際,甲団体のZは,首相夫人A(国会議員や公務員ではない)が「私人」と称しているにもかかわらず,秘書官が9名もおり,多くの社会的な活動を行い(同活動は広く報道されている),そのために多額の公費を使っているとみられることや,財務省の土地払下げにAが不当に関与したことがおかしいなどとシュプレヒコールをするとともに,プラカードを掲げていた。そのプラカードには,Aの顔写真を拡大したものの上に,赤いペンで顔の部分に「×」(罰点)を書いた上で,Aの顔の上部に「『Aッキード』事件を許さない!』を書いた用紙が貼られていた

 

Xは,甲団体のZから,Xのような弁護士が弁護士バッジや目立つ腕章等を付けるなどしてデモに一緒に参加してもらうと,デモ行進の際に甲団体のメンバーらが警察官に違法ないし不当に逮捕されるリスクが低減するなどと言われ,甲団体の政治的意見等にも共感するところがあったことなどから,実際に弁護士バッジや目立つ腕章を付けてデモ行進に参加し,主にZの近くで歩いたり特定のスローガンを唱和したりしていた。

 

後日,Xは,Xの所属する事務所でY弁護士会からの封書を受け取った。封書を開けてみると,その中身は「懲戒請求書」であり,Xは驚いた。懲戒請求を行った者はAであり,懲戒請求がなされた理由は,次のようなものであった。

 

「弁護士Xは,Aの顔写真を拡大したものの上に,赤いペンでAの顔の部分に「×」(罰点)を書いた上で,「『Aッキード』事件を許さない!』とのプラカードを掲げていたZの横で行進をしていた。Zの行為は「私人」である首相夫人Aの名誉権及び名誉感情を著しく傷つけるものである。人の顔に赤く×を付けたり,過去の刑事事件の名前の一部に「A」を用いたりするというのは,Aとしては耐え難い苦痛を受ける行為である。確かに,Aはコメンテーター等でテレビ番組に出演することもあるため広く反論する機会はあるが,このことについては対抗言論が成り立たない問題というべきである。人の顔や名前を侮辱的あるいは名誉棄損的に使用してはならないことなど小中学校の『道徳』の時間で習うことではないか。Zのような大人が増えぬよう,やはり小中学校の『道徳』の時間を増やして『正しい教育』を徹底すべきである。

   そして,Xも,弁護士バッジを付け,目立つ腕章をして,Zの隣で行進するなどしており,客観的にみて,Zの行動に積極的に賛同する行為をしていたものであるから,弁護士の『品位を失うべき非行があった』(弁護士法56条)といえ,Xの属するY弁護士会は,Xに懲戒処分をすべきである。」

 

 

この懲戒請求を受け,Y弁護士会はXに懲戒処分としての戒告処分を行い(懲戒処分の手続は適法),Xが不服申立て[3]をするも日弁連は棄却裁決をした。

 

そこで,Xは,裁決取消しの訴えを提起し,Xの集会の自由や表現の自由憲法21条1項)を侵害する処分がなされた旨主張した。

 

なお,Xは,この戒告・裁決の違法を争うために,何十時間ないし何百時間という時間を割き,満足な仕事ができない日々が数年続いた上,他の弁護士に代理人になってもらうために着手金や中間金等を支払った。Xは,内心では,こんなことならばデモ行進などに参加しなければ良かったなどと弱気になり,訴訟係属中も,仲の良い弁護士などにはデモ行進への参加を控えた方が無難であるなどと話をしたりすることもあった。さらに,Xは懲戒処分を争う対応に時間を取られた結果,顧問先の拡大に係る営業行為もその一部については自粛せざるを得なくなったことに加え,家族・親族と過ごす時間も減ったことでそれが家族の不仲の要因にもなったことから,以後,二度とデモ行進には参加しないようになった。また,Xの事件はテレビや新聞,インターネットで報道された結果,他の弁護士の中にも萎縮する者が現れ,一部の弁護士らは,デモ行進に参加することに消極的になった。

 

Xの前記憲法上の主張は認められるか。原告Xの立場からの憲法上の主張とこれに対して想定される被告側の反論との対立点を明確にしつつ,あなた自身の見解を述べなさい。

 

 

 

上記問題に関し,平成23年司法試験論文式試験公法系科目第1問(憲法)の出題趣旨2頁は,表現行為の「対象者が『公職にある人』や『著名人』という問題」であるか否かに言及する。

 

本問でも,この点は重要である。Aは,「公職にある人」ではないが,「著名人」(公人)であるといえるだろう。

 

 

長くなってしまったので,解説は後日とする[4]

 

 

 

[1] この点に関し,最近の判例(ただしインターネット上の表現行為に関するもの)として,東京地判平成25年12月20日LEX/DB25516985,東京地判平成28年2月9日LEX/DB25535351,東京地判平成28年6月7日LEX/DB25536717等参照。

[2] とはいえ,平成28年司法試験論文憲法では13条後段がメインで問われ,同年の予備試験論文憲法でも21条1項がメインで問われている。そこで,21条vs13条の事案は,基本的には平成30年以降での予想問題となるものと思われる。

[3] 本問とは関係がないが,平成26年,約50年ぶりに行政不服審査法が実質的な改正がなされ,平成28年改正法が施行された。この改正法をより積極的に活用することに関する考察を行ったものとして,拙稿「行政不服審査法活用のための『不当』性の基準」公法研究78号239頁(2016年)がある。なお,誰も引用してくれないために,やむを得ずステマ的な引用をする趣旨ではないことを念のため付言しておく。

[4] ただし,確約はできない。

 

 

*このブログでの(他のブログについても同じです。)表現は,私個人の意見,感想等を述べるものであり,私の所属団体,関連団体のそれとは一切関係のないものです。そのため,例えば,私のブログにおける「受験生」とは,このブログの不特定少数又は不特定多数の読者に司法試験や予備試験の受験生がいる場合のその受験生を意味し,特定の大学等の学生(司法試験受験生)をいうものではありません。このブログは,あくまで,私的な趣味として,私「個人」の感想等を,憲法21条1項(表現の自由)に基づき書いているものですので,この点につき,ご留意ください。

「憲法論」の答案で,規範を定立する前に,規制態様につき「刑罰」と書く必要がある場合

 

平成29年司法試験論文式試験・公法系科目第1問(憲法)のヤマの1つとも思われる堀越事件(最二小判平成24年12月7日刑集66巻12号1337頁)は,近時,同事件を担当された千葉勝美元最高裁判事自身により,「猿払事件大法廷判決を乗り越えた先の世界」[1]判例として紹介されるものであり,その重要性につき,特に争いはなかろう。

 

この堀越事件の多数意見の採る法解釈すなわち「政治的行為」(国家公務員法102条1項)の限定的な解釈[2]が何を意味するかについては,様々な見解があるところ,千葉勝美裁判官補足意見では,次のような説明がなされる。

 

「本件の多数意見の採る限定的な解釈は,司法の自己抑制の観点からではなく,憲法判断に先立ち,国家の基本法である国家公務員法の解釈を,その文理のみによることなく,国家公務員法の構造,理念及び本件罰則規定の趣旨・目的等を総合考慮した上で行うという通常の法令解釈の手法によるものであるからである。」(下線は筆者)

 

「通常の法令解釈」ということであるから,司法試験では,行政法(あるいは刑法)の論文式試験でその活用が問われるべき判例のようにもみえる。

しかし,堀越事件は,各種判例解説書籍などでも「憲法」の判例として紹介されることが殆どであり,司法試験受験生も同様の認識であろう。宍戸常寿教授も,この「通常の法令解釈」に関して,次の通り解説し,「『憲法論』が背後にあるはず」[3]であるとしており,堀越事件は,憲法の論文答案で活用されるべき判例といえる。

 

そもそも複数の解釈がある場合に、まず当該規定の文言、趣旨と体系に最も適合的なものを選ぶのが法解釈のイロハですが、場合によっては体系の中に最高法規である憲法の保護する価値も入り込むことも当然あります。それを殊更に「合意限定解釈」とは呼ぶ必要はなく、体系的解釈の一種としての合憲解釈(憲法適合的解釈)でしかありません」[4](各下線は筆者)。

 

ところで,憲法の論文答案では,当然ながら,憲法憲法上の主張)を展開することが求められている。また,憲法論における規範違憲審査枠組み[5])定立までには,しばしば,規制の程度すなわち規制態様の厳しさ(強さ)に関する論述が求められる。

 

初学者の受験生のためにも,司法試験の採点実感等に関する意見を紹介しよう。

 

○平成28年司法試験の採点実感等に関する意見(公法系科目第1問)1頁

「本問では,架空の性犯罪継続監視法がいかなる憲法上の人権をどのような形で制約することになるのかを正確に読み取り,被侵害利益を特定して,その重要性や規制の程度を論じて違憲審査基準を定立し,問題文中の事実に即して適用するなどして結論を導かねばならない」(各下線は筆者)

 

○平成26年司法試験の採点実感等に関する意見(公法系科目第1問)5頁

規制態様が厳しいことを踏まえて審査基準を定立するのではなく,違憲という結論に飛びついてしまっている答案も見受けられた。」(「平成28年司法試験の採点実感等に関する意見(下線は筆者)

 

この規制態様論につき,規制の手法が刑罰刑事罰)か否かによりその強弱が異なる旨論じるということは,一般的にはなされていないと考えられる。

例えば,高橋和之教授は,表現の自由の限界に関し,審査の厳格度に差異を生み出しうる「分類区分」として,「①事前抑制と事後抑制の区別,②内容規制と内容中立規制,③パブリック・フォーラムと非パブリックフォーラムの区別」,④抑制と援助の区別」を挙げている[6]が,刑罰か否かの区別については特に言及していない。

 

もっとも,堀越事件における前記法解釈(ここでは「憲法適合的解釈」を行ったという見解に立つものとする。)については,どうだろうか。

 

堀越事件は次の通り判示する。論文式試験のみならず,短答式試験でも記憶すべき箇所の一つである。

 

国家公務員法102条1項の「文言,趣旨,目的や規制される政治活動の自由の重要性に加え,同項の規定が刑罰法規の構成要件となることを考慮すると,同項にいう『政治的行為』とは,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが,観念的なものにとどまらず,現実的に起こり得るものとして実質的に認められるものを指」す(各下線は筆者)。

 

このように,堀越事件は,憲法適合的解釈の規範を定立する際の(注意:規範のあてはめの段階の話ではない)考慮事項ないし考慮要素として,「刑罰法規の構成要件となること」と明記しているのである。

 

憲法論」の規範定立に際しての規制態様につき,「刑罰」というワードを書いてはいけない(注意:規範のあてはめの段階の話ではない。あてはめの段階では,むしろ基本的には書くべきである。)とのテーゼは,憲法適合的解釈については成り立たないということだろうか。

少なくとも,司法試験の論文式試験対策との関係では,そのように把握しておく方が,答案で判例の考慮事項・要素と違うことを書かずに済みやすくなるものと思われる。

 

 

さらに,付言すると,司法試験の超上位合格答案[7](公法系科目1位,論文式試験総合4位の合格者の方の答案)でも,憲法論の規範定立に際しての規制態様につき,次の通り,「刑罰」というワードを明記したものがある。少なくとも,そのような記載が大きな減点対象とはされていないものと考えられる。

 

「ここで,人格的生存に不可欠ともいえる上記自由に対し,刑罰という強度の制約を課す法の合憲性は厳格に審査されなければならないと考える。具体的には,目的が重要で,より制限的でない他の選びうる方法(LRA)がないといえない限り違憲と考える。」[8](下線は筆者)

                       

 

憲法論の規範定立に際しての規制態様につき,「刑罰」というワードを書いてはいけないというテーゼは,一体,どこに行ってしまったのだろうか。

 

 

[1] 千葉勝美『違憲審査―その焦点の定め方』(有斐閣,2017年)47頁。

[2] 司法試験受験生においては,さしあたり,堀越事件・世田谷事件を解説した宍戸常寿「判判」平成25年度重要判例解説23-25頁(特に「判旨」(ⅰ)の部分)を参照されたい。

[3] 宍戸常寿先生の『憲法 解釈論の応用と展開 第2版』(日本評論社,2014年)309頁。

[4] 宍戸・前掲注(4)310頁。

[5] 「判断枠組み」など様々な名称が付されるところであるが,平成28年司法試験論文式試験公法系科目の出題趣旨1頁第1段落の名称と同じく「違憲審査枠組み」とした。

[6] 高橋和之立憲主義日本国憲法 第4版』(有斐閣,2017年)223頁。

[7] 「超上位(合格)答案」とは司法試験予備校などで多く用いられる表現である。筆者自身の感覚の話ではあるが,当該科目が一ケタ代か概ね20番代までくらいの答案を指すことが多いと思われる。

[8] 辰已法律研究所,西口竜司=柏谷周希=原孝至(監修)『平成28年 司法試験論文週去問答案 パーフェクトぶんせき本』(辰已法律研究所,平成29年)32頁。なお,この答案から学ぶことは多く,司法試験受験生・予備試験受験生は精読し,よく分析されたい。

 

*このブログでの(他のブログについても同じです。)表現は,私個人の意見,感想等を述べるものであり,私の所属団体,関連団体のそれとは一切関係のないものです。そのため,例えば,私のブログにおける「受験生」とは,このブログの不特定少数又は不特定多数の読者に司法試験や予備試験の受験生がいる場合のその受験生を意味し,特定の大学等の学生(司法試験受験生)をいうものではありません。このブログは,あくまで,私的な趣味として,私「個人」の感想等を,憲法21条1項(表現の自由)に基づき書いているものですので,この点につき,ご留意ください。

公法と司法試験と伊藤塾と私

弁護士・公法研究者の平 裕介(たいら ゆうすけ)と申します。

このたびブログをはじめました。

 

ここでの表現は、私個人の意見、感想等を述べるもので、私の所属団体、関連団体のそれとは関係のないものです。

 

私は、研究者として、行政法(公法)を専攻し、特に行政裁量の統制に関して研究をしています。

また、弁護士として、最近は主に行政関係事件を取り扱っています。

 

これから憲法行政法、労働法(主に公務員法制関係)などに関するブログを書いていくつもりです。

 

司法試験や司法試験予備試験論文式試験・公法系科目(憲法行政法)に関しても関心がありますので,そのことも書ければと思っています。

 

憲法については、次の記事を公表しています。

法苑179号 « 新日本法規出版 eBOOKSTORE

 

ちなみに、@YusukeTaira でTwitterをやっていまして、司法試験関係の事項に関してつぶやくことが多いです。

 

なお、学生時代は、伊藤真先生の伊藤塾中央大学駅前校、山本有司先生のクラス)に通っていました。伊藤塾では、伊藤真先生、山本有司先生、横山えみこ先生、岡伸浩先生、呉明植先生、湊信明先生にお世話になりました。

 

最後に、やや繰り返しになりますが、このブログでの(他のブログについても同じです。)表現は,私個人の意見,感想等を述べるものであり,私の所属団体,関連団体のそれとは一切関係のないものです。あくまで,私的な趣味として,私の「個人」の感想等を,憲法21条1項に基づき書いているものですので,この点につき,ご留意ください。

 

皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。