平 裕介(弁護士・公法研究者)のブログ

主に司法試験と予備試験の論文式試験(憲法・行政法)に関する感想を書いています。

司法試験採点実感の「消費期限」と「賞味期限」  -審査基準を「若干緩めて」と書くのは「不適当」(26年憲法採点実感)は「消費期限」切れか?-

 

本日,ある司法試験受験生の方から,憲法の論文答案に関する興味深いご質問を受けた。他の受験生の方にも同様の疑問をお持ちの方がいるかもしれないと思い,ブログを更新することにした。

 

<質問>

「答案に,『審査基準をやや緩和して』というような記載をしてはならないと合格者の方から言われたのですが,本当でしょうか?基本書などで似たような書き方をしているのを読んだことがあるのですが…。」

 

<回答>

「『多少とも緩和した形で適用されるべき』とか『やや緩和した審査基準を適用すべき』などと書くことは,今日の司法試験では(ゆえに平成30年司法試験でも)問題ないように思われます。とはいえ,基準を緩和する理由についての記載を答案に書いておけば,『多少とも緩和・・・』などの部分をわざわざ書かなくてもよいでしょう。」

 

 

 

<回答理由等>

 

1 26年採点実感「審査基準を『やや下げて』『若干緩めて』はNG」

 

上記ご質問について,まず想起すべきは,平成26年司法試験の採点実感等に関する意見(公法系科目第1問)(以下「26年採点実感」という。)におけるコメントである。

 

26年採点実感7頁・2「(6) 答案の書き方等」のところでは,「答案における用語の使用方法等について気になるところを指摘する。不適当な用語の使用は,その内容によっては,受験者の概念の理解に疑いを抱かせるものであるという点に留意願いたい。」(下線は引用者)とした上で,7つの事項につきコメントしている。ここでは,その7つのうち2つを紹介しよう。

 

(A)「・本来,『立法裁量』と書くべきところを『行政裁量』と書いているものが多かった。憲法訴訟における裁量論の意味をよく考えてほしい。」

 

(B)「・審査基準を『やや下げて』とか,『若干緩めて』といった記述が見られたが,判例や実務でこのような用語を使うかは疑問である。」

 

 

このうち,(A)については,異論はなかろう。「立法裁量」と書くべきところを「行政裁量」と書いてしまったら,それは明確な間違いだからである。[1]

 

他方で,(B)については,どうだろうか。冒頭の質問と関連する採点実感である。

 

この(B)は,(A)とは違い,(「上げて」とか「下げて」ややや稚拙な表現なので良くないが)明確な間違いとまではいえないように思われるし,(B)に対しては,以下に述べるとおり,2つの批判が考えられる。

 

 

2 26年採点実感の問題点

 

(1)伊藤正己補足意見「違憲判断の基準…多少とも緩和した形で適用」

 

第1に,「判例や実務でこのような用語を使うか」否かという点まで司法試験の採点に組み込むということなのだろうか。

 

もちろん,品位を欠く表現,あるいは稚拙にすぎる表現は司法試験でもNGであろうが,そこまでではない表現があった場合,得点を相対的に低くしたりするという趣旨の採点実感であれば,問題であろう。

 

それは基本的には司法修習で学ぶなどすれば足りる(二回試験では出ないが)ことと思われるからである。

 

第2に,「審査基準を『やや下げて』」という表現は,確かに判例で(殆ど)使われないのかもしれないが,「『若干緩めて』といった記述」については,使われることがあってもおかしくないのではないかと思われる。

 

 

判例・実務の例(と考えられるもの)であるが,例えば,考査委員自身が採点実感において明確に言及した判例でもある「岐阜県青少年保護育成条例事件判決」の「伊藤補足意見」(平成20年新司法試験の採点実感等に関する意見(憲法)1頁・1(1))は,次のように述べている。

 

「…違憲判断の基準についても成人の場合とは異なり、多少とも緩和した形で適用されると考えられる。」(下線は引用者)

 

 

勉強の進んでいる受験生には言うまでもないことだが,この判決(最三小判平成元年9月19日刑集43巻8号785頁)は,憲法判例百選に収録された重要判例である(同[第6版]Ⅰ・55番事件・松井茂記教授解説)[2]

 

ちなみに,松井教授は「解説」2(1)部分で,次のとおり,伊藤補足意見を要約して紹介している。

 

伊藤正己裁判官の補足意見は,青少年に対する憲法的な表現の自由の保障の程度は成人の場合に比較して低いとし,成人に対する表現の規制の場合のように,その制約の憲法適合性について厳格な基準が適用されず,多少とも緩和した形で適用されるべきだとしている。しかし,後述するように,未熟な判断能力の青少年を保護するためパターナリズムに基づいて青少年の自由を制限することが認められるからといって,その保護の程度は低く,違憲審査の基準は緩やかでよいと考えることができるかどうか異論がありえよう。」(下線は引用者)

 

以上のような解説があることから,百選をよく読んでいる受験生であれば,答案で,審査基準を「緩和」するという表現を使ってしまうこともあるだろうが,

伊藤補足意見は(判例ないし)実務の例と呼んでも問題ないように思われる。

 

(2)考査委員(研究者)「やや緩和された…審査基準を適用すべき

 

ちなみに,蛇足になるかもしれないが,研究者・学者が「緩和」という表現を使っているかどうか確認しておこう。

 

平成27年から平成29年まで司法試験考査委員を担当された曽我部先生のテキストである新井誠=曽我部真裕=佐々木くみ=横大道聡『憲法Ⅱ 人権』(日本評論社,2016年)120頁〔曽我部真裕〕には,次の記載がある。

 

「…規制内容についての違憲審査のあり方に関する重要な考え方である内容規制・内容中立規制二分論(以下、『二分論』という)について説明する。

二分論とは、端的にいえば、表現規制を表現内容に基づく規制と表現内容に関わらない規制(内容中立規制)とに二分し、前者に対しては厳格な違憲審査基準を、後者に対してはやや緩和された(しかし経済的自由に対するものほど緩やかではない)審査基準を適用すべきだという考え方であり、有力な異論もあるが、学説においては広く支持されている。」(下線は引用者)

 

ということで,「やや緩和された」審査基準を適用すべきといった表現は,考査委員自身が用いているのである。

 

ちなみに,元司法試験(新司法試験)考査委員の赤坂先生も,先生のテキスト(赤坂正浩『憲法講義(人権)』(信山社,2011年)26頁で,「より厳しい審査」・「より緩やかな審査」という表現を用いているわけであり,「緩和」とか「緩やか」とか「やや」という語は,受験生(学生)だけではなく,研究者・学者も使っているものといえる。

 

(3)東京大学名誉教授(憲法学)「審査の厳格度を緩める

 

他にも,例えば「審査の厳格度を緩めることが可能」(高橋和之立憲主義日本国憲法 第4版』(有斐閣,2017年)244頁)という表現がある。

 

さらに他にも(以下,省略)。

 

というように,上記の26年採点実感は,研究者の立場ともズレのあるもののように思われ,その「瑕疵」の程度はかなり重大だろう。

 

 

3 採点実感の射程ないし「消費期限」

 

26年採点実感7頁(6)の前記(B)のような記述は,その後の採点実感や出題趣旨では登場していないものと思われる。

それは,①特定の考査委員(採点実感につき会議等で代表して報告等する考査委員)が変わったことと,上記2のとおり,②採点実感の内容自体にいわば「瑕疵」があったことに基づくものであろう。

 

今回のブログで問題にした箇所のように,司法試験の採点実感には,その後の司法試験に「射程」が及ばない(及ばなくなる)ものがある。

いわば「消費期限」[3]が切れている(切れる)採点実感も存在するものと考えられる。

 

とはいえ,「消費期限」の切れる要素は上記①・②であると思われるが,①・②を満たす場合は,かなり限られていることから,採点実感の殆どが今日でも生きている(消費期限の切れておらず,あるいは性質上切れることのない有効な)ものと思われるので,注意が必要である。

 

 

4 判例変更ならぬ「実感変更」

 

なお,このような「射程」や「消費期限」のことが,出題趣旨や採点実感において明記されることはさすがになかろう。

 

ただし,新しい出題趣旨や採点実感において昔の採点実感が実質的に・黙示的に覆されることはありうると思われる。

 

判例変更ならぬ採点実感の変更(実感変更)である。

 

実感変更は法定されていないものの,それは観念・存在しうるだろう。

 

 

というわけで,以上より,平成30年(以降)の司法試験論文憲法の答案で,「多少とも緩和した形で適用されるべき」とか「やや緩和した審査基準を適用すべき」などと書くことは,おそらく問題ないことなのかもしれないが,それでもリスクが心配という人は,審査基準を緩和する理由に係る記載を答案に書いておけば「多少とも緩和・・・」などの部分をわざわざ書かなくても点は入ると考えられるので,その部分を書かないようにすれば良いと思われる。

 

 

5 採点実感の「賞味期限」 ~採点委員は採点実感を何年分遡って読むのか~

 

最後に,冒頭のご質問からはやや外れることだが,受験生がどの年の採点実感をどの程度力を入れて読むべきかにつき付言する。

 

もとより推測であるが,司法試験の考査委員・採点委員は,過去の採点実感を事前に読んでいるものと考えられる。

 

特に初めて採点委員になった者は,採点の便宜上,過去どのように採点がなされたか知りたいだろうし,当局としても採点の安定性(←他の採点委員と開きがありすぎては困る)という観点から,採点委員に過去の採点実感を読んでほしいと考えるのが普通だからである。

 

そうすると,ではどこまで遡るのかということであるが,感覚的には,概ね直近の3年分というところではないかと思われる(特に1年前の採点実感は最初に目を通す採点実感と予想され,注意深く読むだろう)。

 

また,もしかしたら,4年前以前のものについては,それらをまとめた資料があるのかもしれない。

 

もちろん推測の域を出ないが,1~2年分では少ない感じがする(上記採点の安定性を確保し難くなる)し,4~5年分だとやや多い気がする(量が多く頭に入らないのでやはり採点の安定性を確保し難くなる)。

 

よって,受験生としても,直近3年分くらいは,(だれかがまとめたものではなく)法務省で公表されている採点実感そのもの(自分が選択しない選択科目のものを除く全文)をある程度しっかり読むべきであり,それ以外の年のものは,まとめられたものを読んだり,過去問検討の中で適宜(部分的に)読んだりすればよいだろう。

 

つまり,私の予想によると,4年前以前の採点実感については考査委員にその全文を読まれる期限を過ぎているため,いわば「賞味期限」[4]が切れているものといえるので,相対的に重要度が少し落ちるものとなるように思われる。

 

「消費期限」と区別し「賞味期限」とした理由は,上記のとおり重要なものを当局等がまとめた資料などは用意されているのかもしれないし,あるいは採点委員経験者の頭の中では特に重要なものについては未だ生き残っているものもあるだろうといった点にあるが,例えがこれで良かったのかは微妙なところかもしれない。

 

…と,このように色々と思いを巡らせるなどしながら,採点実感等を読むのも,司法試験の研究[5]の醍醐味ではないだろうか。

 

 

以上より,司法試験受験生としては,まずは直近3年分の採点実感を良く読み,4年前以前のものについては過去問検討やゼミ,あるいは授業等に際して,重要部分と思われる部分をピックアップするような作業をすると良いのではないかと思われる。参考になれば幸甚である。 

 

______________________

 

[1] とはいえ,「憲法訴訟における裁量論の意味をよく考えてほしい」という謎かけ的・禅問答的・ソクラテス的な言い回しは何とかならないものか。なお,このような禅問答的な部分の解答ないし見解を考査委員(採点委員や元考査委員・元採点委員を含む)が法科大学院や法学部の授業などで明示等することは,①司法試験の実施に係る平等原則違背行為や②秘密漏えい罪に当たる行為とまではいえなくても,③非立憲的な行為であるものと考えられ,強く非難されるべきものである。

[2] なお,岐阜県青少年保護育成条例事件判決は,平成30年司法試験論文憲法でも活用すべき判例となる蓋然性が高い判例であると考えられる。

[3] 消費期限とは,本来は,「傷みやすい食品に表示される、安全に食べられる期限」(新村出編『広辞苑第六版』(岩波書店,2008年)1393頁)を意味するものである。

[4] 賞味期限とは,本来は「比較的長持ちする加工食品を、定められた方法によって保存した場合,その品質が十分に保ておいしく食べられる期限」を意味するものである(新村出編『広辞苑第六版』(岩波書店,2008年)1398頁)。

[5] ここでの「研究」は一種の比喩である。司法試験の問題,出題趣旨,採点実感,ヒアリング,再現答案(特に上位答案),各種解説文献等は,何度検討しても(少なくとも私には)ほぼ毎回新たな発見があるものであり,これらの検討・再検討は,興味深く大変勉強になる。受験生の方々にもこの検討等の結果をできる限り還元していきたい。

 

 *このブログでの(他のブログについても同じです。)表現は,私個人の意見,感想等を述べるものであり,私の所属団体,関連団体のそれとは一切関係のないものです。そのため,例えば,私のブログにおける「受験生」とは,このブログの不特定少数又は不特定多数の読者に司法試験や予備試験の受験生がいる場合のその受験生を意味し,特定の大学等の学生(司法試験受験生)をいうものではありません。このブログは,あくまで,私的な趣味として,私「個人」の感想等を書いているものですので,ご留意ください。