平 裕介(弁護士・公法研究者)のブログ

主に司法試験と予備試験の論文式試験(憲法・行政法)に関する感想を書いています。

平成29年司法試験 公法系第1問の感想(7) 成田新法事件の千葉勝美調査官解説と平成29年司法試験

前回のブログ「平成29年司法試験 公法系第1問の感想(6)」の続きである。

しばらく更新できないでいたため,忘れられてしまった[1]かもしれないが,めげずに書き進めていきたい。 

 

yusuketaira.hatenablog.com

 

 1 はじめに

 

前回のブログで,私は,次の(A)・(B)の論点のうち,A)の論点について厚く書くべきであり,B)の論点については殆ど書く必要がないなどと述べた。その理由については,前回のブログを読んでいただきたい。

 

  • (A)論点1:川崎民商事件(最大判昭和47年11月22日刑集26巻9号554頁)[2]や成田新法事件(最大判平成4年7月1日民集46巻5号437頁)[3]の活用(応用)が問われる論点である<刑事手続につき規定した33条の行政手続への適用又は準用が認められるか?>というもの[4]

 

  • (B)緊急逮捕の合憲性を認めた最大判昭和30年12月14日刑集9巻13号2760頁[5]の活用(応用)が問われる論点である<現行犯逮捕の場合以外でも,無令状の身柄拘束が33条に違反せず許容されるか?>というもの[6]・・・上記(A)の適用又は準用が認められた後で問題となりうる論点

 

そこで,今回は,前回検討しなかった,(A)の論点において定立すべき規範内容に関する感想を述べていくこととする。

 

 

2 行政手続への憲法35条の適用又は準用の認否の基準と平成29年司法試験

 

まずは,刑事手続につき規定した憲法33条の行政手続への適用又は準用の認否について,どのような規範・基準を立てるのかを考える前提として,憲法35条の行政手続への適用又は準用の認否の規範・基準に関係する主要な判例を見ていきたい。なお,以下の各判例は,憲法でも行政法でも有名な判例である。

 

(1)川崎民商事件 の規範・基準

 

川崎民商事件(最大判昭和47年11月22日)は,35条に関し,次の枠内の文章の通り判示する(下線及び〔 〕内の文書は筆者)。

 

 所論のうち、憲法三五条違反をいう点は、旧所得税法七〇条一〇号、六三条の規定が裁判所の令状なくして強制的に検査することを認めているのは違憲である旨の主張である。

 たしかに、旧所得税法七〇条一〇号の規定する検査拒否に対する罰則は、同法六三条所定の収税官吏による当該帳簿等の検査の受忍をその相手方に対して強制する作用を伴なうものであるが、〔あ〕同法六三条所定の収税官吏の検査は、もつぱら、所得税の公平確実な賦課徴収のために必要な資料を収集することを目的とする手続であつて、その性質上、刑事責任の追及を目的とする手続ではない、また、〔い〕右検査の結果過少申告の事実が明らかとなり、ひいて所得税逋脱の事実の発覚にもつながるという可能性が考えられないわけではないが、そうであるからといつて、右検査が、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有するものと認めるべきことにはならない。けだし、この場合の検査の範囲は、前記の目的のため必要な所得税に関する事項にかぎられており、また、その検査は、同条各号に列挙されているように、所得税の賦課徴収手続上一定の関係にある者につき、その者の事業に関する帳簿その他の物件のみを対象としているのであつて、所得税の逋脱その他の刑事責任の嫌疑を基準に右の範囲が定められているのではないからである。

 さらに、〔う〕この場合の強制の態様は、収税官吏の検査を正当な理由がなく拒む者に対し、同法七〇条所定の刑罰を加えることによつて、間接的心理的に右検査の受忍を強制しようとするものであり、かつ、右の刑罰が行政上の義務違反に対する制裁として必ずしも軽微なものとはいえないにしても、その作用する強制の度合いは、それが検査の相手方の自由な意思をいちじるしく拘束して、実質上、直接的物理的な強制と同視すべき程度にまで達しているものとは、いまだ認めがたいところである。国家財政の基本となる徴税権の適正な運用を確保し、所得税の公平確実な賦課徴収を図るという公益上の目的を実現するために収税官吏による実効性のある検査制度が欠くべからざるものであることは、何人も否定しがたいものであるところ、その目的、必要性にかんがみれば、右の程度の強制は、実効性確保の手段として、あながち不均衡、不合理なものとはいえないのである。

 憲法三五条一項の規定は、本来、主として刑事責任追及の手続における強制について、それが司法権による事前の抑制の下におかれるべきことを保障した趣旨であるが、当該手続が刑事責任追及を目的とするものでないとの理由のみで、その手続における一切の強制が当然に右規定による保障の枠外にあると判断することは相当ではない。しかしながら、前に述べた諸点を総合して判断すれば、旧所得税法七〇条一〇号、六三条に規定する検査は、あらかじめ裁判官の発する令状によることをその一般的要件としないからといつて、これを憲法三五条の法意に反するものとすることはできず、前記規定を違憲であるとする所論は、理由がない。

 

このように,川崎民商事件は,次の3要素(3つの考慮事項)を総合的に考慮し,行政調査に係る行政手続に憲法35条の保障が及ぶか否かを判断すべき旨判示している。

 

<川崎民商事件の総合判断の3要素(3つの考慮事項)>

 

〔あ〕手続の性質(目的)

 ・・・刑事責任追及目的とする手続か

 

〔い〕手続の一般的作用(一般的機能)

 ・・・実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有するものか

 

〔う〕公益に照らした強制手段の合理性

 ・・・公益性上の目的・必要性に照らした

    強制の態様・程度(手段)の均衡・合理性

 

①~③の総合判断ということであるが,③だけをみても公益性上の目的・必要性と強制の態様・程度につき総合判断をしているものと考えられ,二重の意味での総合的判断のようにも読める。とすると,かなり柔軟な規範であるといえ,「基準」と呼ぶにはやや抵抗があるという方もいるだろう。

 

 

(2)成田新法事件 の規範・基準

 

成田新法事件(最大判平成4年7月1日)は,35条に関し,次の枠内の文章の通り判示する(下線及び〔 〕内の文書は筆者)。上記川崎民商事件を引用していることが分かる。

 

 憲法三五条の規定は、本来、主として刑事手続における強制につき、それが司法権による事前の抑制の下に置かれるべきことを保障した趣旨のものであるが、当該手続が刑事責任追及を目的とするものではないとの理由のみで、その手続における一切の強制が当然に右規定による保障の枠外にあると判断することは相当ではない(最高裁昭和四四年(あ)第七三四号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五五四頁)。しかしながら、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政手続における強制の一種である立入りにすべて裁判官の令状を要すると解するのは相当ではなく、〔ア〕当該立入りが、公共の福祉の維持という行政目的を達成するため欠くべからざるものであるかどうか、〔イ〕刑事責任追及のための資料収集に直接結び付くものであるかどうか、また、〔ウ〕強制の程度、態様が直接的なものであるかどうかなどを総合判断して、裁判官の令状の要否を決めるべきである。

 本法三条三項は、運輸大臣は、同条一項の禁止命令をした場合において必要があると認めるときは、その職員をして当該工作物に立ち入らせ、又は関係者に質問させることができる旨を規定し、その際に裁判官の令状を要する旨を規定していない。しかし、右立入り等は、同条一項に基づく使用禁止命令が既に発せられている工作物についてその命令の履行を確保するために必要な限度においてのみ認められるものであり、その立入りの必要性は高いこと、右立入りには職員の身分証明書の携帯及び提示が要求されていること(同条四項)、右立入り等の権限は犯罪捜査のために認められたものと解釈してはならないと規定され(同条五項)、刑事責任追及のための資料収集に直接結び付くものではないこと、強制の程度、態様が直接的物理的なものではないこと(九条二項)を総合判断すれば、本法三条一、三項は、憲法三五条の法意に反するものとはいえない。

 

このように,成田新法事件も,次の3つの要素(3つの考慮事項)を総合的に考慮し,行政調査に係る行政手続に憲法35条の保障が及ぶか否かを判断すべき旨判示している。

 

<成田新法事件の総合判断の3要素(3つの考慮事項)>

 

〔ア〕行政目的達成のため不可欠であること

 ・・・公共の福祉の維持という行政目的を達成するため欠くべからざるものか

 

〔イ〕手続の一般的作用(一般的機能)

 ・・・刑事責任追及のための資料収集に直接結び付くものであるか

 

〔ウ〕強制手段の直接性

 ・・・強制の程度、態様直接的なものであるか

 

ただし,成田新法事件では,川崎民商事件の〔あ〕の要素である手続の性質(目的)すなわち刑事責任追及目的とする手続かというものについては,少なくとも明確には言及していないものといえる。

 

また,川崎民商事件の〔い〕の要素と成田新法事件の〔イ〕の要素とはほぼ同じであるものの,他方で,川崎民商事件の〔う〕の要素については,(ざっくりいえば)成田新法事件の〔ア〕と〔ウ〕に分かれており,〔ア〕と〔ウ〕がそれぞれ独立の要素とされている。このことから,成田新法事件では,〔ア〕・〔ウ〕の重要度がより高いものとされていると考えられるだろう。

 

 

(3)平成29年司法試験で採るべき規範

 

では,答案では,川崎民商事件の規範と成田新法事件の規範のどちらを書くべきだろうか。

両方の規範を書いた上で比較検討しているような時間は通常ないと思われることから(司法試験の現場では)問題となる。

 

この点に関し,成田新法事件の調査官である千葉勝美は,川崎民商事件の規範と成田新法事件の規範は,「同様の見解に立った」ものと解説する[7]上記(2)で述べた判示の違いがあるにもかかわらず,あえて「同様の見解に立った」と解しているのである。

 

とすると,この部分の解説については疑問もあるようにも思われるが,とりあえず,「同様の見解に立っ」ていることを前提として良いものと思われる。

 

というのも,やや乱暴な議論かもしれないが,平成22年司法試験論文憲法の出題趣旨や採点実感(後掲の枠内の文章),上位合格者の再現答案等に照らすと,在外邦人選挙権訴訟と在宅投票制廃止訴訟の関係が問題となりうる平成22年司法試験論文憲法でも,在外邦人選挙権訴訟の規範だけを前提に書けば,一応(相対評価であることから)上位合格することができている[8]のであり,おそらく,このことは平成29年司法試験論文憲法における(35条の論点ひいては)33条の論点に関しても同様に妥当するといえるからである。

 

○平成22年新司法試験論文式試験問題出題趣旨1頁(抜粋,下線は筆者)

選挙権を行使できないということは,選挙権が事実上保障されていないことを意味する。「国民の選挙権又はその行使を制限するためには,そのような制限をすることがやむを得ないと認められる事由がなければなら」ず,「やむを得ない事由があるといえ」るためには,「そのような制限をすることなしには選挙の公正を確保しつつ選挙権の行使を認めることが事実上不能ないし著しく困難であると認められる場合」であることが必要である(最大判平成17年9月14日)。

 

○平成22年新司法試験の採点実感等に関する意見(憲法)3頁(抜粋,下線は筆者)

本問では,住所を有しない者に国政選挙における選挙権行使を認めないことの適否が問題となることから,最高裁平成17年9月14日大法廷判決(在外邦人選挙権訴訟)を踏まえて検討することが必要である。同判決は,近年の最高裁による違憲判決であり,選挙権又はその行使の制限の合憲性を検討する上で極めて重要かつ基本的な判決である。また,立法不作為が違憲違法とされる要件についても重要な判断を示している。そのため,当該判決に関しては,法科大学院の授業でも扱われていると思われるが,同判決について意識しない答案が極めて多数に上った。

 

○平成22年新司法試験の採点実感等に関する意見(憲法)4頁(抜粋,下線は筆者)

選挙権の行使が妨げられたことについて,立法不作為の違憲を理由とする国家賠償請求訴訟の可能性に全く言及しない答案も相当数にあった。立法不作為による国家賠償請求に触れた答案でも,在外邦人選挙権訴訟判決を意識した答案はまれであり,最高裁昭和60年11月21日判決(在宅投票制廃止訴訟)のみに基づいて検討する答案が多くあった

 

つまり,在外邦人選挙権訴訟の判示は,在宅投票制廃止訴訟の判示と「異なる趣旨をいうものではない」としている[9]のと同様に,成田新法事件の千葉調査官の判例解説は,同事件の規範が川崎民商事件の規範と「同様の見解に立った」ものとしている(在外邦人選挙権訴訟の場合よりも強い表現といえる。)わけである。

このことからすると,司法試験受験生としては,事案によりしっくりくる方の判例の規範を活用してよいということになるだろう。

 

そして,以上を前提として,川崎民商事件の規範と成田新法事件の規範のどちらの答案で書くべきかにつき検討すると,平成29年の問題の憲法33条の論点には,成田新法事件の規範を採る(活用・応用する)方がベターということになるものと思われる。

 

なぜならば,川崎民商事件の〔あ〕の要素である手続の性質(目的)すなわち刑事責任追及目的とする手続かという要素は,平成29年の事案では殆ど問題にならないものといえることなどから,違憲・合憲の結論が分かれ得る(設問1で違憲論を主張し,設問2では合憲とするための)規範として,あるいは,「あてはめ」[10]がより充実する規範として,よりしっくりくるのは,成田新法事件の方といえそうだからである。

 

ちなみに,「私見」の結論は「合憲」とするのが無難と考えられることについては,

「平成29年司法試験論文憲法の予想論点と活用すべき判例(2・完)」

の「2」の部分を読んでいただきたい。 

 

yusuketaira.hatenablog.com

 

 

では,以上のような理由から,成田新法事件の規範を採る(活用・応用する)として,上記〔ア〕~〔ウ〕の各要素の重み付けなどについて,どのように考えていくべきであろうか。

 

この点については,憲法38条のものではあるが,成田新法事件と同じく,川崎民商事件を引用する所得税法違反事件(最三小判昭和59327[11])が参考になるように思われる。

 

・・・と,やや長くなってきたので,続きは次回以降のブログで述べることとする。

それではまた。

 

 

 

 

[1] この点に関し,「忘れられる権利」については様々な議論があるが,その逆の「忘れられない権利」については多分認められないだろう。

ちなみに,バンド「忘れらんねえよ」の元メンバー(ドラム)である酒田耕慈さんは,私が学生時代に所属していた某バンドサークルの1学年上の先輩であった。とてもユニークな人で,忘れられない。

なお,中央大学にはいくつかバンドサークルがあるが,そのうちの某バンドサークルで,私は4年間ボーカルとギターをやっていた。別のバンドサークルの2年(多分)上の先輩には,ナオト・インティライミさんがいたが,私は,司法試験の勉強との両立が難しいと考え(実際のところはよく知らないが,結構ボイストレーニングなどの練習がハードなイメージがあった。),そちらのサークルには入らず,上記某サークルと,伊藤塾中央大学駅前校)に入ることにした。

[2] 松井幸夫「判批」長谷部恭男ほか編『憲法判例百選Ⅱ〔第6版〕』(有斐閣,2013年)(以下,「百選Ⅱ」と略す。)258~259頁(119事件,川崎民商事件)。

[3] 宮地基「判批」百選Ⅱ250~251頁(115事件,成田新法事件)。なお,川崎民商事件も成田新法事件も大法廷の最高裁判例である。司法試験の(短答式試験の対策としてはもちちろん)論文式試験の対策として百選掲載の「大法廷」の判例を読み込むことの重要性につき,平裕介「司法試験の関連判例を学習することの意義」法苑(新日本法規出版)179号(2016年)1~8頁(8頁)参照。

[4] 戸松秀典=今井功『論点体系 判例憲法 2 ~裁判に憲法を活かすために~』(第一法規,平成25年)354~355頁〔喜田村洋一〕の「論点5」を参照。

[5] 上田健介「判批」百選Ⅱ252~253頁(116事件)。

[6] 喜田村・前掲(4)350~351頁の「論点1」を参照。

[7] 千葉勝美「判解」最判解民事篇平成4年度259頁。

[8] 辰已法律研究所(公法系科目につき,西口竜司監修)『平成22年新司法試験 論文過去問答案パーフェクト ぶんせき本』(平成23年)35~39頁の答案②(153.86点,系別8~10位,論文総合49位)参照。なお,同30~34頁の答案①(161.90点,系別1位,論文総合228位)は,在外邦人選挙権訴訟と在宅投票制廃止訴訟の両方の判例の規範のキーワードを書けている。

[9] 野坂泰司「判批」百選Ⅱ324~325頁(152事件,在外邦人選挙権訴訟)でも,この点についての解説がある(同325頁・解説4)。

[10] もはや司法試験論文憲法では有名すぎることであるが,今日においても,答案では「あてはめ」を「個別具体的検討」などと変換する必要があると考えられる(そのように考えておく方が無難だろう)。残念ではあるが,考査委員も,過去の採点実感には相当程度拘束されると思われることから,この点についての批判的検討は無用である。

[11] 刑集38巻5号2037頁。

 

 

*このブログでの(他のブログについても同じです。)表現は,私個人の意見,感想等を述べるものであり,私の所属団体,関連団体のそれとは一切関係のないものです。そのため,例えば,私のブログにおける「受験生」とは,このブログの不特定少数又は不特定多数の読者に司法試験や予備試験の受験生がいる場合のその受験生を意味し,特定の大学等の学生(司法試験受験生)をいうものではありません。このブログは,あくまで,私的な趣味として,私「個人」の感想等を書いているものですので,ご留意ください。