令和元年(平成31年・2019年)司法試験論文憲法 解説速報(2) 答案例その1
「もう怖がんないで 怯まないで
失敗なんかしたっていい
拒まないで 歪めないで
巻き起こっているすべてのことを真っすぐに受け止めたい」[1]
思想の自由市場を「歪め」るのは,市民の虚偽表現か,政府の統制か。
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前回に引き続き,令和元年(平成31年・2019年)司法試験論文憲法の解説を試みる。
1 過去問の採点実感等に照らした答案構成の一般論
(1)過去問検討の重要性
説明するまでもないことかもしれないが,過去問の検討,特に自分で問題を解いてみた上で,出題趣旨や採点実感,市販の上位再現答案等を分析等してみることは,司法試験論文において(司法試験予備試験論文においても)重要である。
そこで,令和元年司法試験論文憲法の検討に入る前に,過去問の出題趣旨や採点実感を簡単におさらいしてみよう。
(2)違憲審査基準等の判断枠組みの定立までについて
平成28年司法試験の採点実感等に関する意見(公法系科目第1問)(以下「平成28年採点実感」という。)1頁の「2 総論」部分は,以下のとおり述べており,①人権の「重要性」(〔2〕の部分),②規制の程度(規制の強さ)(〔3〕の部分),そして③一定の制限を課す必要がある理由(反対利益への配慮)(〔6〕の部分)等を考慮し,違憲審査基準(判断枠組み)を定立せよと述べている。
「本問では,〔1〕架空の性犯罪継続監視法がいかなる憲法上の人権をどのような形で制約することになるのかを正確に読み取り,〔2〕被侵害利益を特定して,その重要性や〔3〕規制の程度等を論じて〔4〕違憲審査基準を定立し,問題文中の事実に即して適用するなどして結論を導かねばならない。〔5〕その際,当該権利(自由・利益)を憲法上の人権として保障すべき理由,〔6〕これに一定の制限を課す必要がある理由(反対利益への配慮),〔7〕これらを踏まえて当該違憲審査基準を採用した理由,〔8〕同基準を適用して合憲又は違憲の結論を導いた理由について,いかに説得的に論じているかが,評価の分かれた一つのポイントとなる。」(〔1〕~〔8〕,下線は引用者)
そして,当然のことながら,①の前提として,(A)そもそも憲法で当該自由・権利が保障されるものといえること(〔5〕の部分),また,②の前提として,(B)当該自由・権利が法令や処分によって制約されているといえることがそれぞれ必要となる。ゆえに,(A)と①,(B)と②の内容は,普通は重複する箇所が多くなるものといえる。
また,この平成28年採点実感が言及した答案構成の枠組みに概ね従い,その上で特定の判例(憲法判例百選に収載されるレベルの著名な判例)を活用しながら,答案の「一例」を示したのが平成29年司法試験論文式試験公法系科目第1問出題趣旨(以下「平成29年出題趣旨」という。)第4段落である。
「B代理人甲としては,マクリーン事件判決のこのような判断を踏まえつつ,本件のような場合には立法裁量が限定されるべきという主張を組み立てる必要がある。様々な立論があり得るだろうが,飽くまで一例ということで示すとすれば,まず,〔①〕妊娠等が本人の人生にとって極めて重要な選択であり,また,人生においても妊娠等ができる期間には限りがあり(なお,新制度はそのような年代の者を専ら対象としている(特労法第4条第1項第1号)。),自己決定権の中でも特に尊重されなければならないこと,また,〔②〕本件が,再入国と同視される在留期間の更新拒否ではなく,強制出国の事例であってマクリーン事件とは事案が異なることなどを指摘して,〔③〕立法裁量には限界があるとして中間審査基準(目的の重要性,手段の実質的関連性)によるべきだという主張をすることなどが考えられる。」(下線,〔①〕~〔③〕は引用者)
(3)あてはめについて
加えて,平成29年出題趣旨第4段落は,あてはめの「一例」まで示してくれている。
「その上で,例えば,〔1〕規制目的は定住を促す生活状況を生じさせることを防止することによって定住を認めないという新制度の趣旨を徹底することであり,これは,滞在期間を限定し,永住や帰化を認めないという直接的な措置と比べて周辺的であり,重要な立法目的とまでは言えないこと,〔2〕仮に目的が重要だとしても,妊娠等が全て定住につながるとは限らず,合理性に欠けることなどを指摘することが考えられる。」(下線,〔1〕・〔2〕は引用者)
このあてはめ例のうち,〔1〕は目的審査の,〔2〕は手段審査における関連性の審査といえ,また,このほかに(手段審査における)規制手段の相当性(規制手段として実効性のあるより制限的でない他に選び得る手段の有無が重要な要素となる)の審査がある[2] [3]。この点に関し,平成29年出題趣旨第4段落は,相当性の審査については当てはめを行っていないものといえるため,この点については,上位再現答案等で分析することが受験生にとって有益な勉強となるだろう。
(4)中立意見型(平成30年タイプ)の答案の書き方について
平成30年司法試験公法系科目1位合格者が同年の憲法の問題を「原則的には私見を書けばよいのであって,必要があれば対立する視点として判例や反論を持ち出せばよいのだから,考える視点は2つでよいことになる」[4]と的確に分析するとおり,令和元年司法試験論文憲法も,基本的には同様のスタンスで答案を書けば良かろう。
ただし,令和元年司法試験論文憲法の問題文で明記された(前年は明記されていなかった)判例への批判[5]については,前回の(=2019年5月15日の)ブログを参照されたい。
なお,令和元年司法試験論文憲法の「設問」における「反論」(問題文3頁「設問」第2段落の「反論」)の意味と,平成30年司法試験論文憲法の「設問」における「反論」とはズレがあると考えられるが,この点は,令和元年司法試験論文憲法を解くに当たっては,特に問題視する必要のないところと思われるので,少なくとも今回のブログでは詳しく述べることはしないこととする。
2 令和元年司法試験論文の答案の「一例」
平成29年出題趣旨のコメントを借り,「様々な立論があり得るだろうが,飽くまで一例ということで」答案例を示すこととしたい。
答案構成(の骨子)は,前回のブログのとおりである。
この答案構成のうち,今回のブログでは,個人的に特に関心のある【立法措置①】の実体審査の部分(第1の2)の答案例を示す。
なお,【立法措置①】の文面審査すなわち漠然性のゆえに無効及び過度の広汎性のゆえに無効の部分(第1の1(1)及び(2))や【立法措置②】については,次回以降のブログで検討する予定である。
第1 立法措置①の合憲性
1 法案の明確性
(略)
2 一般市民〔ら…★190523加筆(以下,特にコメントがない限り〔 〕内の記載は190523加筆のもの)〕の表現の自由
(1)法案6条は,公共の利害に関する事実について,虚偽であることを知りながら,虚偽表現(法案2条)を流布する行為を禁止し,その違反があった場合には刑事罰による強制措置をとるとしている(法案25条)。そこで,法案6条は,SNS〔等の表現媒体〕で表現行為を行う一般市民〔等〕の表現の自由(21条1項)を侵害し,法令違憲とならないか。[6]
(2)そもそも,SNSで〔…★190523削除〕「虚偽表現」を行う自由は,21条1項により保障されるか。[7]この点につき,「虚偽表現」は,表現の自由が保障される根拠の1つである「思想の自由市場」[8]を歪めるものであり[9],立憲民主制の維持・運営(国民の自己統治)を危うくするものであるから,同項により保障されないとも思える。
しかし,市民も政府も誰もが完全な知識と判断能力を有しているわけではなく,情報の真偽を予め確実に判断することは不可能である[10]し,誤った言明は自由な討論では不可避的なものである[11]から,「虚偽表現」を禁止すると表現行為によって自己の人格を発展[12]させる多くの機会が奪われかねない。また,例えば政府の政策と矛盾する事実を指摘することで,民主政に資する[13]一定の政治的な意見を述べるなど,事実の言明と意見の言明とは区別がつかないこともありうる[14]。ゆえに,虚偽表現の自由も自己実現及び自己統治の価値を有しており,さらに,SNSを含むインターネットでは,双方向的な情報流通が可能であり[15],特に「公共の利害」(法案6条)につき公的人物や政府は比較的容易に反論を公表しうる[16]から,〔特に〕SNSというサイバースペースでは虚偽表現の弊害が比較的短い時間で一定程度是正されうるといえる。
したがって,虚偽表現を行う自由は,「(その他一切の)表現の自由」として,21条1項により保障される[17]。
(3)上記2(1)のとおり,同自由が法案6条・25条により制約されていることは明らかである。
前記のとおり,同自由にも自己実現・自己統治の価値があり,「公共の利害に関する事実」(法案6条)という政治的意見と密接に関わりうる表現が規制されることにも照らすと,一定程度重要な人権といえる。また,法案6条は,表現内容に着目した[19]強度の規制であり,SNS〔等の表現媒体〕を利用して表現を受領し閲読する者の知る自由(21条1項)〔や、SNS事業者や出版者等の情報流通の自由(同項)〕をも制限することになりうる規制でもある。さらに,同自由に制限を課す必要性についてみても,例えば,せん動行為の規制の事案類型[20]とは異なり,虚偽表現の流布による社会的混乱に際しての市民生活への平穏等への害悪・危険[21]の程度が比較的高くはない。
そこで,法案6条の違憲審査は,少なくとも目的の重要性及び目的と手段との実質的関連性を審査する中間審査基準によるべきである[22]。
(5)審査基準の具体的な適用[23]
ア 目的審査
前記のとおり,事実の真偽を予め確実に判断することはできず,例えば,政治的問題に関する歴史的事実とされる事実が,時期・時代によってその真偽が変わる場合もあるから,一時点の真偽を前提とする「社会的混乱」(法案1条)の意味は慎重に判断されるべきである。そこで,法案6条が生活上の安心という市民の主観的な感覚・感情[24]や,社会的混乱に際しての抽象的な害悪・危険の発生を防止しようとするものであれば,重要な立法目的であるとまでは言えないが,客観的・具体的で重要な害悪・危険の発生を防止しようとするものであれば重要といいうる。
イ 手段審査
立法目的が重要だとしても,規制手段については,〔SNS以外の表現媒体での虚偽表現に際しての害悪については立法事実があるとはいえず,かかる表現規制にはそもそも関連性があるとはいえない。
また,SNSでの虚偽表現についてみても,〕例えば,法案9条1項2号のように,虚偽表現の流布による社会的混乱に際しての害悪・危険が「明白」に予見されるような場合に限定すべきとも思える。しかし,SNS〔等を含むインターネット〕上の情報は当該SNS〔等の〕利用者が瞬時に閲覧でき,SNS利用者らによって情報が広く拡散されることがあり,時として短時分ないし短期間で害悪が深刻なものとなり得るため[25],「明白」性を要件にすると実効性に欠ける規定となると考えられ,上記限定は適当ではない。[26]
さらに,法案6条を合憲とする立場からは,「虚偽であることを知りながら」という要件は,いわゆる現実の悪意の法理に照らしたものであり,これは「夕刊和歌山時事」事件判決の相当性(誤信相当性)の法理よりも表現の自由を手厚く保護するものであるから[27],表現者が処罰される場合は限られており,手段の相当性はあるとの主張が予想される。
確かに,現実の悪意の法理を参考に表現の自由を手厚く保護しようとすること自体は適切である。しかし,同判決は,表現の自由の保障と人格権としての個人の名誉権の保障(憲法13条)との調和を図ったものである[28]のに対し,法案6条は虚偽表現そのものを規制しているため[29] ,表現行為への萎縮効果は同判決の場合よりも相当程度高くなるから[30],〔or しかし,現実の悪意の法理は,名誉棄損の記述が虚偽であることを知っていたなどの場合に表現者が責任を負うものであるが,虚偽表現は直ちには名誉権等を害するおそれのある記述ではないから,…★190527加筆〕 ネット上の表現の利便性の点も考慮すると,表現の自由をより手厚く保護すべきである[31]。ゆえに,少なくとも「虚偽表現」の要件を「害悪を引き起こすような虚偽表現」[32]と限定して規定すべきと考える。
よって,合憲の立場に対しては,以上のようなより制限的でない他の規制手段があり,かつ,甲県や複数の県で発生した各事例(問題文第2段落第1文)に照らせば[33],上記の通り要件を限定しても規制の実効性があると考えられるとの反論が可能である。
(6)以上より,法案6条は,目的と手段との実質的関連性があるものとはいえず[34],違憲である[35] [36]。
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今年の司法試験論文憲法も,過去問を検討することで,それなりの対応ができたのではないかと思われる(とはいえ,実際に2時間で書くのは大変だろうが)。
司法試験の過去問検討も,「一歩」・「一歩」の積み重ねが重要である。
「夢見てた未来は それほど離れちゃいない
また一歩 次の一歩 足音を踏み鳴らせ!」[37]
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[1] Mr.Children(作詞 桜井和寿)「足音 ~Be Strong」(2014年)。
[2] 木村草太『司法試験論文過去問 LIVE解説講義本 木村草太 憲法』(辰已法律研究所,2014年)(以下「木村・LIVE本」という。)327~329頁(特に329頁の「論証技術⑨」の部分)は,「必要性の基準(LRAの基準)」(平成29年出題趣旨の言及する中間審査基準と同じか概ね同じ違憲審査基準というものと思われる。)の手段審査については,「『①そもそも関連性が欠ける(ので必要性もない)』,『②関連性があっても,より制限的でない手段がある』」という2つ(「①関連性と②必要性」)の審査がある旨説く。同329頁等は,規制手段の「相当性」というキーワードではなく,規制手段の「必要性」というキーワードを用いているが,司法試験の採点実感(→注(3))からすると,「必要性」ではなく「相当性」という語を答案で使う方が無難であろう。
[3] 平成20年新司法試験の採点実感等に関する意見(憲法)4頁3(5)オが「審査基準が定められたとしても,それで答えが決まるわけではない。〔1〕必要不可欠の(重要な,あるいは正当な)目的といえるのか,〔2〕厳密に定められた手段といえるか,〔2-1〕目的と手段の実質的(あるいは合理的)関連性の有無,〔2-2〕規制手段の相当性,規制手段の実効性等はどうなのかについて,事案の内容に即して個別的・具体的に検討することが必要である。」(〔1〕・〔2〕などは引用者)としているところ,〔1〕部分が目的審査を意味し,また,〔2-1〕部分が手段審査における関連性の審査を,〔2-2〕部分が手段審査における相当性の審査を意味するものと考えられる。
[4] 平成30年司法試験合格者T.K.氏「公法系1位が教える!憲法の新傾向と対策」受験新法819(2019年5月)号53~65頁(65頁)。
[5] おそらく考査委員としては,平成30年司法試験でも判例への批判については加点するつもりだったと思われるが,判例との事案の違いを指摘して判例の射程をずらすような答案はそれなりの数あっても,判例への批判をする答案は少なかったため,令和元年司法試験の問題文で,判例への批判を書いてもよい旨明記したものと予想される。
[6] (1)の部分は,冒頭部分(書き出し)である。この冒頭部分の答案の枠組みについては,2017年10月9日のブログ「平成29年司法試験出題趣旨(憲法)の感想 その3 憲法答案の『冒頭パターン』」や,2017年10月20日のブログ「平成29年司法試験出題趣旨(憲法)の感想 その5 出題趣旨から探究する『答案枠組み』」を参照されたい。
[7] ここ(自由・人権の保障レベル)は,本来は,第1の1(1)の最初のところで書くべき部分であるため,本来は,重複を避けるために,前述のとおり…などと書くことになる。
[8] 新井誠ほか『憲法Ⅱ 人権』(日本評論社,2016年)(以下,「新井ほか・憲法Ⅱ」という。)108~109頁〔曽我部真裕〕参照。同書は,表現の自由の「保障根拠論」(同書108頁)につき,「真理は思想の自由な競争のなかからのみ見出されるのだから、公定の「真理」に基づいて表現を規制してはならないとする思想の自由市場論も伝統的に主張されている」(同書109頁)としている。
[9] 工藤郁子「人口知能と報道倫理:『フェイクニュース』を中心として」(人口知能学会全国大会論文集第32回全国大会(2018)・セッションID: 3H2-OS-25b-03)1頁(2頁)。
[10] 成原慧「フェイクニュースの憲法問題―表現の自由と民主主義を問い直す」法学セミナー772号(2019年)18頁(21頁)。
[11] 水谷瑛嗣郎「思想の自由市場の中の『フェイクニュース』」メディア・コミュニケーション〔慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所紀要〕69号(2019年)55頁(59頁)参照。なお,前回ブログでも言及した鈴木秀美「ドイツのSNS対策法と表現の自由」メディア・コミュニケーション68号(2018年)1~12頁も,慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所の紀要であり,令和元年司法試験論文憲法の問題との関係では,同紀要の関係論文を読んでいた受験生が(いるとすれば)それなりに有利だったのではないかと思われる。
[12] 芦部信喜,高橋和之補訂『憲法 第七版』(岩波書店,2019年)(以下「芦部・憲法」という。)180頁。
[14] 水谷・前掲注(11)59頁参照。ちなみに,「事実」の表現のことであるため,博多駅事件を引用すべきと思う方もいるかもしれないが,同判例は,同判例をより活用しやすい【立法措置②】のところで言及・活用すれば(その方が)良いだろう。
[16] 曽我部真裕「判批」(最大判昭和44年6月25日(「夕刊和歌山時事」事件)解説)淺野博宣ほか著,憲法判例研究会編『判例プラクティス憲法〔増補版〕』(信山社,2014年)(以下「判プラ」と略す。)150~151頁(151頁)参照。同151頁・解説4第4段落は,「公人ないし公的人物」が「メディアへのアクセスを有しており,批判に対して容易に反論できるのが通常である」としており,このことは,政府が一定の事実の真偽につき,政府としての見解(虚偽事実への反論)を述べる場合にも妥当すると考えられる。
[17] 松井茂記『マス・メディア法入門〔第5版〕』(日本評論社,2013年)89頁も,「虚偽の表現は憲法の保護を受けないと考えるべきではない」と説く。なお,他方で,アメリカの勲章詐称法違反被告事件で,2012年のUnited States v. Alvarez連邦最高裁判決におけるアリート裁判官反対意見は,虚偽表現は「修正1条の範囲外にある」と述べており(大林啓吾「表現の自由―修正1条絶対主義?」大林=溜箭将之『ロバーツコートの立憲主義』(成文堂,2017年)191~245頁(205頁)),虚偽表現が憲法の保護を受けない旨の見解を採る。なお,この勲章詐称法(Stolen Valor Act)につき,松井茂記『アメリカ憲法入門[第8版]』(有斐閣,2018年)260頁は,「武勇窃盗法」として紹介しており,訳し方が異なる。
[18] ここは「判断枠組み」というタイトルでも良い。
[19] 木村・LIVE本414頁参照。
[20] ①中林暁生「判批」(最大判昭和24年5月18日解説)判プラ109頁,②同「判批」(最二小判平成2年9月28日(渋谷暴動事件)解説)判プラ110頁参照。この①の最大判昭和24年5月18日については,2019年5月20日に都内某所で開催された行政事件訴訟に関する某研究会後の懇親会の席で,弁護士の伊藤建先生よりご教授いただいたものである。本答案例のこの部分で使ってよいかは定かではないため不適当な(伊藤先生の意図とは異なる)使い方である可能性もあるとは思うので,伊藤先生による本問の解説が待たれるところである。
[21] ここの記述は,平成28年採点実感1頁2「一定の制限を課す必要がある理由(反対利益への配慮)」の点や,法案1条の「社会的混乱」の文言,問題文2頁第2段落第1文の例,同2頁下から5行目の「社会的混乱」という記載等を意識したものである。
[22] United States v. Alvarez連邦最高裁判決におけるブライヤー裁判官の相対多数意見に関する結果同意意見も「中間審査」基準を採るべきであり,「法律の目的と手段とが関連しているかどうかをチェックすべきである」としている(大林・前掲注(17)205頁)。
[23] 過去の採点実感の関係コメント(平成23年司法試験の採点実感等に関する意見(公法系科目第1問)7は,「あしき答案の象徴となってしまっている『当てはめ』という言葉を使うこと自体をやめて,平素から,事案の特性に配慮して権利自由の制約の程度や根拠を綿密に検討することを心掛けて欲しい。」とする。)に照らし,「当てはめ」という語を避けている。
[24] 木村・LIVE本415頁参照。
[25] 最大判平成22年3月15日(平和神軍観察会事件)参照。なお,同判例の解説として,曽我部真裕「判批」判プラ157頁。
[26] この「明白」性要件の点については,答案に書く必要性は低いかもしれない(書かなくてもOKだろう)。
[27] 曽我部真裕「判批」(最大判昭和44年6月25日(「夕刊和歌山時事」事件)解説)判プラ150~151頁(151頁・解説4第1段落)参照。
[28] このことを初めて示した最高裁判例は最大判昭和61年6月11日(「北方ジャーナル」事件)であるが,同事件は事前規制の事案であり,立法措置①は,事後規制であるから,判例名まで引用することはしていない。なお,この事前規制・事後規制の違いは,少なくとも本問との関係では,本質的な事案類型の違いであると考えられるため,基本的には,立法措置①との関係で「北方ジャーナル」事件を活用することは難しいのではなかろうか。
[29] この点に関しては,2019年5月20日に都内某所で開催された行政事件訴訟に関する某研究会後の懇親会の席で,弁護士の松尾剛行先生より貴重なコメントを頂戴した(アメリカの勲章詐称法(大林・前掲注(17)204頁)の問題点等についても解説していただいた。同法に関しては,伊藤建先生からも同趣旨のご意見を頂戴したと記憶している。)。もっとも,コメントを正確に理解できているか自信がない上,本答案例のこの部分で使ってよいかは定かではないため不適当な(松尾先生の意図とは異なる)使い方である可能性もあるとは思うので,松尾先生による本問に対するコメントが待たれるところである。
[30] 現実の悪意の法理との関係での「萎縮」効果に関して,曽我部真裕=林秀弥=栗田昌裕『情報法概説〔第2版〕』(有斐閣,2019(令和元)年)310頁〔栗田〕参照。なお,同書の発行日は,2019(令和元)年5月30日であるが,某有名書店の店員の方の話によると,同年5月17日か18日頃から,書店に並んでいたようである(ちなみに,令和元年司法試験論文憲法の本試験実施日は同月15日である)。
[31] 本答案例は,このように「夕刊和歌山時事」事件を活用するものであるが,判例の<相当性(誤信相当性)の法理>それ自体を活用するというよりも,むしろ,同法理よりもさらに表現の自由を厚く保護する法理である<現実の悪意の法理>の方を活用して答案を書いている(少なくともそのつもりで書いている)。令和元年司法試験論文憲法の設問では「判例の立場に問題があると考える場合」には,そのことについても「論じるように」とされており(ちなみに,この点については立法措置①ではあえて論じていないが,次回以降のブログで,立法措置②で活用する判例である個別訪問事件との関係で「論じる」予定である。),学説を(判例も学説も)今まで以上に重視する傾向になった(若干の出題傾向の変化があった)といえよう。判例も学説も深く勉強することは受験生にとっては負担が重すぎるだろうが,特に重要な判例(判プラの1頁の判例ではなく,2頁使って解説されている判例が特に重要な判例であることの重要な指標となるだろう。)の解説等に登場する学説等については,できるだけフォローしていくという対策をとるのが良いのではないかと思われる。
[32] United States v. Alvarez連邦最高裁判決におけるブライヤー裁判官の相対多数意見に関する結果同意意見も「害悪を引き起こすような虚偽表現を規制対象にするなど,より制限的でない方法がありうる」などとする(大林・前掲注(17)204頁)。なお,鈴木・前掲注(11)1頁以下等も参照。
[33] ちなみに,フェイクニュースが引き起こした現象としてよく取り上げられる出来事の一つである,いわゆるピザゲート事件につき,受験生は,水谷・前掲注(11)56頁を参照されたい。
[34] 「虚偽表現」を「害悪を引き起こすような虚偽表現」に合憲限定解釈することができるかという論点をこのタイミングで書くかどうかは悩ましい問題であると思われるが,新井ほか・憲法Ⅱ119頁〔曽我部真裕〕は,「明確性の原則」との関係で「限定解釈」につき解説していることなどから,合憲限定解釈の可否の論点は,本答案例でいうと,第1の1(漠然性のゆえに無効の項目のところ)で書くべきと思われる。ちなみに,前回ブログでは,第1の2(手段審査の後など)に書くべき旨の答案構成を示していたが,これだとやや不適当と思われるため,2019年5月22日,その答案構成を取り消し線で削除し,修正(修正箇所は太字・斜体の文字で表記)している。
[35] なお,松井・前掲注(17)『マス・メディア法入門〔第5版〕』89頁は,かつて「総司令部」が「プレス・コードのもとで課していたような制約は、今日では憲法二一条と相容れないというべきだろう。」とする。時代が逆行しないことを祈るばかりである。
[36] 立法措置①を違憲とする結論に関し,2019年5月20日に都内某所で開催された行政事件訴訟に関する某研究会後の懇親会の席で,弁護士の大島義則先生より貴重なコメントを頂戴した。大島先生のコメント内容については,本ブログで公表しないが,大島先生ご自身による本問に対するコメントが待たれるところである。
[37] Mr.Children・前掲注(1)「足音 ~Be Strong」。
令和元年(平成31年・2019年)司法試験論文憲法(論文式試験公法系科目第1問)解説速報(1)
令和元年(平成31年・2019年)司法試験論文憲法(論文式試験公法系科目第1問)の解説速報であるが,本年,本試験を受けている(まさに真っ最中の)受験生は基本的には読むべきではなかろう。
以下,一定の空白スペースがあるが,その後に若干の解説文があるため十分に注意されたい。
令和元年(平成31年・2019年)司法試験論文憲法(論文式試験公法系科目第1問)は、フェイクニュース規制法という架空法律の案(法案)の合憲性が問われた。憲法31条も一応問題にはなるようだが,基本的には“21条祭り”であったといえよう。
1 元ネタはドイツのSNS対策法か
2017(平成29年)6月30日,ドイツ連邦議会において,「SNSにおける法執行を改善するための法律」,通称「フェイスブック法」が成立したことから,この議論が日本にも妥当しないかを問うものと思われる。また,暗に,憲法改正に関する国民投票法に虚偽報道規制がないこと(公職選挙法にはある)[1]などを念頭においた出題ということなのかもしれない。なお,20XX年の「甲県の化学工場の爆発事故」(問題文2頁第2段落)は福島県の福島第一原発のいわゆる水素爆発事故を想起させるものといえよう。
関連する主要な論文としては,例えば,鈴木秀美「ドイツのSNS対策法と表現の自由」メディア・コミュニケーション68号(2018年(平成30年))1~12頁(慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所紀要)がある[2]。なお,同じ慶應義塾大学の小山剛教授(平成31年(令和元年)司法試験考査委員)がこの論文を読んだ可能性があり,試験問題を作成する時期(おそらく2018年秋頃か)に照らすと,ドイツ憲法に精通する小山先生が問題の下地ないし叩き台を作った可能性が高そうである。
2 「設問」(問題文3頁)の分析
(1)中立意見型の設問(平成30年を踏襲)
「A省から依頼を受けて,法律家として」必要に応じて「参考とすべき判例」や「反論」を踏まえつつ「あなた自身の意見」(私見)を述べよという設問であることから(第1~第3段落),中立意見型(リーガル・オピニオン型,法律意見型,法律オピニオン型等とも呼ばれる)の問題であり,平成30年司法試験論文憲法の出題形式が基本的には踏襲されたと評価できる。なお,20XX年においても日本に総務省が残っている限り,「A省」というのは「総務省」になるのかもしれない。
★20190516加筆 「中立意見型」の呼称については、次の過去のブログをご覧ください。
(2)法令違憲のみ(平成30年を踏襲)
「立法措置」(第1段落)の合憲性を論ぜよということであるから,法令違憲のみ書けば足り,適用違憲・処分違憲は書く必要がない(前年と同じ)。
(3)若干の新傾向
「判例の立場に問題があると考える場合」にはそのことについても「論じるように」とされており(第2段落),要するに殆ど“誘導”であるため,これに素直に従い,1つくらいは参考とすべき判例の問題点を指摘し,それに対する批判を書く必要はあっただろう。ただし,2つも3つも書いている時間的な余裕はないと思われる。
以上のような誘導文は,少なくとも平成30年では明記されていなかったものであり,これまでは,どちらかというと最高裁判例を真っ向から批判するというよりは,判例との差異があることを指摘し,その上で,判例をうまく活用していくという答案を書くことが基本的には求められていたようにも思われるが,今後はより深い判例学習をしてほしいという考査委員からのメッセージが読み取れるだろう。
(4)「論じなくてよい」論点
独立行政委員会制度の合憲性については「論じなくてよい」(第4段落)ということであるから,この論点については,司法試験的には論じてはならないということになる。
3 答案構成の骨子・大枠(参考判例や反論を含む)
答案構成の骨子・大枠については,まず,立法措置①と立法措置②とで大別すべきであり,立法措置①については,文面審査(下記第1の1)と実体審査(下記第1の2)を分ける必要があると思われる。
また,立法措置②については,「設問」の上の3行の記載(つまり,(A)「SNS利用者を含む一般市民」や(B)「SNS事業者」から意見聴取が行われ,憲法上の疑義を指摘する意見もあったとの記載)を重視して,(A)と(B)を分けて書くのがよいだろう。ちなみに,(A)については,SNS利用者の自由・人権のほかSNSを非利用して情報を受領する者の自由・人権の制約も問題となると考えられる。(ただし,文面審査すなわち明確性の論点(漠然性のゆえに無効(不明確性),過度の広汎性のゆえに無効(過度広汎性))については,(A)・(B)共通して問題になることから,先に書いてしまうのがよかろう。)
なお,以下の各参考判例は,最三小決平成29年1月31日を除き,すべて憲法判例百選(第6版)Ⅰ・Ⅱに収載されたものである(ただし,この平成29年判例もメディア判例百選(第2版)には収載されている)。
第1 立法措置①の合憲性
1 法案2条1号の明確性(21条1項,31条)
(1)漠然性のゆえに無効
・徳島市公安条例事件
(2)過度の広汎性のゆえに無効
※法案6条の「流布」等の明確性については受験政策上,問題にしない方が良いと思われる。
2 一般市民(SNS利用者)ら・SNS事業者の表現の自由(21条1項)
・法案6条の「虚偽であることを知りながら」につき,真実であると誤信したことにつき,確実な資料や根拠があり,相当の理由があるときなども処罰されるように読めるため,21条1項に違反しないかが問題となる。
★20190522加筆修正 同条の読み方に誤解があったことが分かったため,上記取り消し線部分を削除することとする。なお、問題文3頁の「設問」の上の3行の記述からすると、第1の2では、「SNS利用者」の「虚偽表現」の自由の侵害がメインの人権問題となるだろうが、SNS事業者の虚偽表現に係る情報を流通させることの制約や、SNSではない媒体で表現を行う者の自由も問題とすることもできる(あるいはそれらについても書きべき)と思われる。法案2条1号自体は、SNS利用者の表現行為だけを問題にするものではないので、やや上記の3行の記述や問題文2頁の立法事実に係る記載に引っ張られすぎという批判はあろう。
・夕刊和歌山事件
(・月刊ペン事件)
★20190520加筆 平和神軍観察会事件(最判平成22年3月15日・判例プラクティス憲法〔増補版〕157頁・115事件〔曽我部真裕〕)を想起できなくても十分な解答はできたように思われるが、同判例を知っていると多少有利だったかもしれない(本試験分析をする際に,受験生は同頁の「解説」も読むと良いだろう)。同判例の解説者は司法試験考査委員の曽我部先生である。同判例は,憲法判例百選Ⅰ・Ⅱ[第6版]には収載されていないため,百選ではなく,判プラを使って勉強していた受験生の方が基本的には有利だったといえるだろう(なお,それが良いことか悪いことかについては,ここで特にコメントしない)。
・反論★20190522加筆修正 合憲の立場からの主張:合憲限定解釈可能
・反論に対する私見からの批判(再反論):合憲限定解釈不可能、違憲
★20190522加筆修正 この合憲限定解釈の可否の論点は,第1の1(1)で書いた方が良いと思われる。
3 一般市民らの知る自由(21条1項)
※サブ論点(おそらくここはメインではない。上記2で触れれば不要でも良いかも。)
★20190522削除 第1の3(一般市民のSNSでの表現(虚偽表現)を閲読する・知る自由)は、第1の2の違憲審査基準の定立の理由付けのところなどで書けば足りるのではないかと考える。
第2 立法措置②の合憲性
1 法案の明確性(21条1項,31条)
・法案2条1号の明確性については,第1の1と同じ
(・法案9条1項「速やかに」は漠然性のゆえに無効か(「24時間」などとすべき)
・徳島市公安条例事件 …下記2の実体審査のところで実質的に触れれば足りるかもしれない)
2 一般市民の自由
(1)SNS利用者の選挙運動の自由(21条1項)
・個別訪問事件
・判例に問題がある…そもそも判例(個別訪問事件)と事案類型が異なるのでより厳格な基準(中間審査基準)によるべきであるが,事案類型が異ならないとしても,判例が選挙に関する事項につき全般的に広い裁量を認めているとすれば問題がある
(2)SNS利用者の知る自由(21条1項)
※サブ論点(前記と同様だが,おそらくここはメインではない)
★20190526削除 第2の2(2)は、第2の3のところで書けば足りるだろう。
★20190516加筆 なお,SNS事業者への賠償責任への制限(免除)規定(法案13条)が賠償請求をなし得る(はずの)者の財産権(憲法29条1項)を侵害しないかも一応論点として書くこともできるかもしれない。しかし,この点は配点は低いか殆どないのではないかと思われる。ちなみに,消費者契約法解除に伴う損害賠償額等を制限する消費者契約法の規定につき,これが憲法29条に違反しない(合憲)とした判例がある(最二小判平成18年11月2日(憲法判例百選第6版に収載されている判例ではない))。
23 SNS事業者の自由等
(1)法案9条1項等の合憲性(憲法21条1項に違反するか)
・博多駅事件…ネット上で情報を流通させる自由(←事実の報道の自由)も21条1項で保障される
・最三小決平成29年1月31日…本決定とは事案が異なる。法案9条1項各号の要件を満たした場合でも(苦情件数要件もなく,また)例外なく(削除期間の延長等)削除しなければならないとする点(同項柱書)は違憲,罰則による強制まで行う点(法案26条)も違憲
(2)法案9条2項・20条の合憲性(憲法31条に違反するか)
・成田新法事件
・合憲
4 続きは次回
ということで,もしかしたら昨年と同じくらいか、昨年以上に多論点型の問題であったと思われる。
判例と問題文の事案類型の違いや,私見のあてはめなどにつき,殆ど解説できなかったが,ひとまず今日はこのあたりで。
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[1] 国民投票法(あるいは関連立法)における規制を国が検討している可能性もある(仮にそうであるとすると問題がある)ように思われる。
[2] 本論文を引用した論文として,成原慧「フェイクニュースの憲法問題―表現の自由と民主主義を問い直す」法学セミナー772号(2019年)18~22頁(20頁),工藤郁子「AIと選挙制度」山本龍彦編著『AIと憲法』(日本経済新聞出版社,2018年)325~348頁(340頁)。
昨年,工藤郁子先生から『AIと憲法』をご恵贈いただいた。改めて厚く御礼を申し上げる次第である。AIの問題が正面から司法試験論文憲法で問われる日もそう遠くないだろう。
【10連休突入】司法試験直前期! この再現答案を読んでおけ【憲法1通&行政法1通】
「『まわりの他人(ひと)は皆やってんの』 言い聞かせましょう
本当はすごいの持ってんぞ こういうの」*1
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10連休に入り、まさに司法試験(予備試験)の直前期ですが、受験生の皆様はいかがお過ごしでしょうか。
直前期は忙しい!でも論文答案のレベルアップは図っておきたい、という方へ、オススメの再現答案をご紹介いたします。
憲法1通、行政法1通だけです。未読の方だけでなく既読の方も、下記の各視点から、もう一度くらい読んでおきましょう。新たな発見があるかもしれません。
1 憲法
平成30年司法試験合格者T.K.氏「公法系1位が教える!憲法の新傾向と対策」受験新報2019年5月号(819号)53~65頁の再現答案(60~64頁)
★特に参考になる(参考にしてほしい)ポイント
①答案の型(従来の3者の主張反論型ではない、2者の中立意見型)
③反論の割合(①とやや重なる点だが、形式的に「反論」と書いてある箇所のほか、「確かに」「しかし」スタイルで実質的に反論を書いている箇所にも注目されたい)
2 行政法
西口竜司弁護士ほか監修『平成30年度版(2019年対策) 司法試験 論文過去問パーフェクト ぶんせき本』(辰已法律研究所、2019年)112~116頁の公法系9位の再現答案
★特に参考になる(参考にしてほしい)ポイント
①設問1(2)の主張反論型の答案の型(114頁第2の2(1)・(2)の書き方)
②違法事由の規範部分の薄さ(だが要点は概ね掴んでいる)
③設問2の裁量権逸脱濫用の論点(当てはめ)における考慮事項(要考慮事項)を根拠法規・処分要件規定以外の規定(116頁では、条例の目的規定)から導き、当てはめを行っている点
ちなみに、行政法再現答案の③の点は、裁量否定の違法事由の場合であっても、根拠法規・処分要件規定以外の規定から、その趣旨(明示されておらず会話文等にヒントがある)や法令の目的(1条が明記されていない場合があり、その場合やはり会話文等にヒントがある)から、規範を導く論述をするときの参考になります。
特に近年は、この③の点で、大差がついているのではないかと思いますので、どうせ違法事由では差が付かないなどと考えないようにすることが大事でしょう。
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「理想はもうちょっと上……もう後に引けん」*2
弁護士松尾剛行先生著『AI・HRテック対応 人事労務情報管理の法律実務』(弘文堂,2019年)と司法試験論文憲法
「新しいひとつひとつへと」[1]
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1 AIを使う危険・リスク
先日は,弁護士松尾剛行先生(桃尾・松尾・難波法律事務所パートナー)より,
『AI・HRテック対応 人事労務情報管理の法律実務』(弘文堂,2019年1月15日)
をご恵贈いただいた。
もはやいただくばかりで感謝を通り越して申し訳ない気持ちであるが,以下,(書評ではないものの)短い感想を述べさせていただきたい。
同書38頁は,人事労務分野におけるAI(人口知能)の利用についての一般的な留意点の1つとして,「予想外の結果や誤った結果が生じうること」を挙げ,その原因の例として,「ルールベース〔システムのAI〕ではルールの記述やミスやバグ等、学習系では学習ミスやデータのバイアス〔同頁注9によると,「偏見」の意味で用いている〕が指摘される」とし,さらに,「とりわけ,AIが大量・高速処理のために利用される場合には,誤りの結果が重大・大規模なものになりかねない」(下線引用者)とする。
同頁では,さらにその重大・大規模な誤りを招くこととなりうる実務上有用な具体例が紹介されているが,もとよりそれは,同書を読んでいただければ分かることであり,また,同書は,人事労務分野の法務を担当する(これからすることとなる)法曹実務家等の方々にはもちろんのこと,より広く,司法修習生や法学部生・法科大学院生等の皆様にもオススメしたい1冊である。
2 自由vs危険・リスクと司法試験論文憲法
さて,以上の法的論点,すなわち「人口知能技術を使うリスク」は,内閣府「人口知能と人間社会に関する懇親会」報告書(2017年3月)でも掲げられていたものでもあるが[2],このような「リスク」あるいは「危険」に関する問題は,司法試験論文憲法においても,重要な論点とされてきた。
この点を「出題趣旨」において最も明確に述べたのは,①平成28年司法試験論文憲法である。以下,その一部(1~2頁)を引用する。
「この違憲審査基準を適用する際には,まず,本件規制にあっては,法による『既遂の行為に対する制裁』の威嚇を通じた伝統的な基本権制限が問題となっているのではなく,将来における害悪発生を予防するために現時点において個人の行為に制限を課す,いわゆる『規制の前段階化』と呼ばれる傾向の権力行使の憲法上の正当性が問われていることが問題となる。『被害が発生してからでは遅すぎる』という発想で,被害発生を不可能にすることを狙った公権力行使が行われるわけだが,それは,基本権保障との関係でどのように評価されるべきか。害悪の発生につながり得る行為を包括的に制限し得ると考える『予防原則』を,犯罪予防との関係でも採用し得るのか。伝統的な基本権保障の枠組みでは,もともと,権利行使の結果として害悪が発生する(ことが立証可能な)場合に限って権利制限が正当化されると考え,その限りにおいて権利保障が原則,権利制限が例外であると位置付けられるが,予防原則を全面的に採用した場合には,この原則・例外関係が逆転し,害悪発生の可能性だけで権利制限が広範に正当化されることになる。」(下線引用者)
ちなみに,問題をやや広く捉えることになるかもしれないが,「危険」の「程度」等の論点(どの程度の危険ないしリスクをもって人権・自由の制約が許されるものとなるのか)は,それ以前の司法試験(新司法試験)論文憲法でも,たびたび重要な論述対象事項となっている。いくつか例を挙げてみよう。
②平成19年新司法試験論文憲法
→「B教団」が「テロ」を起こす危険の程度が問題
③平成21年新司法試験論文憲法
→大学における「遺伝子治療臨床研究」に係る「被験者」の生命・身体への危険の程度が問題
④平成23年司法試験論文憲法
→「Z機能画像の提供」によるプライバシーなどの被害を受ける者の危険の程度が問題
⑤平成25年司法試験論文憲法
→「ツイッター等を通じて参加を呼び掛けた」「デモ行進」が「市民の平穏な生活環境」や「商業活動」への支障を来す危険の程度が問題
そして最近では,⑥平成30年司法試験験論文憲法で,「規制図書類」による「青少年の健全な育成」「善良かつ健全な市民生活」への悪影響の危険の程度が問題とされている。
これは,⑦平成20年新司法試験論文憲法,すなわち,「有害ウェブサイト」(あるいは「有害ウェブページ」)の「子ども」(「18歳に満たない者」)の成長発達への悪影響の危険の程度が問題とされた事例と類似した問題と位置付けられるだろう。過去問の検討が活かされる問題であったとみるべきである。
ところで,環境法において登場する予防原則(あるいは予防的アプローチ)とは,「重大または回復不能な損害が発生するおそれがある場合に,完全な科学的根拠がなくとも,環境の悪化を予防すべきであるという考え方」(下線引用者)であり,「損害発生の確実な可能性なしに予防的対応を求める」原則である[3]。
そして,「産業化および科学・技術の発展がもたらす予期せぬ副作用を含む帰結」に鑑み,この原則を憲法学の他の領域にも及ぼそうとする見解もあるようである[4]が,司法試験論文憲法との関係では,「科学的認識が限られて」おり,「損害発生の蓋然性についての予測を可能とするような経験知(生活上の知見または科学技術上の知識)」があるとはいえない場合[5]等に限って,予防原則のような考え方を採るべきであろう。
そうすると,損害発生の蓋然性についての予測を可能とするような経験知(生活上の知見または科学技術上の知識)があるとはいえない場合は,先端科学技術に関する研究の自由[6]が問題となった③平成21年新司法試験論文憲法くらいしかないことになる[7]。
ゆえに,③を除く①~⑦の6つの問題では,何らかの悪影響を及ぼす「可能性」[8]だけをもって,憲法上の人権や自由の「前倒し」[9]の制約が許されるとするわけにはいかないことになりそうである。
この点につき,平成18年新司法試験から平成27年司法試験まで考査委員を担当した憲法研究者が,「自由と安全の間には,二律背反的側面が強く存在する。安全という目的を完全に実現するためには,事後的措置では不十分で,予防的措置が求められる。しかし,そのような予防的措置は,自由を制限する。したがって,自由と安全の実践的調和の実現が必要である。したがって,安全を脅かす危険の程度が,個別的・具体的に論証されなければならない。」(下線引用者)と説いていることに照らしてみても[10],やはり,(A)「可能性」[11]という危険の程度では足りず,(B)より高い危険の程度を求める「蓋然性」[12]や,あるいは,さらに高度の程度を求める(C)「相当の蓋然性」[13],(D)「厳密な科学的証明」[14]などが必要とされるべきといった立場を採るのがスワリが良いのではないかと思われる[15]。
((A)の見解によらないことを前提として,)(B)~(D)(あるいはそれ以外の基準)のいずれかを採るべきかについては,人権(自由)制約の強度や,危険の重大性(特に損害が回復不能・不可逆的なものといえるか)や危険発生の蓋然性の高低[16],危険発生の予測の困難の程度(危険発生の予測に係る科学的認識や経験知の多さ)などを総合的に考慮して決するほかないように思われる。
4 答案のどの部分でこの【危険の程度】の話を書くのか
では,具体的には,司法試験(予備試験)論文憲法のどの段階で,この【危険の程度】の話を書くべきだろうか。
確かに,規範(判断枠組み,違憲審査基準,違憲審査枠組み)を定立する前の段階で,その規範の理由付けとして用いる(その場合,人権のいわばマイナスの性質といえるであろう人権の「制約の本来的可能性」[17]の高低との関係で書く)ということもできなくはなかろう[18]。
しかし,規範のあてはめで用いる(だけ)という方が書き易いように思われる。
例えば,目的・手段審査の枠組みによる場合,手段審査では,①目的と手段の「関連性」(中間審査基準の場合,実質的関連性)の有無や,②規制手段の相当性,実効性等を個別具体的に検討することが必要とされている[19]ところ,このうちの①(関連性審査)の箇所で書くという方法がありうる[20]。
また,目的審査(目的の必要不可欠性or重要性or正当性)のところで,危険の程度に関する(その趣旨を表す)事項を書く(例えば,主観的にしか判断できないといえる「安心」確保などの目的は,重要な目的とはいえないなど)というのでも良いだろう[21]。
5 AI活用のリスクに係る「規制の前段階化」?
それでは,AIを使うリスクないし危険に関し,環境法の予防原則のような原則を類推的に及ぼすことができるのか。先に述べた,規制の前倒しないし「規制の前段階化」が可能かという問題である。
さすがに平成31年司法試験や予備試験では出題されない論点と思われるが,5年後(あるいは3年後)などは状況が変わっているようにも思われる。
はたして,AIを活用することから生じうるリスク・危険は,「科学的認識が限られて」おり,「損害発生の蓋然性についての予測を可能とするような経験知(生活上の知見または科学技術上の知識)」があるとはいえない場合(前記3)に当たるものなのだろうか。
未知の論点と格闘する訓練の1つとなることから,司法試験受験生は,一度,自分の頭で考えてみていただきたい。
以上,参考になれば幸いである。
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「謝々!!」[22]
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[1] スピッツ(草野正宗作詞・作曲)「謝々!」(1998年)。
[2] 宍戸常寿「ロボット・AIと法をめぐる動き」弥永真生=宍戸常寿編『ロボット・AIと法』(有斐閣,2018年)25頁参照。
[3] 交告尚史ほか『環境法入門〔第3版〕』(有斐閣,2015年)152頁〔臼杵知史〕。
[4] 小山剛「自由・テロ・安全」大沢秀介=小山剛『市民社会の自由と安全―各国のテロ対策法制―』(成文堂,2006年)318頁参照。
[5] 小山・前掲注(4)319頁参照。
[6] 芦部信喜著(高橋和之補訂)『憲法 第6版』(岩波書店,2015年)170頁〔高橋補訂箇所〕。
[7] 小山・前掲注(4)322頁等参照。なお,平成28年司法試験論文憲法の事案は,性犯罪者が再び「性犯罪に及ぶリスクの高さは,専門家によって判定することができる」という事実を前提にしなければならないため(木村草太「公法系科目〔第1問〕解説」別冊法学セミナー244号(2016年8月30日)11頁),平成21年の場合とは異なり,“損害発生の蓋然性についての予測を可能とするような経験知(科学技術上の知識)があるとはいえない場合”に当たるケースとはいえないだだろう。
[9] 小山・前掲注(4)322頁。
[10] 青柳幸一『憲法』(尚学社,2015年)89~90頁。
[11] 青柳・前掲注(10)95頁。
[12] 青柳・前掲注(10)95頁。
[13] 青柳・前掲注(10)95頁,よど号ハイジャック新聞記事抹消事件(最大判昭和58年6月22日民集37巻5号793頁)参照。
[14] 「厳密な科学的証明」を要するとする場合もあるといった見解もあるが(高見勝利「判批」(岐阜県青少年保護育成条例事件解説)高橋和之ほか編『憲法判例百選[第5版]』(有斐閣,2007年)114~115頁(115頁)参照),司法試験論文憲法の私見として使える場面はそれほど多くはないだろう。また,泉佐野市民会館事件(最判平成7年3月7日民集49巻3号687頁)の「明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要」との基準を採りうる場合もある(平成19年新司法試験、平成25年司法試験等)。
[15] ドイツでは,蓋然性が一定の程度に達したものを危険と呼び,蓋然性が低いものをリスクと呼ぶ(さらに低いものを残余リスクと呼ぶ)という見解や,構造的不確実性ゆえに危険の判断がはじめから不可能なものを危険とは異なる構成要件の構造を持つものとしてリスクと呼ぶべきとの見解等があるようである(小山・前掲注(4)318,321頁等参照)。
[16] 小山・前掲注(4)335頁参照。
[17] 青柳・前掲注(10)87頁。
[18] その具体例として,例えば,木村草太『司法試験論文過去問 LIVE解説講義本 木村草太憲法』(辰已法律研究所,2014年)184頁以下の平成20年新司法試験論文憲法の優秀答案(公法系154.41点,公法系順位6位の答案)の188頁16~17行目。
[19] 平成20年新司法試験の採点実感等に関する意見(憲法)4頁,平成23年新司法試験の採点実感等に関する意見(公法系科目第1問)(補足)2頁参照。
[20] 具体的には,例えば,上田健介「公法系科目〔第1問〕解説」別冊法学セミナー254号(2018年9月30日)の平成30年司法試験論文憲法の解答例16頁1(4)(・同(3)~(4))の書き方を参考にされたい。なお,かかる解答例に関し,木村・前掲注(18)160頁,329頁(「論証技術⑨」)参照。
[21] より具体的な答案の書き方については,例えば,木村・前掲注(18)118頁の答案第4段落(目的審査の記述)を参照されたい。なお,同書104~105頁(「論証技術①」),328頁イ等参照。また,他にも,問題文の法令・条例の文言を合憲限定解釈して,泉佐野市民会館事件(最判平成7年3月7日民集49巻3号687頁)の「明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要」等の規範を採りうるような場合もある(平成19年新司法試験,平成25年司法試験等)。
*このブログでの(他のブログも同じ)表現は,私個人の意見や感想等を述べるものであり,私の所属団体や関連団体のそれとは一切関係のないものです。
弁護士職務基本規程改正案14条の2(法令違反行為避止の説得を試みる義務の規定の追加)の問題点(1) 東京地判昭和62年10月15日は改正の理由にならないこと
「民主主義はあなたから始まる
教育の制度的な問題について関心を失ってしまえば、そのツケは必ずあなたの身の回りの人間たちにふりかかってきます。(中略)『何かヘン!』と思ったときには周囲の人たちと『ヘンじゃない?』と素直に言い合える雰囲気が必要です。」[1]
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1 2018年職務基本規程改正案の単位会照会の事実の公表
新年とともに,ジュリスト1527号(2019年1月号)72~84頁(2019年1月1日発行)で,「新時代の弁護士倫理」という新連載が始まった。
同号の第1回「弁護士のプロフェッション性をめぐって」では,髙中正彦(弁護士)=石田京子(早稲田大学准教授)=市川充(弁護士)の3名の先生方による座談会(2018年9月14日収録)の内容が掲載されている。
この座談会において,「本日現在」(81頁)すなわち2018年9月14日時点における日弁連での弁護士「職務基本規程の改正の検討作業」(81頁)が「進め」(81頁)られているという事実が髙中弁護士から紹介された。
筆者の調査不足かもしれないので断定的なことは言えないが,この弁護士職務基本規程(平成16(2004)年11月10日会規第70号,改正平成26(2014)年12月5日)(以下単に「職務基本規程」ということがある。)の改正の検討作業が進められている事実は,弁護士ないし一部の弁護士以外の市民や研究者等には基本的にはオープンにされていないことではないかと思うのである。
そして,この検討作業の状況を初めて市民らに公にしたのは,遠藤直哉(弁護士)『法動態学講座2 新弁護士懲戒論 為すべきでない懲戒5類型 為すべき正当業務型 ―法曹増員後の弁護士自治―』(信山社,2018年12月15日)89頁以下であるように思われる。
同書89頁は,「日弁連(弁護士倫理委員会)は,…2018年9月に改正案(以下「改正案」という)を提案し,単位会へ意見照会を行っている。この改正案は成立する可能性が高いので,これを紹介しつつ,以下に,分かりやすく解説し,本書の類型化と正当業務型の視点からの私案を提示するので,至急検討していただきたい。」(下線引用者)とする。
筆者も一弁護士として,この問題について関心をもって検討していくこととしたい。
この問題は,遠藤・前掲書籍の副題にもある「弁護士自治」の問題と密接にかかわる問題と考えられるところ,この問題について弁護士が関心を失ってしまえば,そのツケは,弁護士自身についてはもちろんのこと,必ず弁護士の身の回りの依頼者や関係者らにふりかかってくるのではないかと危惧するからである。
2 職務基本規程改正案14条の2(法令違反行為避止の説得を試みる義務)の内容と昭和62年東京地判
遠藤・前掲書籍によると,職務基本規程改正案14条の2(追加)と同51条(変更)は,「法令違反行為を避止するように説得を試みなければならない」(92頁,下線等による強調は引用者)としているようであり,同書これを「法令違反行為避止の説得義務」(92頁)と称している(ただし,「法令違反行為避止の説得を試みる義務」と称する方がより正確と思われる。)。ちなみに,髙中ほか・前掲座談会81頁〔髙中発言〕は,「組織内弁護士の違法行為に関する義務に関連しますが,弁護士が依頼者の法令違反行為を知ったときはこれを指摘して避止するように説得する義務を新設し,組織内弁護士についてはそれと同趣旨の規定に改める案を検討しているところです。」とする。
ここで筆者が気になったのは(他にもより重要な法的問題点があるとは思うが,ひとまずそれは措くとして),「法令違反行為を避止するように説得を試みなければならない」のうちの「避止する」という文言である。
この「避止」に関して,特に弁護士として注目しておきたい裁判例が1つあるので(特に若手弁護士の先生は(よく)知らない先生もいるかもしれないので)紹介する。それは,日本弁護士連合会調査室編著『条解弁護士法〔第4版〕』(弘文堂,平成19年)15~16頁でも,弁護士の「誠実義務」(11~13頁)の関連裁判例として紹介されている,「違法な行為」を「阻止するように最大限の努力を尽すべき…法的義務」がある旨判示した東京地判昭和62年10月15日判例タイムズ658号149頁(以下「昭和62年東京地判」ということがある。)である。
そして,この裁判例は,近年,法社会学研究者の石田京子先生の論考「専門職の倫理―弁護士を中心に」論究ジュリスト22号(2017年)55~61頁(58頁)でも言及され,再び法社会学や法曹(弁護士)倫理等に関する裁判例として注目されているように思われる。そのため(石田先生は前掲座談会のメンバーの一人),改正案14条の2の積極理由ないし論拠(改正すべきことを基礎づける事由の1つ)として昭和62年東京地判を挙げていることが予想される。
そこで,少し長いが,以下,この裁判例すなわち「持分3分の1を有する持分権者の建物が無断で取壊された場合において、その仲介をした弁護士に損害賠償責任が肯定された事例」(判例タイムズ658号149頁)の問題となっている部分を掲載する。
ちなみに,裁判例の冒頭から登場する被告「山分」氏とは,被告3名の訴訟代理人である山分榮弁護士のことである(判例タイムズ658号150頁)。
(以下,引用)
3 被告山分について
被告山分が被告羽石に対して本件建物を取壊しても何ら法律的に問題がないと述べたという事実は、右のとおりこれを認めることはできない。
被告羽石本人は、昭和58年2月21日に被告山分に会つた際には、被告田島から、「解体の羽石です」と紹介され、自分が解体をすると述べた旨供述するが、被告田島の本人尋問の結果と対比して措信することができない。また、原告本人は、小野建設の担当者川野から、川野が売買契約前に被告山分の事務所を訪問し、被告山分に本件建物を本当に取壊すことができるのかと聞いたところ、被告山分は川野に必ず取壊すと述べたと聞いていると供述しているが、川野が事実を述べているか疑問であり、右供述を直ちに採用することはできない。被告山分が、原告に無断で取壊すと述べたという趣旨であるかどうかも明らかではない。
結局、被告山分が被告羽石に本件建物の解体を指示し、あるいは被告田島、同羽石らと本件建物の解体を共謀したことを認めるに足りる証拠はない。
しかし、〈証拠〉によれば、昭和57年12月に被告井上ら所有土地を買受けたいとの希望を持つていた小野建設の担当者を被告田島が被告山分の事務所へ同道し、被告山分が小野建設の担当者に被告井上らと原告との間の争いについて説明し、小野建設で更地にすることは無理だから右土地を買受けるのは断念したらどうかと話し(小野建設は右土地を更地にして利用したいという意向であつた。)、小野建設が右土地を買取るという話は一時中止になつた事実があることが認められる。ところが、昭和58年2月23日には、小野建設も参集して売買契約の締結とその履行等をしているのであるから、被告山分は遅くともこの時点では被告井上ら所有土地を羽石建材から買受けるのは小野建設であるということを知つたはずである。そして、小野建設はかねて更地になつた上でこれを買受けることを希望していたのであり、被告山分はこのことを知っていたのであるから、被告山分としては、被告井上らと小野建設との間に介在する羽石建材が、本件建物の原告の持分3分の1の問題について何らかの解決をして、土地を更地にした上で小野建設に引渡すことを約しているものであることは推測しえたはずである。ところで、被告山分は昭和57年10月には被告井上らの代理人として本件建物の所有権の放棄について原告と交渉し、また、原告が申請した本件建物取壊し禁止の仮処分事件においても被告井上らの代理人として関与していたのであるから、原告が本件建物について持分3分の1を有することを強く主張し、話合いには容易に応じない意向であることを十分に知つていたはずである。したがつて、被告山分としては、被告羽石あるいは被告田島がどのような方法で原告との間の問題を円満に解決し、あるいは将来解決しようとしているのか、疑問を抱くのが当然である。ところが、被告山分は、被告井上らと羽石建材との間の売買契約書に「羽石建材は引渡後は使用等の処分について原告と協議してこれをなすものとし、将来原告より被告井上らに対し異議請求のないようにする」との条項を入れただけで、被告羽石あるいは被告田島に対し、原告との紛争の解決方法等について問い質したことを認めるに足りる証拠はない。また、被告田島あるいは被告羽石が敢えて違法な行為をするようなことのない信用するに足りる人物であること、あるいは少なくとも外観上はそのような人物であるように見えたことを認めるに足りる証拠もない。したがつて、被告山分は、被告田島及び被告羽石が何らかの違法な手段、場合によつては原告に全く無断で本件建物を取壊すという方法で被告井上ら所有土地を更地にしてこれを小野建設に転売する意図を有していることを察知しながら、これを黙認し、右土地及び本件建物の持分3分の2の羽石建材への売却に関与したものと推認せざるをえない。原告との間で話合い等による解決ができたのかどうかは、当の原告に問い合せれば直ちに判明するはずであり、弁護士である被告山分がこのことに思い及ばなかつたはずはない。ところが、被告山分がこのような問合せをしたことを認めるに足りる証拠はなく、この点も右の推認を裏付けるものである。
そして、被告山分が被告井上らに代つて右売却を承諾した結果、本件建物は被告田島、同羽石によつて取壊されたのであるから、被告山分の行為と本件建物の取壊しとの間には相当因果関係があり、また、これについて被告山分には少なくとも被告田島、同羽石に対して原告との紛争をどのように解決したのか、あるいは今後解決するのか確認しなかつた点に過失がある。被告山分は弁護士であり、弁護士は社会正義を実現すること等の使命に基づき、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持に努力しなければならないとされている(弁護士法1条)のであるから、自己の受任した法律事務に関連して違法な行為が行われるおそれがあることを知つた場合には、これを阻止するように最大限の努力を尽すべきものであり、これを黙過することは許されないものであると解される。そして、これは単に弁護士倫理の問題であるにとどまらず、法的義務であるといわなければならない。」
(以上,引用終わり。判例タイムズ658号(1988年)149~163頁(161~162頁)。下線は判例タイムズ162頁の下線と同じ。太字による強調は引用者)
3 昭和62年東京地判の検討(現行の職務基本規程14条との関係)
ところで,現行の規定である職務基本規程14条は,「弁護士は、詐欺的取引、暴力その他の違法若しくは不正な行為を助長し、又はこれらの行為を利用してはならない。」(下線引用者)としている。
ここで,日本弁護士連合会弁護士倫理委員会編著『解説「弁護士職務基本規程」第3版』(日本弁護士連合会,2017年)によると,「助長」とは、「違法・不正であることを知りながら、これを第三者に推奨したりすることによって、違法・不正の実現に手を貸したり、その存続または継続を支援したりすること」をいい(同書32頁),また,「利用」とは,「違法・不正な行為によって、弁護士が自らの事件処理を有利にしたり、またはそれに便乗して利益を得たりすること」(下線引用者)をいう(同頁)ものとされている。
また,日本弁護士連合会 弁護士倫理に関する委員会編『注釈弁護士倫理 補訂版』(有斐閣,1996年)によると,「利用」とは,「たとえば暴力その他これに類する行為によって,弁護士自らが事件の処理を容易にしようとし,あるいはそれに便乗して利益を得ようとすることなど」(下線引用者)であるとされており(同書60頁),「助長」に関しても,「本条が規定する違法又は不正な行為を行い,もしくはこれを行いつつある依頼者に対し,それらの行為の敢行をそそのかし,手助け等することが,本条が規定する義務に違反することは,いうまでもない。積極的に関与した場合だけでなく,依頼者の違法又は不正な行為を知りながら,これをたしなめることなく,逆に容認する態度を取るようなことも『助長』にあたる」(同頁)とされている。
このような「助長」・「利用」の意義や例(特に前掲『注釈弁護士倫理 補訂版』の方のもの)などに照らせば,前掲昭和62年東京地判は,現行の職務基本規程14条の枠内で説明可能な弁護士の行為が問題となった事例といえ,仮に同判決当時に職務基本規程(平成16年制定)が存在したのであれば,同条の適用が問題となりうる(事件助理を「容易に」しようとする「利用」か,違法行為を「知りながら…容認する態度を取る」場合に当たる)ケースであったものと考えるべきであろう。
4 昭和62年東京地判は改正案14条の2の論拠にはならないこと
以上に述べたとおり,前掲昭和62年東京地判は,現行の職務基本規程14条の枠内で説明可能といえ,この裁判例は,改正案14条の2の論拠にはならないものというべきである。
職務基本規程改正案14条の2につき,改正すべき(同条を追加ないし新設すべき)理由がない(乏しい)ことに関しては,他にも言わなければならないこと考えることがある(弁護士の基本的人権の擁護のための諸活動に具体的な支障をきたすリスクがある,改正の立法事実が無いか薄弱である等)が,本日はひとまずこのあたりで筆を擱くこととする。
*******
「じつは、日本の社会には、子どもが理由を使って考えて、きちんと自分の考え方を説明しようとすることは、よくないことだと思っている人がいっぱいいる。そういう人たちが子どもに向けるのが、『ナマイキだ!』ってことばだね。
(中略)
でも、どうだろう。たしかに、キミたちには、知らないことがいろいろある。だけど、知らないことがいろいろあるのは、ボクだって同じ。ボクは憲法の専門家として少しは勉強してきたけど、それでわかったことって、ほんの小さなことばっかり。大事なことは、やっぱり、よくわからない。その意味では、キミたちも、ボクも、あまり変わらないかもしれない。
だから、自信をもってごらん。自分が正しいと思う理由があったら、堂々と、おとなの人に伝えるといい。」[2]
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[1] 西原博史『子どもは好きに育てていい 「親の教育権」入門』(日本放送出版協会,2008年)198~199頁。
[2] 西原博史『「なるほどパワー」の法律講座 うさぎのヤスヒコ、憲法と出会う サル山共和国が守るみんなの権利』(太郎二郎社エディタス,2014年)114頁。
*このブログでの(他のブログも同じ)表現は,私個人の意見や感想等を述べるものであり,私の所属団体や関連団体のそれとは一切関係のないものです。
単語カードを使った司法試験の勉強法
「切り札を隠し持っているように思わせてるカードは
実際は何の効力もない
だけど捨てないで持ってれば
何かの意味を持つ可能性はなくない」*1
*******
今日は、カードを使った司法試験(予備試験)の勉強方法について書きます。
↓は、無印良品の単語カード(1個100枚)。
値段は当時1個100円以下(70円前後?)だったと思います。
情報を整理する教材として、伊藤塾の短答式試験用の教材や、論文の答案集に論証パターンなどを入れ込んだファイル(B5サイズ・26穴)を使っていましたが、キーワードは1回は書いて覚えるということが昔から多かったこと(→どうせならカードにしようと思い立ったこと)や、記憶の定着が比較的良かった(自分には合っていた)こと、カードだといつでもどこでも気軽に持ち歩ける(→隙間時間を有効活用しやすい)ことなどから、カードも作っていました。
↓こちらがそのカードたち。
やや作りすぎた感がありますが・・・。
分厚いものになると、リングを大きいものに変えていました。
リング自体も安かったと思います。コンビニにはなかったので文房具屋で買いましたが。
↓は特に分厚いものですね(250枚くらい・・・?)。
カードの内容ですが、1問1答式で、主に規範、趣旨、定義のキーワード(文章にしていないことが多い)を書いていました。
例えば、カードの表面には「条例の法律適合性(憲94)のキ」(「キ」は規範の略)などと書いておき、
そのカードの裏面には、「対象事項・規定文言、趣旨・目的・内容・効果、徳島市公安条例ジケン」などと書いておくような感じです。
論文用では、原則として、絶対に落とせないキーワードだけを書いていました。
短答用だと、条文知識の(適宜条文ナンバー)キーワードも書いていましたね。
判例の事案や、論点の典型事例(適宜、その関連条文で問題となる文言)のキーワードなども書いて記憶していましたね。
このように最低限書かなければならない論文のキーワードや、短答のアシの知識であっても、私の場合、模試でド忘れしたり書くべき論点を書けなかったり・・・ということが少なくなかったので、この自分自身の弱点を克服すべく、また上に書いたような理由などから、単語カードを使って極力精度が高くなる記憶作業をしました。
ド忘れなどで論証やキーワードが書けないということがかなり減ったことも良かったのですが、それ以上に良かったのは、アウトプットのスピードが短答・論文ともにかなり高くなったということでした。
司法試験は↓のブログのとおり、早押しクイズのような面があると思われますので、特に論文式試験ではアウトプットの速さは(事務処理能力が高くないの人にはとりわけ)重要です。
ちなみに、(ポケットにいれるのは基本的には1~2個なので他のものを)鞄の中に入れると小さくて見つからなかったり、最悪の場合無くなってしまったりしたこともあったので、↓のようなケースに入れていました。基本的には科目ごとに表紙の色がありました。
確か、3回くらいやって、(その時は)完璧に覚えたな・自分の中でほぼ常識化したなと思ったものについては、捨てるわけではなく、別のリングのカード集に移して取っていました(科目ごとに、2軍用のカード集みたいなのが別にありました。模試直前などに2軍用を回すこともありました)。
カードの順番は、大体ですが、基本書などの体系順になっていた気がしますが、あまりこだわらないようにしていました。カードを作ることが自己目的化しないようにしようと注意していたからです。
ちなみに、講義・授業や予備校の講座などで特に重要だと思った知識やノウハウも、適宜カード化していました。こうすることで、知識の要約ができ、論文であれば答案に書ける・使えるレベルの知識に再構成することができた気がします。
無印のカードが良かったのは、コンビニ(ファミマ)にも置いてあって入手しやすかったのと、当時は透明・プラスチックの表紙のものがあって、科目やカードの番号などが見やすかった点です。
ということで、結構古典的な勉強法ですし、スマホの単語カードアプリなども悪くないとは思いますが、どうも自分は記憶が定着しにくい(他の受験生の書けるキーワードを落とすことが少なくない)とか、スマホで無意識にツイッターを見てしまうなど何だかんだで隙間時間を上手く使えていないなどといった受験生の方がいたら、一度、この単語カードの勉強法を試してみてはいかがでしょうか?
人によっては効果絶大だと思います。
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「一歩また一歩 確実に進む
そんなイメージも忘れずに」*2
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*このブログでの(他のブログについても同じ)表現は,あくまで私個人の意見,感想等を私的に述べるものであり,私の所属団体,関連団体のそれとは一切関係のないものです。そのため,例えば,私のブログにおける「受験生」とは,このブログの不特定多数又は少数の読者に司法試験や予備試験の受験生がいる場合のその受験生を意味し,特定の大学等に属する学生・司法試験受験生等をいうものではありません。
*1:Mr.Children(桜井和寿作詞・作曲)「幻聴」(2015年)
*2:Mr.Children・前掲「幻聴」
平成30年司法試験論文公法系第1問(憲法)の感想(4) 「反論」の正体と“中立意見型”論文問題の答案枠組み(上位規範)
「息を切らしてさ 駆け抜けた道を 振り返りはしないのさ
ただ未来だけを見据えながら 放つ願い」[1]
司法試験受験生が受験対策をするには,仮に一度本試験会場で解いた問題であっても,よほど自信がない限り,再検討しておく必要がある。
すなわち,司法試験論文において「振り返りはしない」とは,終わったことを何も考えないという意味ではない。答案に書いたことはその時点の自分の力を出したものであるとして“後悔することはしない”ものと限定解釈しなければならないだろう。
本試験の問題を再読することになる受験生もいるが,「未来」を見据えるためには必要な作業である。
◆◆◆◆◆◆◆
<目 次>
(1)「設問」の再確認と「法律家甲」の正体
(2)「参考とすべき判例」の正体
(3)「反論」の正体
ア 私的諮問機関就任のための委任契約締結
イ 諮問機関の公正中立性
ウ 法律家甲=弁護士の場合 ~弁護士の使命と役割~
エ 法律家甲=憲法学者の場合 ~研究者の職責~
オ 委任契約の「委任の本旨」における答申(意見)の中立性
カ 法律家甲の「意見」と「反論」の意味
キ 「反論」の意味に関する別の解説について
ク “中立意見型”論文問題の答案枠組みの上位規範(次回のブログの導入)
(1)「設問」の再確認と「法律家甲」の正体
「〔設問〕
あなたがこの相談を受けた法律家甲であるとした場合,本条例案の憲法上の問題点について,どのような意見を述べるか。本条例案のどの部分が,いかなる憲法上の権利との関係で問題になり得るのかを明確にした上で,参考とすべき判例や想定される反論を踏まえて論じなさい。」
平成30年司法試験論文憲法の「法律家甲」とは何者なのか?
この問題については,前回のブログで明らかにした。
「法律家甲」とは,①「弁護士甲」,②「憲法学者甲」,又は③「弁護士であって憲法学者でもある者である甲」であると解される。
(2)「参考とすべき判例」の正体
ちなみに,「参考とすべき判例」とは,平成29年司法試験論文憲法の出題趣旨1頁記載の「基本判例」を意味するものと考えられる。
そして,この「基本判例」の意味については,次のブログで概ね解明済みといえるから,こちらをご一読いただきたい。
このブログにあるとおり,「基本判例」とは,「弁護士」が「知っている」と考査委員が考える「重要な憲法判例」(平成23年論文憲法出題趣旨1頁)のことを意味するものと解される。
そして,おそらく考査委員は,マイナーな地裁レベルの裁判例についても弁護士が知っているだろうとは考えていないだろうから,「基本判例」とは,概ね憲法判例百選Ⅰ・Ⅱ[第6版]に収載されている判例を意味するものといえる。
(3)「反論」の正体
ア 私的諮問機関就任のための委任契約締結
さて,「法律家甲」や「参考とすべき判例」の意味が判ったところで,いよいよ本題の「想定される反論」の正体を探りたい。
「法律家甲」が条例案の憲法上の問題点につき,一定の意見を述べるに際して,踏まえる必要があるとされる「想定される反論」とは何か?である。この問題は、「法律家甲」がどのような立場に立って「意見」を述べるべきかという問題と密接にかかわる。
これを解明するに当たっては,まずは,法律家甲とA市との法律関係や法律家甲の法的地位に言及する必要があるだろう。
本問の事案で,行政主体であるA市は,A市担当者X(補助機関)をして,法律家甲に「条例案」に関する「憲法上の問題についての意見を求め」ており,A市と法律家甲との間には,行政契約としての委任契約(民法643条)が締結されたものと考えられる。
なぜなら,この場合における法律家甲は,特定の政策課題に外部の専門家等が意見を述べる場合[2]と同様に,私的諮問機関と一般にいわれるもの[3]にあたると考えられるからである。
ところで,やや話が脱線するが,委任契約は,原則として無償契約とされている(民法648条1項)[4]が,実務的には,弁護士は通常,契約の相手方が行政主体であっても有償契約を締結するものと思われる。
無償であっては弁護士が「食べていけ」なくなり[5],ひいては弁護士自身が「成仏」[6]してしまう危険が生じる[7]から,A市と法律家甲は,甲が本条例案に法的意見を述べるに際して有償契約[8](そしておそらく随意契約(地方自治法234条1項2項・同法施行令167条の2第1項2号参照,平成22年新司法試験論文行政法参照)を締結したものと予想される。
イ 諮問機関の公正中立性
「成仏」する前に,話を早く本線に戻そう。
諮問機関は,「専門的知見の活用,行政過程の公正中立性の確保,利害調整等を目的として,行政庁の諮問を受けて答申を行う権限を有する機関」[9](下線引用者)であり,かかる諮問機関の目的は,法定の諮問機関のみならず,私的諮問機関にも妥当するものだろう[10]。
重要なのは,あくまで「中立」の立場から,ある特定の課題について意見を述べるという上記目的に照らすと,弁護士や研究者が自治体から条例案の憲法適合性について諮問を受けた場合に締結する委任契約については,私人や私企業から弁護士が訴訟代理人の法律事務の委任を受けるときなどに締結する委任契約の場合とは異なり,「中立」の立場からの答申(司法試験では解答)が求められているということである。
ウ 法律家甲=弁護士の場合 ~弁護士の使命と役割~
次に,このような「中立」の立場からの答申という点を補強する論拠について,弁護士の使命と研究者の職責について考えてみたい。
まずは,弁護士の使命すなわち法律家甲が弁護士の場合について見ていこう(法律家甲が憲法学者の場合については,下記 エ で検討する)。
弁護士は,①「基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命」(弁護士法1条1項)としつつ,②「当事者その他関係人の依頼等によって法律事務を行うことを職務とする」(同法3条1項)ものである。
そして,ここに弁護士の①「公益的役割」と②「当事者の代理人としての役割」という「一見矛盾するかにみえ」る2つの性格が現われており[11],さらに「弁護士の代理人的役割の限界を画するものが,公益的役割であると解する」立場がある。
上記①・②のうち,②は,概ね党派性すなわち「依頼者利益の擁護や実現を第一義とすること」[12]に置き換えることができ,また,①は,特定の私益のためではなく広く公益のために中立性・公正性[13]のある意見等を述べる役割と言い換えることができると思われる。
もっとも,上記の弁護士の②党派性を①中立・公正な立場から公益を保護するとの役割論で限定するといったような立場を採り得る場合があるとしても,このような立場は,私人や私企業と弁護士が訴訟代理人の法律事務の委任を受けるなどの委任契約を締結する場合には妥当しうるが,弁護士が自治体(地方公共団体)から条例案の憲法適合性について諮問を受けた場合に締結する委任契約については,実質的には妥当しないといえるか,あるいは,形式的に妥当するとしても②の点が①の点に吸収されるものと解すべきである。
というのも,そもそも本条例案のような規制条例(地方自治法14条2項)の案は,「地域における事務」(住民の事務を含むものと解されている[14]。同法2条2項,14条1項)に関する条例の案であり,もとより同事務は公共性のある事務[15]であるから,規制条例の案は公共の利益(公益・公の利益)に関する事務に係る条例案であって,もっぱら特定個人ないし特定の団体や集団の利益(私益ないし集積した私益)を保護することを目的とするものではなく[16],ましてや自治体の長や個々の公務員の利益保護を目的とするものではないからである。
ゆえに,自治体が弁護士に規制条例案の憲法適合性に関して意見を諮問する場合における委任契約につき,不正確かもしれないが強いて党派性という語を用いて説明を試みるのであれば,自治体を委任者(依頼者)とする場合の弁護士の党派性は,その自治体の住民の利益すなわち公益の擁護(保護)・実現を意味することであるといえるため,このような契約では,弁護士の②党派性を形式的に観念しうるとしても,それは,①中立・公正な立場から公益を保護する役割を演じることを意味することと同じになる(②=①となる)わけである。
つまり,この場合における弁護士は,一方当事者の代理人としてのリーガルサービスすなわち「党派的サービス」[17]を提供・供与する者ではなく,「中立的サービス」[18]を提供・供与すべき地位にある者といわなければならない。ここで弁護士には,公益保護のための党派性なき意見の答申が求められているということである。
エ 法律家甲=憲法学者の場合 ~研究者の職責~
次に,法律家甲=研究者(憲法学者)の場合について若干の検討を加えよう。
研究ないし研究活動の定義については様々な理解があるように思われるが,ここでは「研究活動とは,特定の団体や集団の利害に囚われることなく,法の解釈や実務の運用について,あるべき姿を探ろうとする知的営為」[19](下線引用者)という伊藤眞先生の定義を採ることとして考えていきたい。
そうすると,条例案の憲法適合性につき,研究者が私的諮問機関として答申する場合であっても,それは上記研究活動といえるか,あるいは「研究活動の延長」[20]としての活動といえ,ゆえに結論としては弁護士と同じということになる。
すなわち,その答申内容が「公正中立性に裏打ちされた……研究者としての姿勢に基づくもの」[21]でなければならず,依頼する自治体側も「それを期待している」[22]と推察しうることから,このような研究者の職責にも照らすと,研究者にも,公益保護のための党派性なき意見の答申が求められているということになる。
オ 委任契約の「委任の本旨」における答申(意見)の中立性
話を冒頭の委任契約の話に戻そう。
委任契約に係る善管注意義務の内容,すなわち「委任の本旨に従う」(民法644条)こととは,委任契約の目的とその事務の性質に応じて最も合理的に処理する[23]ことを意味するものと解されている。
そして,上記 イ~エ で述べたことなどからすると,自治体が規制条例案の憲法適合性に関して意見を諮問する場合における自治体・弁護士or憲法学者間の委任契約の委任の本旨(委任の趣旨)は,中立・公正な立場からその自治体における公益を保護・実現する事務を最も合理的に処理することであると解すべきである。[24]
とすると,平成30年司法試験論文憲法の設問における法律家甲が弁護士の場合,私人かを依頼者とする場合の党派性を観念することはそもそもできず,ゆえに,法律家甲としては,中立・公正な立場からその自治体における公益を広く保護・実現するための「意見を述べる」(同設問)すなわち答申する法的地位に立つことになる。
カ 法律家甲の「意見」と「反論」の意味
以上より,平成30年司法試験論文憲法の「設問」における法律家甲が述べるべき「意見」は,中立な第三者的立場からの意見を意味し,他の解釈(例えば自治体寄りの立場に立って意見を述べるような解釈)は成り立たないと私は考える。
よって,この法律家(弁護士)甲の「意見」に対応する「反論」とは,
(A)甲が条例案の特定の条項について違憲だと考えた場合には,その逆の合憲側の理由付けに係る主張を意味し,(B)甲が条例案の特定の条項について合憲だと考えた場合には,その逆の違憲側の理由付けに係る主張を意味するものと解される。
平成29年(司法試験論文憲法)までの違憲側の主張,合憲側の「反論」・私見という設問の場合における「反論」(合憲側のものに限定される反論)とは異なるということである。[25]
また,上記「反論」の捉え方からすると,「反論」を本条例案(本条例制定)に反対する市民の側の違憲側の主張のみを意味するものと解することは誤りということになろう(反対に合憲の主張のみを意味するものと解することも誤りであることについては下記 キ 参照)。なぜなら,そのような考え方は甲の「意見」の中立・公正性に適う考え方ではないからである。
なお,未だ条例「案」の段階ということで,私見(あるいは「反論」)の部分で,第1回新司法試験(平成18年)の前の年(平成17年)に実施された新司法試験のプレテスト公法系科目第1問の問い2にあったような「違憲の疑いを軽減させる方策」,いわば「ミティゲーション・プラン」[26]に言及し,これを検討すべきかという点も悩ましい問題ではある。
しかし,プレテストとは異なり,平成30年の設問等では「違憲の疑いを軽減させる方策」まで検討せよと明記されているわけではないのであるから,これを無理に検討する必要はないと思われる。
というのも,特に平成30年のようないわゆる多論点型の論文問題では,特に「満遍なく広域制圧型の答案,薄く広くの答案」に「結果的に高い評価を与えなければならない」(下線引用者)[27]という採点傾向があると一応考えられる[28]ことから,個々の論点において,検討が(通常は)難しい方策をつっこんで考えすぎて時間をかけすぎると実質的に時間不足になってしまう(よって低評価となる)リスクが高まるからである。
ただし,何かうまい方策を思いついた場合には,1つくらいは書いておくとそれか高評価に結び付くこともあるだろうから,そのくらいの検討はすべきであろう。
キ 「反論」の意味に関する別の解説について
以上のような「反論」の捉え方に対し,次のような解説がある。
すなわち,平成30年司法試験論文憲法の設問につき「憲法上の問題について意見を述べなさいとした上で,いかなる憲法上の権利との関係で問題となるのかを明確にし参考とすべき判例や想定される反論を踏まえて論じなさい,としている。」とし,「従来の形式との比較でいえば,憲法上の権利の明確化は原告の憲法上の権利の主張と重なり,想定される反論を踏まえる部分は被告の反論に通じるところがある。また,反論と判例を踏まえて論じるという部分は私見と通じるところがある。」[29]と解くものである。
かかる解説については,「重なり」とか「通じるところがある」という部分がそれぞれ何を意味するのか,必ずしも明らかではない点が問題であるように思われる。法律家であれば,一義的な語を用いる必要があろう。そして仮に,これらが“共通する”とか“イコール”だといった意味であれば(…あくまで仮定の話であるが),若干のミスリードを招く側面があるものと言わざるを得ないだろう。
上記 カ で述べたとおり,平成29年(司法試験論文憲法)までの違憲側の主張,合憲側の「反論」・私見という設問の場合における「反論」(合憲側のものに限定される反論)とは異なるといえるからである。
また,そもそも,原告の憲法上の権利の主張においても法曹実務家(訴訟代理人)であれば「判例」は当然に踏まえるものであって,「私見」で初めて触れたり踏まえたりするものではないから,やはり上記解説文は,受験生等の読者に誤解を生じさせる側面がある(全面的におかしいと批判するものではない)と言わざるを得ないだろう。
安念潤司教授も次のとおり指摘する。
「最低限いえるのは,実務家になる以上,判例の知識を披瀝することが『マスト』だということだ。判例は実務家にとって端的に法であり,一に制定法,二に判例,三・四がなくて五もないといっていいくらいである。判例に比べれば学説などとるに足りない。これを私は,脚韻を踏んで『判例はカミ,学説はゴミ』と数えてきた。」[30]
なお,安念先生こそ司法試験受験生にとって「カミ」ではないかと思われるわけであるが,このことについては,次のブログを参照されたい。
とはいえ,上記解説が,<「反論」ではすべて合憲論(合憲側の理由)を書くというルール・縛りを自分の中で作り,その上で(あ)憲法上の問題点+予想される違憲論と,(い)「反論」=合憲論をぶつけ合わせ,最終的に何らかの理由を付して(あ)か(い)のどちらかを選ぶというものを「法律家甲」の「意見」とするという答案政策>をオススメするという趣旨に出たものであれば(これも仮定の話だが),それは一定数の受験生にとって有益なものといえるだろう。
(下記 ク の書き方とは若干異なるが)このような書き方であっても,特に主要な論点については,「設問」に解答したことにはなると思われるし,受験生としてもかなり機械的に答案を書いていくことができるからである。
ク “中立意見型”論文問題の答案枠組みの上位規範(次回のブログの導入)
さて,以上のことから,私の考える“中立意見型”[31]の問題(平成30年司法試験論文憲法及び新司法試験プレテスト論文憲法(公法系第1問)がこれに当たる。)の答案構成の大枠(答案フレーム)は次の通りとなる。答案枠組みの上位規範(上位ルール)ということもできるだろう。
くどいようだが,平成30年の「設問」を再確認する。
「〔設問〕
あなたがこの相談を受けた法律家甲であるとした場合,本条例案の憲法上の問題点について,どのような意見を述べるか。本条例案のどの部分が,いかなる憲法上の権利との関係で問題になり得るのかを明確にした上で,参考とすべき判例や想定される反論を踏まえて論じなさい。」
この設問に対し,私のオススメする答案枠組みの上位規範(上位ルール)は次のとおりである。
「法律家甲」としては,
①本条例案の各関係条項の憲法上の問題点について短く(憲法の条項とともに概ね3行程度くらいで)指摘して憲法上の論点を明確にした上で,
↓
②中立の立場に立って,(基本的には)参考とすべき判例を踏まえつつ[32]違憲論又は合憲論の私見を展開し,
↓
③必要に応じて,その私見とは反対の側の理由付けである「反論」(反論について参考とすべき判例もありうる[33])を書きつつその反論に対する私見側からの再反論(反論への批判・反論潰しの主張)を書くべきである。
ここで,③の点で「必要に応じて」反論を書くべきとしたのは,前述したとおり,特に「満遍なく広域制圧型の答案,薄く広くの答案」に「結果的に高い評価」が付く傾向がある平成30年のような問題では,いくつかの論点(例:検閲,条例の法律適合性など比較的合憲と言い易いもの)では②私見までしか書かず,他方,主要な(配点の大きそうな)論点では,③反論・再反論まで書くという方法(答案枠組み)による方が効率よく得点を稼げるのではないかと考えるからである。
ただし,主要な論点以外の配点の低い論点に触れるとしても,そのような論点に時間や答案スペースを必要以上に割いてしまうと,その反動で,主要な論点の記載が不十分となることになりうるから,例えば,答案を書き出すまでに時間をかけ過ぎてしまったという場合や,もともとそこまで多くの枚数をかけないというタイプの受験生[34]であれば,あえて配点の低そうな論点については“捨てる”[35](あえて触れない・書かない)という答案政策を適宜採ることもアリだと思われる(“捨てる”ことについてはそれなりの勇気が必要だとは思う)。
ちなみに,このような答案枠組みに関し,設問には「参考とすべき判例及び想定される反論」とか「参考とすべき判例と想定される反論」とは書かれておらず,「参考とすべき判例や想定される反論」と書かれている点にもそれなりの意味があると思われる。
すなわち,並立助詞としての「や」が「日本人は正月に神社やお寺に行く」[36]の場合の「や」の場合のようにand/or(and又はor)を意味するものと考えられる場合には,すべての触れるべき論点のうち,特定の(いくつかの)論点については必ずしも「判例」と「反論」両方を書かなくても良いということになるものと考えられるのである。
加えて,設問には「判例」の方が先に書かれていること(「想定される反論や参考とすべき判例」とは書かれていないこと)や上記の安念先生の格言ないし標語にも照らすと,優先順位としては当該論点と関連性のある「判例」(上記(2)参照)があれば,その判例の方を優先的に書く必要があるといえよう。
以上,司法試験受験生・予備試験受験生の参考になれば幸いである。
◆◆◆◆◆◆◆
次回は,上記の“中立意見型”論文問題の答案枠組みの上位規範(上位ルール)を前提とする,答案枠組みの下位規範(下位ルール,上位規範(上位ルール)をある程度詳しく具体化するもの)について検討する。
法律家甲の「意見」・「判例」・「反論」を効率的に書くための答案枠組みを提示したい。
「さあ次の扉をノックしよう」[37]
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[1] Mr.Children(桜井和寿作詞・作曲)「終わりなき旅」(1998年)。なお,同趣旨の歌詞として「バックミラーはいらない 振り向くつもりもない」(B’z(KOSHI INABA作詞・TAK MATSUMOTO作曲)「CHAMP」(2017年))がある。道交法違反である。
[2] 塩野宏『行政法Ⅲ[第四版] 行政組織法』(有斐閣,2012年)(以下「塩野・行政法Ⅲ」という。)・行政法Ⅲ88頁。
[3] 塩野・行政法Ⅲ88頁。この点に関し,同頁は,私的諮問機関を「国組法上の行政機関として位置づけることはできない」とし,私的諮問機関の構成員については「国家公務員法上の公務員(非常勤職員)としての任命行為が行われている」ものではないから,「国と構成員との関係は,雇用契約関係(公務員関係を含む)にたつものではなく,ある特定の政策課題に意見をのべるということで寄与することを内容とする委任契約であるとみることができる」(下線引用者)とする。ちなみに,私的諮問機関の名称は,「有識者会議,研究会,懇談会,調査会等」いろいろであり(同頁),私的諮問機関は,「事実上の諮問機関」とも呼ばれる(稲葉馨「自治組織権と附属機関条例主義」塩野古稀『行政法の発展と変革 下巻』(有斐閣,平成13年)333頁以下(335頁))。
[4] 我妻栄『債権総論 中巻二』(有斐閣,1962年)654頁参照。
[5] この点に関し,平成28年度賃金構造基本統計調査によると,弁護士の平均「給与」は年間約759万円であり,高等学校教諭の給与が約661万円であることなどから,「弁護士の給与は決して低くはない」(伊藤真編著『伊藤真が教える司法試験予備試験の合格法』(日本経済新聞出版社,2018年)224頁)とか,「食えない」というのは「誤解」がある(同223頁)という評価もある。しかし,①法科大学院の額日や司法試験受験のための書籍代・答案練習等の費用等に係る投資額の大きさ,②司法修習生が生活保護受給者並の司法修習を強いられており国から受給可能な金員では(さらに借金をしなければ)司法修習生活が相当難しいこと(司法修習でも書籍代等はかかる),③昨今特に弁護士の平均給与が上昇傾向にあるとは考えられないことなどからすると,「食えない」というあえて強い評価をする弁護士がいることにも目をそむけてはいけないように思われる。
[6] 高橋宏志「成仏」法学教室307号(2004年)1頁参照。
[7] なお,「世の中の人々のお役に立つ仕事をしている限り,世の中の人々の方が自分達を飢えさせることをしない……。人々の役に立つ仕事をしていれば,法律家も飢え死にすることはないであろう。」(高橋・前掲注(6)1頁)という意見もある。安全圏から説かれる主観的・楽天的なご意見である。
[8] 弁護士が報酬の点に触れないで依頼を受けた場合であっても,暗黙の合意があると解して弁護士報酬を請求しうるだろう(日本弁護士連合会調査室編著『条解弁護士法〔第4版〕』(弘文堂,平成19年)24頁以下参照)。
[9] 宇賀克也『行政法概説Ⅲ 行政組織法/公務員法/公物法 〔第4版〕』(有斐閣,2015年)(以下「宇賀・行政法概説Ⅲ」という。)30頁。ちなみに,群馬中央バス事件(最一小判昭和50年5月29日民集29巻5号662頁)は,「一般に,行政庁が行政処分をするにあたって,諮問機関に諮問し,その決定を尊重して処分をしなければならない旨を法が定めているのは,処分行政庁が,諮問機関の決定(答申)を慎重に検討し,これに十分な考慮を払い,特段の合理的な理由のないかぎりこれに反する処分をしないように要求することにより,当該行政処分の客観的な適正妥当と公正を担保することを法が所期しているためであると考えられる」(下線引用者)と判示する。
[11] 加藤新太郎「弁護士役割論の基本問題」『弁護士役割論[新版]』1頁以下(5頁)参照。
[12] 伊藤眞「法律意見書雑考」判例時報2331号141頁以下(141頁)。以下,同文献を「伊藤・法律意見書雑考」と略す。
[13] 伊藤・法律意見書雑考141頁参照。
[16] 仲野武志「行政法における公益・第三者の利益」髙木光=宇賀克也編『行政法の争点』(有斐閣,2014年)14頁参照。なお,同頁では,公益を「国民の一般の利益」すなわち「国家を構成する団体としての国民の利益」を指すものとしており,また,「地方公共団体レヴェルの公益(住民の一般の利益)」については「立ち入ることができなかった」としている(同15頁)。
[17] 加藤新太郎「和解的解決と弁護士の役割論」『弁護士役割論[新版]』322頁以下(同頁)。
[18] 加藤・前掲注(17)322頁。日本弁護士連合会弁護士倫理に関する委員会編『注釈弁護士倫理 補訂版』(有斐閣,1996年)15頁。
[19] 伊藤・法律意見書雑考144頁。
[20] 伊藤・法律意見書雑考145頁。
[21] 伊藤・法律意見書雑考144頁。
[22] 伊藤・法律意見書雑考144頁。
[23] 我妻・前掲注(4)670頁参照。
[24] この点につき,山本博史「条例制定過程の現状と課題」北村喜宣=山口道昭=出石稔=礒崎初仁編『自治体政策法務―地域特性に適合した法環境の創造』(有斐閣,2011年)413頁以下(420頁)は,「有識者の意見を条例に反映させる手続」としての「有識者による条例検討会」に言及し,このような検討会等の「有識者の意見反映の手続は,〔引用者注:条例案の〕主に『適法性』,『有効性』の基準の達成度を上げる機能を有」し,また,「中立的な立場からの助言は『公平性』の基準の達成度を上げ」(下線引用者)るものと考えるとする。なお,伊藤・法律意見書雑考141頁は,法律意見書の内容の中立性に関し,法律意見書を裁判所に提出する争訟的案件の場合とは異なり,「非争訟的案件の場合」には「意見書作成依頼の趣旨」から「作成者たる弁護士にも中立的判断が求められる」(下線引用者)とし(平成30年司法試験論文憲法も「非争訟的案件」の場合といえよう。),また,金子正史「審議会行政論」雄川一郎=塩野宏=園部逸夫『現代行政法体系 第7巻』(有斐閣,昭和60年)113頁(137頁等)は,「審議会には……目的・機能等において多種多様なものがある。それらすべての審議会の委員を国民の自主的選出制に基づく利益代表委員とすることは適当ではなく,準司法的権限の行使を要請される不服審査,試験検定等に関する審議会の委員は,中立・公正的な委員とすべきではなかろうか。」(下線引用者)とする。
[25] このように設問形式が異なることによって,答案枠組みが大きく異なることになるかという問題については次々回のブログで論じることとしたいが,結論を先に述べておくと,答案枠組みは大きくは変わらないものと考えている。設問形式が異なってしまっている以上,多少答案の書き方を変える必要はあるが,受験生としてはこれまで通りの判例学習をすれば良いだろう。
[26] 安念潤司「プレテスト問題の検証【公法系科目】」法学セミナー611号(2005年)6頁以下(6頁)。同8頁は,違憲の疑いを軽減させる方策に関し,次のような検討をしており,これは平成30年のようなタイプの問題の解答にも参考になると考えられる。
「要綱第4の、〔引用者注:「特定国際テロリズム組織」の〕構成員となるだけで最高懲役5年に処せられる、という規定が最も違憲の疑い濃厚と考える。単に構成員となるだけで処罰されるというのでは、治安維持法の再来である。また、組織があるのかないのか、あるとしてもどこからどこまでが組織なのか、この辺りがはっきりしないところにテロリストの生命があろう。してみれば、『特定国際テロリズム組織』の構成員か否かの判断は、微妙で恣意的になりやすい。
そこで、違憲性を軽減するために、一案として、役員、幹部その他名目のいかんを問わず組織を指揮する立場で組織に参加する行為のみを処罰の対象とすることが考えられよう。こうした梼成員は、『特定国際テロリズム組織』を指導し、方向付けを行い、他の構成員を鼓舞する立場にあるのであるから、たとえ犯罪の実行行為に直接加担しなくても、処罰の対象とするだけの合理性があると思われる。」(下線引用者)
[27] 宍戸常寿=水津太郎=橋爪隆=大貫裕之=小粥太郎「[座談会]憲法・民法・刑法・行政法担当者が語る『法学と試験』」法律時報90巻9号(2018年)30頁以下(46頁〔小粥発言〕,47頁〔宍戸発言〕等)参照。ただし,この座談会は,司法試験の論文式試験それ自体の採点方法等について直接的に検討を加えるものではない。
[28] この点に関しては,次のような採点実感等があることに十分注意されたい。すなわち,平成25年司法試験の採点実感等に関する意見(公法系科目第1問)は,「限られた時間の中で各論点をバランス良く論じている」答案を「優れた答案」としており,平成19年新司法試験についての「新司法試験考査委員(公法系科目)に対するヒアリングの概要」も「基本的な論点を落としている答案も,ある程度目に付いた」としていることなどから,主要な論点に言及することが(基本的には)合格答案の要件となる。ただし,同ヒアリングは「主な論点が三つあった」としており,主要な論点の数はそれほど多くはないと考えられよう。そして,このことに関し,平成20年新司法試験についての「新司法試験考査委員(公法系科目)に対するヒアリングの概要」も,「理論的に考えられる論点全部を拾わないと答案の評価が低くなるものとは,毛頭考えていない。自分の視点に基づいて,幾つかの重要なものを取り上げて,自分なりに論じであればよいのであって,あらゆる論点全部について均等に少しずつ触れてほしいなどとは全く考えていない。論点を考えられる限りたくさん挙げれば良い評価になると思っているのか,重要でないものも含めて思い付く限りのあらゆる論点を挙げて,その結果,どれもこれも希薄に書いてしまっている答案も相当な数あった。……幾つかの些末な問題点を挙げるだけで,重要な問題点を指摘していないものもあった。この事案で何を議論の中心に持っていくかの判断も,実務家として重要なセンスの一つであると思う。」(下線引用者)との考査委員からの指摘があり,加えて,委員からも「筋をしっかり見極めて,自分で取捨選択する必要があるということや,全部の論点を網羅する必要はなく,何が重要なところかを考えるというセンスを見たい,というのは大事な指摘だと思う。確かに学生らは,論点すべてをピックアップしなければいけないと思ったり,些細な技術的な書き方を気にする人が多い傾向にある。そうではなく,法曹としての解決の在り方をしっかり自分なりに考えて提示してくれればよいというメッセージは,今後学生たちの迷いを断ち切るためにも大変大事な指摘だと思う。」(下線引用者)との意見もある。これらのコメントは,今日の司法試験(・予備試験)論文式試験においても,それぞれ重要なものと思われる。
[29] 大林啓吾「憲法 平成30年度司法試験論文式〔公法系科目第1問〕」受験新報810号(2018年)26頁以下(26頁)。なお,既に刊行された他の法律文献(法律雑誌・受験雑誌)において平成30年司法試験論文憲法の設問記載の「反論」の意味を明示したものを(私の調査した限りではあるが)確認することはできていない。
[30] 安念潤司「判例で書いてもいいんですか?―ロースクール講義余滴―」中央ロー・ジャーナル6巻2号(2009年)85頁以下(88頁)(下線太字引用者)。
[31] 法律意見書型,法律意見型,意見書型等々,さまざまな呼び方があるところだろうが,私は「中立意見型」と称するのが最適と考える。
[32] 参考とすべき判例がなければ学説を活用するがおよそ判例がないという分野は少ないと考えられる。
[33] ただし,時間不足のリスクを低減すべく,(主要な論点ではやむを得ないだろうが)私見と反論の「判例」は極力共通したものを使うべきであろう。私見では判例A事件の規範を使うべき→反論として判例B事件の規範を使うべき→再反論(私見からの批判)としてやはり判例A事件の規範を使うべきとすると時間をかなり使ってしまい,さらにあてはめの点も争点となるとすると,1つの論点だけで相当時間を(答案スペースも)使うことになるからである。
[34] ただし,そのようなタイプの受験生であっても,多くの枚数を書けるよう(答案を早く書けるよう)訓練・工夫する努力が必要な場合が少なくないだろう。
[35] 前掲注(28)の採点実感等の考査委員等の指摘も参考にされたい。ちなみに,旧司法試験の短答式試験では(特に平成の後半),“捨て問”というものが存在した。捨て問を作ることで,確実に解ける問題の正答率を上げ,試験全体としての得点を伸ばす(一定数の受験生が用いていた)受験戦略である。
[36] 渡邊ゆかり「並立助詞と『と』と『や』の機能的相違」広島女子学院大学日本文学13号(2003年)1頁以下(3頁)参照。
[37] Mr.Children・前掲「終わりなき旅」。司法試験の受験勉強には“全部の論点や知識をつぶした”といえる状態はおそらく観念しえない。その意味では「終わりなき旅」であるが,他方で,司法試験はいわば試験範囲を潰すかなり手前の段階で合格する試験ともいえる。
受験生は焦らず少しずつでもいいから勉強していこう。「“Festina Lente”(ゆっくり急げ)」である(伊藤・前掲『伊藤真が教える司法試験予備試験の合格法』はしがき等参照)。
*このブログでの(他のブログについても同じ)表現は,あくまで私個人の意見,感想等を私的に述べるものであり,私の所属団体,関連団体のそれとは一切関係のないものです。そのため,例えば,私のブログにおける「受験生」とは,このブログの不特定多数又は少数の読者に司法試験や予備試験の受験生がいる場合のその受験生を意味し,特定の大学等に属する学生・司法試験受験生等をいうものではありません。