平 裕介(弁護士・公法研究者)のブログ

主に司法試験と予備試験の論文式試験(憲法・行政法)に関する感想を書いています。

マスク転売禁止措置は国民生活安定緊急措置法の物価高騰要件を本当に満たしているのか?「法治主義違反」と言われるおそれもあるが、検察官は「逃げ」ずに戦うのか?

 

「いつも心にしてたアイマスクを外してやればいい」*1

 

  

 

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1 マスク転売禁止が本日開始 政府の説明は…

 

マスク転売禁止スタート ネット販売、業界も対策

2020年(令和2年)3月15日 共同通信

https://www.47news.jp/4614686.html

(以下記事を引用)

新型コロナウイルスの感染拡大で極度の品薄に陥っているマスクの転売禁止が15日始まった。不足に拍車を掛けている転売目的の買い占めを排除するため、政府は罰則付きで監視を強める。転売の温床となっていたインターネットを通じた販売も業界各社が相次ぎ自主規制に乗り出し、官民で流通の適正化を目指す。

 政府は転売禁止に向け、第1次石油危機時に制定した国民生活安定緊急措置法を持ち出した。10日に同法の政令改正を閣議決定し、15日午前0時以降、仕入れ価格を超えた他人への販売を取り締まれるようにした。違反すれば1年以下の懲役か100万円以下の罰金、またはその両方を科す。

(以上引用終わり)

 

政府は、2020(令和2)年3月10日、「国民生活安定緊急措置法施行令の一部を改正する政令」の閣議決定を行った。

 

https://www.meti.go.jp/press/2019/03/20200310002/20200310002.html

 

政府としては、上記経済産業省のウェブサイトで「国民生活緊急措置法(以下、「法」という。)第26条第1項では、生活関連物資等の供給が著しく不足するなど国民生活の安定又は国民経済の円滑な運営に重大な支障が生じるおそれがあると認められるときは、当該生活関連物資等を政令で指定し、譲渡の禁止などに関し必要な事項を定めることができる旨が規定されています。」と関係法律の条文を摘示した上で、「本政令は、法の規定に基づき、衛生マスクを不特定の相手方に対し売り渡す者から購入した衛生マスクの譲渡を禁止する等の必要があるため、必要な措置を講ずるものです。」と説明している。

政府は、内閣だけで行える政令の改正(公布は同月11日、施行は同月15日)によって、法律を改正することなく、措置を講じたのである。

 

多くの市民にとっては歓迎すべき措置であると思われ、一見、問題なさそうな説明をしているようにも見えるが、本当にそうだろうか?

実は、そうでもなさそうである。

 

このウェブサイトには、政府があえて引用しなかったともみられる条文の要件がある

「物価が著しく高騰し又は高騰するおそれがある場合において」の要件である。

 

政府(経産省)は、なぜ、上記要件を引用しなかったのか?

説明が長くなるから、というわけでもなさそうである。以下、問題となる条文を含む関係条文を見てみよう。

 

 

2 国民生活安定緊急措置法と同法26条1項の第1要件

 

さて、国民生活安定緊急措置法(昭和48年法律第121号)(以下「法」と省略する場合がある。) の関係条文を以下引用する。下線や太字による強調,〔①〕~〔④〕の記載は筆者によるものである。

 

(目的)

第1条 この法律は、物価の高騰その他の我が国経済の異常な事態に対処するため、国民生活との関連性が高い物資及び国民経済上重要な物資の価格及び需給の調整等に関する緊急措置を定め、もつて国民生活の安定と国民経済の円滑な運営を確保することを目的とする。

 

(標準価格の決定等)

第3条 物価が高騰し又は高騰するおそれがある場合において、国民生活との関連性が高い物資又は国民経済上重要な物資(以下「生活関連物資等」という。)の価格が著しく上昇し又は上昇するおそれがあるときは、政令で、当該生活関連物資等を特に価格の安定を図るべき物資として指定することができる。

2 前項に規定する事態が消滅したと認められる場合には、同項の規定による指定は、解除されるものとする。

 

(割当て又は配給等)

第26条 〔①〕物価が著しく高騰し又は高騰するおそれがある場合において、〔②〕生活関連物資等の供給が著しく不足し、かつ、〔③〕その需給の均衡を回復することが相当の期間極めて困難であることにより、〔④〕国民生活の安定又は国民経済の円滑な運営に重大な支障が生じ又は生ずるおそれがあると認められるときは、別に法律の定めがある場合を除き、当該生活関連物資等を政令で指定し、政令で、当該生活関連物資等の割当て若しくは配給又は当該生活関連物資等の使用若しくは譲渡若しくは譲受の制限若しくは禁止に関し必要な事項を定めることができる。

2 (略)

 

(罰則)

第37条 第26条第1項の規定に基づく政令には、その政令若しくはこれに基づく命令の規定又はこれらに基づく処分に違反した者を5年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する旨の規定及び法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者がその法人又は人の業務に関して当該違反行為をしたときは、その行為者を罰するほか、その法人又は人に対して各本条の罰金刑を科する旨の規定を設けることができる。

 

 

今回のマスク転売禁止措置との関係で、問題となるのは、法26条1項である。

それでは、上記1のとおり、政府(経産省)がウェブサイトで言及しなかった(その意味で気になる)同項の①の要件(第1要件)について少し詳しく見てみよう。

 

 

3 「物価が著しく高騰し又は高騰するおそれ」(法26条1項)の解釈

 

法26条1項の第1要件である物価が著しく高騰し又は高騰するおそれがある場合において」の解釈については、国民生活安定緊急措置法の立法過程に関わった当時の経済企画庁物価局物価政策課長(垣水孝一氏)編著の『国民生活安定緊急措置法の解説』(経済企画協会、昭和49年)(以下「経済企画庁解説」という。)が参考になる。

 

経済企画庁解説によると、法26条1項の第1要件については、それほど詳しい解説がない(127頁)が、同様に物価要件について定めた法3条1項(ただし,「著しい」という要件が規定されていない点は法26条1項と異なる。)については、ある程度詳しい解説がある。

 

法3条1項は、「物価が高騰し又は高騰するおそれがある場合」という物価要件を規定しており、経済企画庁解説56頁は、この物価要件につき、次の通り解説している。

 

「物価が高騰し又は高騰するおそれがある場合とは、卸売物価、消費者物価等を総合した一般的物価水準が、過去のすう勢値を大幅に上回って上昇し又は上昇するおそれがある場合をいう、しかしながら、具体的な数値基準とすて示すことは難しく、物価要件に該当するか否かは、その時点における経済情勢等を勘案して判断することになる。

なお、高騰するおそれがある場合とは、現実に物価が高騰するに至っていない場合においても、例えば、輸入依存度の高い物資の輸入による供給が著しく阻害され、これが国内物価を高騰させるおそれがあるような状態等が該当する。」(下線は筆者)

 

このような法3条1項の物価要件の解釈と同様に考えるのであれば、法26条1項の物価要件については、「著しい」という要件が加重されていることから、単に「大幅に上昇」というだけでは足りず、卸売物価、消費者物価等を総合した一般的物価水準が、過去のすう勢値を著しく大幅に上回って上昇し又は著しく上昇するおそれがある場合をいうものと解すべきであろう。

 

ちなみに、法3条が「物価」と「国民生活との関連性が高い物資又は国民経済上重要な物資…の価格」(生活関連物資等の価格)とを書き分けていることからも明らかなとおり、法26条1項の物価要件の「物価」とは、個々の物資(例えば、今回の政令で言うと、マスク)の価格を指すものではない

 

なお、この物価要件について、行政裁量(要件裁量)が認められるかどうかという問題があるが、(あ)法37条の罰則規定の要件でもあること、(い)法26条の物価要件(第1要件)には、④の要件(第4要件)のように「と認める」という文言もないこと、(う)財産権(憲法29条1項)や営業の自由(憲法22条1項)の規制に係るものであることから、要件裁量は認められないものと考えられる。

 

つまり、法26条1項の物価要件については、要件裁量が認められる要件に比べて厳格に解釈適用しなければならないということであり、さらに、罪刑法定主義の要請からも、より厳格に解釈適用されるべき要件であるといえる。

 

ちなみに、この行政法の論点(要件裁量の有無・認否)は司法試験論文式試験行政法)で殆ど毎年出題されている論点である。とくに理解が怪しい受験生各位は、さしあたり以下のブログを参考にされてはどうだろうか。

 

 

yusuketaira.hatenablog.com

 

 

 

4 「物価が著しく高騰し又は高騰するおそれ」(法26条1項)の当てはめ

 

それでは、今回のマスク転売禁止のための政令改正(本日施行)は、「物価が著しく高騰し又は高騰するおそれ」(法26条1項)の要件を満たすものであったのか?

 

上記3のとおり、法26条1項の物価要件(第1要件)は(A)卸売物価、(B)消費者物価等を総合した(C)一般的物価水準が、過去のすう勢値を著しく大幅に上回って上昇し又は著しく上昇するおそれがある場合をいうものと解されるところ、これまで政府から(A)~(C)についての詳しい説明はなされていないように思われる。

 

以上に述べたとおり厳格に解釈適用(運用)されるべき法律の要件であることに加え、政府の説明責任の原則知る権利(憲法21条1項参照)との関係でも、(A)~(C)について、もっと詳しい説明が市民に対してなされるべきであろう。

 

また、経済企画庁解説56頁には、「高騰するおそれがある場合とは、現実に物価が高騰するに至っていない場合においても、例えば、輸入依存度の高い物資の輸入による供給が著しく阻害され、これが国内物価を高騰させるおそれがあるような状態等が該当する」との説明がある。

 

現時点で、物価が高騰しているとはいえず、ましてや著しく高騰している状態にあるとはえない(マスクの価格単体で考えてはならないことは以上に述べたとおり)。

 

そして、物価が著しく高騰していない現状(2020年(令和2年)3月15日現在)において、輸入依存度の高い物資であるマスク(とりあえずマスクがこれに当たるとしよう。)の輸入による供給が著しく阻害され、これが国内物価(繰り返すが、マスクの価格ではない)を著しく高騰させるおそれがあるような状態が認められるだろうか?

 

おそらく、認められると説明することは難しいのではないかと思われる。

 

ちなみに、第一次オイルショック当時(1973年(昭和48年))のデータが以下のサイトに掲載されており(ただし函館市のもの)、興味深い。

(なお、筆者はこの当時は生まれていないので、この頃の社会情勢や混乱を知らない。)

 

醤油(1.8kgor2kg)、味噌(1kg)、砂糖(1kg)、コーヒー(1杯)、灯油(18リットル)、洗濯代(ワイシャツ)、理髪代(大人1回)、洗濯用洗剤(2,65kg)及びちり紙(800枚)の月別物価推移(昭和48年6月~昭和49年3月)の一覧表が参考になる。

 

 

函館市史デジタル版

オイルショックと狂乱物価  消費社会、モノ不足の幻影   P860-P864

http://archives.c.fun.ac.jp/hakodateshishi/tsuusetsu_04/shishi_07-03/shishi_07-03-52.htm

 

(以下引用)

石油の削減でもろに影響を受けた運輸業、ふろ屋やクリーニング店、水産加工場など市民生活に関わりの深い業種への打撃は大きかった(昭和48年12月26日付け「道新」)。そうしたなか五月雨(さみだれ)式の値上げがあいついだ。クリーニング店は洗剤や包装用資材の値上がりを根拠にワイシャツ洗濯代を1.5倍にした。便乗値上げとの批判もあったが、背に腹は代えられないといったところであった。散髪・パーマ代も5割の値上がり、喫茶店もコーヒー豆の3割値上げや人件費の高騰などを理由に、1杯のコーヒーを150円前後から180ないし200円へと値上げしたから、気軽にコーヒーも飲めなくなったと多くのサラリーマンがこぼしたという(表参照)。

(以上引用終わり)

 

コーヒー(1杯)は、130円(1973年6月)から1年半で200円(1974年12月)になっているが、今でいえば、ドトールのコーヒー(Mサイズ)275円が2021年9月には420円くらいになるというイメージだろうか。

 

このように、国民生活安定緊急措置法(昭和48年法律第121号)が成立した当時の第一次オイルショックの頃の情勢と今日の情勢とを比較してみても、法26条1項の物価要件の認定は困難ではないかと思われる。

 

 

5 検察官への職務への影響は? 再び「検察官逃げた」と言われるおそれも…

 

現実に今回の政令改正によって、法37条の罰則を現実に適用する場合、当然ながら、法26条1項の物価要件の認否について、刑事事件(刑事訴訟)の中で、争われることになるだろう。

 

刑事事件(公訴提起)まで至らなくても、捜査の段階でも、被疑者から上記のような反論(法26条1項の物価要件を満たさないとの反論)をされることが予想される。

 

今回の政令改正の問題点は、法26条1項の物価要件が認められかどうかが非常に微妙であるにもかかわらず、この要件の検討を十分にせず、政令改正(内閣)だけによって対処しようとしたことであり、本来は法律を改正すべきであったのである。

 

マスク転売禁止のための法律改正(法26条1項の物価要件等の緩和)であれば野党も特に反対しなかっただろう。

 

このような問題を引き起こした根本的な原因は、現政府が法治主義を無視・軽視していることにあると考えられる。

閣議決定政令(内閣の判断)だけで法律の内容を捻じ曲げるという行為、すなわち「法解釈」と現政府が称する本来法解釈と呼ぶに値しない行為によって、近代国家の大前提である法治主義(法律による行政の原理)を破壊する行為である。

 

最近話題になっている黒川東京高検検事長の勤務(定年)延長問題は、法治主義(ここでは検察庁法・国家公務員法を行政が守ること)の破壊行為の典型といえよう。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200309/k10012321971000.html

 

今回、26条1項の物価要件の検討を十分にせず、政令改正だけで済ませてしまったことにより、現場(検察や警察の職務)への影響が出てくることが予想される。

 

内閣の面々が法治主義を軽視すると、現場に影響が出るわけである。現場は大迷惑であろう。

 

法務大臣により、積極的な捜査・公判から「検察官が逃げた」と言われる日もくるかもしれない。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56720180S0A310C2PP8000/

 

なぜなら、歴史は繰り返すからである。

  

*1:Mr.Children「I'll be」『DISCOVERY』(TOY'S FACTORY、1999年)