平 裕介(弁護士・公法研究者)のブログ

主に司法試験と予備試験の論文式試験(憲法・行政法)に関する感想を書いています。

平成29年司法試験 公法系第1問の感想(4)

 「平成29年司法試験 公法系第1問の感想(3)」(平成29年5月21日ブログ)の続きである。本日は,予定をやや変更し,前回の補足をするにとどまる内容となる。そのため,ブログも短いものとなるが,引き続き少しずつ書き進めることとしたい。

 

平成29年司法試験論文憲法は,憲法学にとって緊々の課題と評される「マクリーン判決を超える」[1]方策を受験生に問うという側面があったものと考えられる。

 

この点について,私は,前回のブログの3(1)ウで次のとおり述べた。まずは,脚注を含め再掲する(ただし,脚注番号はズレるが,ご容赦いただきたい)。

 

(以下,再掲)

 ウ 正当化理由の有無を判定する段階の要点

上記Bの人権制約は正当化されるか。我が国の農業及び製造業に必要な労働力の確保という労働政策等(法1条)からの規制であり,制約根拠(公共の福祉,13条後段)はあるとしても,その制約が許されるものかが問題となる。

この点については,確かに,外国人の在留権(在留の権利)は,国際慣習法上,保障されているものではないと解されている(マクリーン事件)。とすると,外国人の妊娠・出産の権利・自由の保障も,法における特定労務外国人制度の枠内で与えられているにすぎないもののようにもみえる。

しかし,特労法は入管法の外国人在留制度と比べて在留の要件を限定しており(法4条1項),帰化・永住を希望しないことがその要件となっていること(同項4号),認証は原則として3年のみで効力を失うことなどからすると,特労法における外国人の人権行使が,長期の定住が認められないものであることから日本国民の人権や公益(国益)と衝突することは比較的少ないといえる。そのため,入管法上の在留更新等の場合よりも,手厚い人権保障が要請されるものというべきである。

また,妊娠・出産という人生の選択をする自由は,その者の日々の生活や生き方,ものの見方・思想などを大きく変えうるものであり,自身の子に,価値遺伝的素質を伝承するという意味でも人格的生存の根幹に密接にかかわるものといえる。このような意味で,妊娠・出産の権利・自由は,精神的自由等における自己実現の価値の大前提たる極めて重要な意義を有する。加えて,例外を許さず,妊娠・出産の権利・自由が全面的に制約されており,その意味で比較的強い規制といえる。

とすると,マクリーン事件(外国人在留制度)で問題となった外国人の表現の自由の場合とは異なり,特労法との関係では,妊娠・出産の権利・自由は,同法の制度の枠内で保障されるという弱い保障にとどまらず,より手厚く保障されるものというべきである[2]。具体的には,マクリーン事件の採ったような裁量権の逸脱濫用審査に係る審査密度の低い[3]審査枠組みではなく,①立法目的が重要であり,かつ②立法目的と手段との間に実質的関連性があるといえる場合でなければ違憲とされる審査基準によるべきである[4]

(再掲,終わり)

 

この部分については,異論もあるだろう。例えば,行政法学における裁量統制の手法で違憲・違法を導くべきと考える構成である。なお,辰已法律研究所の解答速報(平成29年5月19日18:38に辰已法律研究所のウェブサイトで公表されたもの)は,設問1でも上記のような目的・手段の違憲審査基準による構成は採っていない。

 

しかし,私が上記の比較的厳格な目的手段審査を採ったことには根拠がないわけではない。この点につき,宍戸常寿「裁量論と人権論」公法研究71号107~108頁(2009年)は,次のよう述べる(下線は筆者)。

 

近時の判例における審査密度の深化は、憲法の観点からは、司法が、人権・人権侵害の意味を縮減することを通じて、人権に拘束されずにした自由な判断によるものと評することができます。(中略)裁判所は、かくかくしかじかの場合には判断過程統制が義務づけられるという論理を明示的に展開しておらず、最小限審査への逃げ道を残しています。(中略)これは(中略)二重の基準論が、一定の場合には裁判所は厳格審査「できる」のではなく、厳格審査「しなければならない」という形で、裁判所を統制しようとするのとは対照的です。

 

さらに,同文献109頁は,「裁量の『中』で働く人権は判断過程統制の手法に対応しますが、憲法上の権利としての人権は裁量を羈束し、行政裁量を『外』から制限します。その結果、裁量授権規範がそれ自体として憲法上の権利を侵害する場合には法令違憲とされるべきであ」(下線は筆者)るとしている。

 

そして,このような考え方は,(マクリーン事件や)平成29年の事案にも妥当するものと思われる。

 

つまり,平成29年司法試験論文憲法の(設問2はともかく)少なくとも設問1では,マクリーン事件の超え方として,(A)裁量の「中」からの統制のように,立法裁量の判断過程統制等を行うといった低い審査密度[5]の規範を採るのではなく,(B)裁量の「外」からの制限としての比較的厳格な審査基準(中間審査基準等)の定立・あてはめが期待されていたのではなかろうか。

 

もちろん(A)の構成でも,内容次第で合格答案にはなると思うが,(B)の構成は成功すれば上位答案になるだろう。

 

ただし,(B)の構成による場合,比較的厳格な目的手段審査の基準を採るための理由付けが最も重要であり,そのための論述(私の上記のもの)が成功しているかについては,なお検証しなければならないように思われる。

 

ちなみに,私としては,そのための論述に,違憲審査枠組みの設定に関して考慮されるべき事項・要素と考えられる,①制約される人権の重要性(いわば人権のプラス面),②他社の人権等や公益を制約する弊害的な(いわば人権のマイナス面)が小さいこと(=当該人権の制約の本来的可能性が低いこと),③規制態様の強さ(本問では③は余計かもしれないが)といったものを活用し,もって,基本からの(一応の)検討を試みたつもりである。

 

このように,平成29年司法試験論文憲法は,近時の憲法学説の課題を受験生に問う面があったのであり,2時間という制限時間内で(実際は純粋に考える時間は1時間もなかろう)要求ないし解答を期待するという問題であったように感じられる。そうであるとすれば,受験生が現場でかなりの難問であるなどと感じることは至極適当なことと思われる。

 

 

いわゆる誘導の多い行政法(論文)と比べると,憲法(論文)は毎年難しい。行政法は勉強の成果が出やすいが,憲法はそうではないと感じる受験生も少なくないだろう。そして,これで論文は同じ配点というのであるから,勉強の仕方も工夫する必要がある。

 

 

このような問題の難易度の差が,憲法の(論文の)勉強の時間を少なくするものにならないことを私は願ってやまない。法の支配・立憲主義の重要な担い手となる司法試験受験生が憲法の勉強に時間を割かなくなるということは,近代国家[6]においては大問題であるからである。

 

 

続きは次回。

 

 

 

 

 

 

[1] 愛敬浩二「判批」長谷部恭男ほか編『憲法判例百選Ⅰ〔第6版〕』(有斐閣,2013年)5頁(1事件,マクリーン事件)。

[2] 曽我部真裕「判批」淺野博宣ほか著,憲法判例研究会編『判例プラクティス憲法〔増補版〕』(信山社,2014年)7頁(2事件,マクリーン事件)は,マクリーン事件の採る(ものと解される)「出入国システム優位説」が妥当する領域があることは否定できないとしつつも,その範囲については,「基本的人権との関係で慎重に判断する必要があろう」(下線は筆者)とし,マクリーン事件の規範の射程を限定すべき旨述べている。この部分に関する説明(曽我部・同文献6~7頁)は,重要であり,平成29年考査委員が考える重要な視点が示されているものといえよう。答案例は,この視点に完全に沿うものではないかもしれないが,(一応)事案にくらいつき,「基本的人権優位説」(曽我部・同文献7頁)の立場から,そして,①他社の人権等や公益を制約する弊害的な(いわば人権のマイナス面)が小さいこと(すなわち当該人権の制約の本来的可能性が低いこと),②制約される人権の重要性(いわば人権のプラス面),③規制態様の強さ(本問では③は余計かもしれないが)に照らし,論述することを試みたものである(以上の①・②につき,青柳幸一『憲法』(尚学舎,2015年)87頁参照)。

[3] 宍戸常寿『憲法解釈論の応用と展開 第2版』(日本評論社,2014年)76頁参照。

[4] 高橋和之立憲主義日本国憲法 第4版』(有斐閣,2017年)137頁参照。なお,同文献96頁は,マクリーン事件の判示に関し,「安易に裁量論に委ねるべきではない」とする。

また,指紋押捺制度の合憲性について判断した最三小判平成7年12月15刑集49巻10号842を活用し,立法目的の合理性,必要性,相当性が認められれば合憲とする判断枠組みを活用することも考えられる。しかし,①設問1で採る審査枠組みとしてはやや緩やかであること,②折角マクリーン事件の射程が及ばないとしたのであるからより厳格な審査基準によってもあまり問題はないと考えること,③平成29年の事案のように「入国・在留に関わる場面」(曽我部・前掲注(2)7頁)では(同じ13条後段関係の外国人の人権の判例とはいえ),マクリーン事件を基軸とした論述をした方が良いと考えたことなどから,私としては,上記平成7年の判例の審査枠組みにはよらない方針を採っている。

なお,小山剛「判批」佐藤幸治=土井真一編『判例講義 憲法Ⅰ 基本的人権』(悠々社,2010年)1~2頁(2頁)は,マクリーン事件の判示に関し,国家の授益的措置に対する憲法上の制約の問題に言及し,(a)「違憲な条件」の法理や(b)「政府言論」の問題,あるいは(c)国家の中立性の要請から導き出される法理の問題として捉え,検討を加えている。この立場からすると,中間審査基準のような目的・手段審査の違憲審査枠組みを採ることにはならないだろうが,このような考え方は,設問2の私見のところで採ると良い(よって設問1とは規範が変わることになる)のではないかと私は考える。

[5] 憲法学では「低い」(宍戸・前掲注(3)76頁参照)と捉えているようであるが,行政法学とは多少の温度差があるように思われる。

[6] 一応,日本は近代国家であるという前提に立つ記述であるが,最近は,日本は中世国家ではないかという指摘もあるところであり,異論を認めないわけではない。

 

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