検疫法と政府の新型コロナウィルス対策の法的問題点
1 新型コロナウィルス感染症と検疫法の準用
新型コロナウィルス感染症は、検疫法(以下「法」と略す場合がある。)34条の政令で指定する「感染症」(令和2年政令第28号、令和2年2月14日施行、指定期間1年)として指定された。
このことから、新型コロナウィルス感染症には、法2条の2(第2項を除く。)、第2章(法7条、16条1項並びに18条2項及び3項を除く。)及び第4章(法34条から40条までを除く。)の規定(これらの規定に基づく命令の規定を含む。)が準用され、所要の読み替えがなされ適用されることとなった(健発0213第4号令和2年2月13日付け都道府県知事等宛て厚生労働省健康局長通知)。
2 感染が疑われる者への停留措置と「国民の生命及び健康に重大な影響」要件の認定
「検疫」に関して定める法第2章は、法4条から条23条の2までの規定を含む章であることから、法14条1項2号が準用されるので、所定の要件を満たす場合には、新型コロナウィルス感染症の「病原体に感染したおそれのある者」については、その者を「停留し、又は検疫官をして停留させる」ことが「できる」とされている。
その要件のうち新型コロナウィルスにとの関係で特に問題となるものは、法14条1項2号の「外国に当該各号に掲げる感染症が発生し、その病原体が国内に侵入し、国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあると認めるときに限る」の該当性である。
この部分にはいわゆる要件裁量が認められると解されるところ、停留措置をとった時点で(政府は停留措置をとったと考えられる)、政府は、「病原体が国内に侵入し、国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがある」と認めたのである。
ただし、この「停留」措置には、時間的制約があり(法34条後段)、新型コロナウィルス感染症の停留の期間は336時間とされている(令和2年政令第28号)。すなわち、14日、2週間である。
3 政府の対応の法的問題点
しかし、政府の対応には問題がある。主だった問題は次の2点と考える。
1点目は、下船者との法的な交渉等が不十分であったと思われることである。
「病原体に感染したおそれのある者」については、船内が汚染されたレッドゾーンとそうではないグリーンゾーンとに明確に区分されていなかったこと(岩田教授の動画投稿や、橋本厚生労働副大臣のツイートで明らかとなった船内写真等に照らせばことのことは明白である。以下このことを「コネクティングルーム状態」という。)からすれば、数日前に検査をしていたとしても、検査後下船時までに罹患する蓋然性は相当程度あると考えられることから、下船者一人一人に対し、行政指導をしたり行政契約を締結する(下船後からの移動時や潜伏期間の日々の生活において他者との接触をできる限り防ぐようにしてもらう環境等を政府側が提供し、行動等が制限される特別の犠牲の代償として政府側が当該個々人の損失を手厚く補償する合意をする)などし、またそのための予算を付けるなど、できるだけ一般市民(他者)に接触させないような手法を採るよう最大限努力すべきであったように思われる。なお、実務的にはなお有力な侵害留保説によると、これらは、給付行政であるから、法律による行政の原理の法律の留保の原則は妥当しないものとなっている(もちろん予算の制約はあるが、テレビCM等の政府広報に予算を沢山割けるくらいであるから、当該個々人の補償ができないわけではなかろう)。
しかし、報道されている情報をみる限り、政府が上記のような努力を行っている様子はなさそうであるから、問題がある。
2点目は、厚生労働省の広報内容(20日)の問題である。
厚労省は、令和2年2月20日、公式サイトで、「イベントの開催に関する国民の皆様へのメッセージ」と題する文書を公表した。このメッセージで、厚労省は、「新型コロナウィルス感染症の今後の感染の広がりや重症度を見ながら適宜見直すこととしています」としながらも、「イベント等の開催については、現時点で政府として一律の自粛要請を行うものではありません」としている。
しかし、政府は、停留措置をしたのであるから、法的にみて、「病原体が国内に侵入し、国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがある」(法14条1項2号)と現実に認めているわけなので、そのような極めて重大なリスクを認識しておきながら、イベント等の一律の自粛要請すらしないというのには問題があるというべきである。
ましてや、前述したとおり、船内が‘コネクティングルーム状態’にあり、汚染されたゾーンとそうでないゾーンが明確に分かれていなかったのであるから、下船者が検査後下船までに感染している(発症していなくても)リスクは相当程度ある状況なのであって、政府の対応は不十分というほかない。
なお、政府は、自ら政令で設定した336時間という停留措置の時間的制約の点も考慮し、なお感染が疑われる(繰り返しになるが、検査後下船までに発熱等の症状がなくても感染した者がいる蓋然性は相当程度あるといえる)多くの者(被停留者)を下船させたのかもしれない(ただしこのあたりの事実関係はよくわからない部分がある)が、336時間という期間設定の妥当性もさることながら、いずれにせよ、水際対策は大失敗におわったわけである。
したがって、上記のような下船者の数が多いことも踏まえると、近いうちに日本でパンデミックが起きつつあるという見方もかなり現実味を帯びてきているわけで、少なくとも「新型コロナウィルス感染症の今後の感染の広がりや重症度を見ながら適宜見直すこととしています」としてのであるから、可及的速やかに、イベント等の開催については、政府として一律の自粛要請くらいは最低限行っておくべきであろう。
政府には、国民の生命・健康を守る法的義務があり、すでに新型コロナウィルス感染症により、基礎疾患のないとされた方まで亡くなっているのであるから、迅速な対応がなされなければならない。
もちろん、政府のメッセージといっても、あくまで「自粛要請」であるから、強制力を持つものではないので、どうしても実施しなければならない行事等は実施することができるので、イベント開催の規制とまではいえないだろう(参加者が減ることにより、事実上の制限となる面がある場合もありうることは否定できないかもしれないが、イベントを開催する側の憲法上の権利との合理的調整は図れているだろう)。
現状、ウィルスが「先手先手」、政府は「後手後手」であることは明白である。
これを政府が逆転させない限り、パンデミックが発生した後、「ロンドン」オリンピック・パラリンピック2020開催というシナリオが現実化する未来は、そう遠くないかもしれない。
(以下、特に参照した法律の抜粋)
○検疫法(昭和26年法律第201号)(各下線・太字は引用者)
(汚染し、又は汚染したおそれのある船舶等についての措置)
第14条 検疫所長は、検疫感染症が流行している地域を発航し、又はその地域に寄航して来航した船舶等、航行中に検疫感染症の患者又は死者があつた船舶等、検疫感染症の患者若しくはその死体、又はペスト菌を保有し、若しくは保有しているおそれのあるねずみ族が発見された船舶等、その他検疫感染症の病原体に汚染し、又は汚染したおそれのある船舶等について、合理的に必要と判断される限度において、次に掲げる措置の全部又は一部をとることができる。
一 第2条第1号又は第2号に掲げる感染症の患者を隔離し、又は検疫官をして隔離させること。
二 第2条第1号又は第2号に掲げる感染症の病原体に感染したおそれのある者を停留し、又は検疫官をして停留させること(外国に当該各号に掲げる感染症が発生し、その病原体が国内に侵入し、国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあると認めるときに限る。)。
三 検疫感染症の病原体に汚染し、若しくは汚染したおそれのある物若しくは場所を消毒し、若しくは検疫官をして消毒させ、又はこれらの物であつて消毒により難いものの廃棄を命ずること。
四~七 (略)
2 検疫所長は、前項第1号から第3号まで又は第6号に掲げる措置をとる必要がある場合において、当該検疫所の設備の不足等のため、これに応ずることができないと認めるときは、当該船舶等の長に対し、その理由を示して他の検疫港又は検疫飛行場に回航すべき旨を指示することができる。
(隔離)
第15条 前条第1項第1号に規定する隔離は、次の各号に掲げる感染症ごとに、それぞれ当該各号に掲げる医療機関に入院を委託して行う。ただし、緊急その他やむを得ない理由があるときは、当該各号に掲げる医療機関以外の病院又は診療所であつて検疫所長が適当と認めるものにその入院を委託して行うことができる。
一 第2条第1号に掲げる感染症 特定感染症指定医療機関(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律に規定する特定感染症指定医療機関をいう。以下同じ。)又は第一種感染症指定医療機関(同法に規定する第一種感染症指定医療機関をいう。以下同じ。)
二 (略)
2 検疫所長は、前項の措置をとつた場合において、第2条第1号又は第2号に掲げる感染症の患者について、当該感染症の病原体を保有していないことが確認されたときは、直ちに、当該隔離されている者の隔離を解かなければならない。
3~5 (略)
(停留)
第16条 第14条第1項第2号に規定する停留は、第2条第1号に掲げる感染症の病原体に感染したおそれのある者については、期間を定めて、特定感染症指定医療機関又は第一種感染症指定医療機関に入院を委託して行う。ただし、緊急その他やむを得ない理由があるときは、特定感染症指定医療機関若しくは第一種感染症指定医療機関以外の病院若しくは診療所であつて検疫所長が適当と認めるものにその入院を委託し、又は船舶の長の同意を得て、船舶内に収容して行うことができる。
2 (略)
3 前2項の期間は、第2条第1号に掲げる感染症のうちペストについては144時間を超えてはならず、ペスト以外の同号又は同条第2号に掲げる感染症については504時間を超えない期間であつて当該感染症ごとにそれぞれの潜伏期間を考慮して政令で定める期間を超えてはならない。
4 検疫所長は、第1項又は第2項の措置をとつた場合において、当該停留されている者について、当該停留に係る感染症の病原体を保有していないことが確認されたときは、直ちに、当該停留されている者の停留を解かなければならない。
5~7 (略)
第34条 外国に検疫感染症以外の感染症(中略)が発生し、これについて検疫を行わなければ、その病原体が国内に侵入し、国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあるときは、政令で、感染症の種類を指定し、1年以内の期間を限り、当該感染症について、第2条の2、第2章及びこの章(次条から第40条までを除く。)の規定の全部又は一部を準用することができる。この場合において、停留の期間については、当該感染症の潜伏期間を考慮して、当該政令で特別の規定を設けることができる。